21.大家さんと夏祭り

 夕暮れ時、俺は玄関で靴を履いていた。別にこれから銭湯に行こうとしているわけではない。


 というのも今日は──。


「あら、もう準備が出来ていたのね。それだったら早くしなさい。貴方待ちよ」

「すみません。でも勝手に鍵を開けて入ってくるのはどうかと思いますけど」

「ドアの前に立っていたら勝手に開いたのよ」

「なるほど、このアパートって無駄に自動ドアだったんですね」


 勝手にドアが開いたのなら、その手に持ってるおもいっきりここの部屋番号が印字されている鍵はなんだというのか。最近この人、俺に対しての言い訳が雑すぎる気がする。


「それはそうとこの格好はどうかしら? 変じゃない?」


 大家さんはそう言うとコクりと小首を傾げる。

 彼女が着ているのは浴衣、流石見た目だけは黒髪美人なだけあって浴衣がよく似合う。


「ええ、変じゃないですよ。普通に似合ってます」

「普通にって失礼ね。ここは『君可愛いね。俺とお茶しない?』とかそういうことを言うところでしょう?」


 どこのナンパ男だよ。いくら何でも今時そんなあからさま過ぎる誘い方をするやつはいないだろう。


「だってもし俺がそんなこと言ったら大家さんドン引きしますよね」

「ドン引きはしないわ。ただ貴方と五メートル以上距離を取るだけよ」


 それをドン引きと言わないでなんと言うのでしょうか。この人分かってやってないですか?


「大家さん、それはメチャクチャです」

「大家さんをメチャクチャにしたいだなんて貴方も結構大胆なこと言うのね。でもごめんなさい、私そういう人はちょっと無理なの。そもそも顔が無理ね。いえ、これは別に悪い意味じゃないのよ?」


 接続詞とかその他諸々が仕事をしていなかった。そもそも俺はそんなこと言ってないし、最後の方のは本当に言わなければいけないことだったのか。余計だったんじゃないのか。それに顔が無理という言葉には悪い意味しかない。あれ、なんだか視界が霞んで前が見えなくなってきた。暑いから汗でも掻いたのかな? 目から。


「もう帰っても良いですか?」

「何を言ってるの? ここが貴方の家じゃない。馬鹿なこと言ってないで早く出るわよ」


 一通りからかわれた俺はそれから大家さんに続いて部屋の外に出た。


 というわけで一番始めに話を戻すが、今日は地元で開催される夏祭りの日だった。



◆ ◆ ◆



 外に出て階段を下りるとすぐそこには大家さんと同じく浴衣姿の小夏ちゃんと須藤さんがいた。どうやら本当に俺が最後だったらしい。


「遅いですよ。ナッキーさん、姉さんと二人きりでナニしてたんですか?」

「妙な言い方をしないでくれるかな、小夏ちゃん。ただ話してただけで別に何もしてないから」


 開幕から絶好調な小夏ちゃんはそれから大家さんに視線を向ける。


「本当に何もなかったの? 姉さん」

「ええ、メチャクチャにされそうになったこと以外は特に何もなかったわ。そうよね? ナッキー」


 ここで大家さん突然のキラーパス。何、俺にどうしろっていうの? 笑えばいいの?

 しかしそんなことをしたら疑いが晴れるどころか、更なる誤解を生みかねないのでここは大人しく反論する。


「そういう誤解を生む発言は止めて下さい。あれは単なる大家さんの聞き間違いですから」

「本当にそうかしら。私は騙されないわよ?」


 なんでそんな頑ななの?


「事実はどうあれ、姉さんの方が面白そうなので私は姉さんを信じますよ」


 時には目先の面白さだけで判断しちゃいけないときがあると思うんだ。例えば今とか。後でとんでもないことになっても知らないよ? まぁ今回とんでもないことになるとすれば、それは俺なんだけど。


 流石に須藤さんは信じてくれるよねと俺は彼女の方に助けを求めるような視線を送る。


「なにジロジロと秋帆お姉ちゃんのことをイヤらしい目で見てるんですか?」


 しかしそれは新たな誤解を生んでしまった。突然見に覚えのない疑いをかけられたのだ。

 確かにジロジロとは見ていたかもしれないが、それは俺のSOSに気づいて欲しかったからで断じてイヤらしい目なんかではない。ホントだよ?


「まさか……この前秋帆お姉ちゃんに押し倒されたのに味を占めましたね。そうです、普通の成人男性はみんな押し倒されたら味を占めるって相場が決まってるんです」


 小夏ちゃんの相場ってどこか偏ってるんだよな。それに味を占めるってそもそもあれは小夏ちゃんの差し金だろうに。あとそんなことを言うからほら、大家さんがほら。


「そう、私の知らないところでそんなことがあったのね」


 笑顔にもかかわらず何故か恐怖しか湧いてこなかった。本能がこの場からすぐに逃げろとそう告げている。


「大家さん、違うんです」

「何が違うのかしら?」


 だからこそ、ここは冷静に対処しなければならない。下手に逃げても疑いを深めるだけで何も良いことはないのだから。


「そのですね、押し倒されたと言っても本当にただ押し倒されただけなんです」

「どういうことかしら?」

「あれは単なる接触と言いますか。物理的にそうなっただけで別にやましいことは何もしていないんですよ」


 これだ、これが誤解を解く正解の形。

 俺の言葉に大家さんは須藤さんの方へとゆっくり視線を移動させる。


「本当なの?」

「そうですよ、私がナッキーさんとやましいことをするなんてあるわけないじゃないですか。絶対にあり得ないです!」


 そうきっぱりと断言する須藤さんはこれでもかという程に激しく手を振る。

 確かにやましいことは何もしていないのだが、そんなに否定しなくても良いんじゃない? もうちょっとオブラートに包んでくれても。


「そうよね、あり得ないわよね。だってナッキーだものね」


 最後の理由にかなりの悪意を感じるんですが気のせいですか?

 しかしこれで大家さんから滲み出ていた恐怖のオーラは収まった。よし、さっさと祭りに行ってさっさと帰ってこよう。


 これ以上面倒なことに巻き込まれまいと俺は足早に歩き始める。だがここで須藤さんに声を掛けられてしまった。


「ちょっ、ちょっと待って下さい。それでナッキーさんは本当に大家さんをメチャクチャにしたんですか?」


 続けて小夏ちゃんも。


「秋帆お姉ちゃんは絶対ナッキーさんに渡しませんよ!」

 

 流石に二人をそれも片方に小夏ちゃんがいる状態で一度に相手にするのは骨が折れる。だからだろうか、気付けば俺は──。


「ちょっとナッキー!?」


 そのまま走り出して……もとい逃げ出していた。

 目的地は決めていない、ただ遠くに行きたかった。ゴーアウェイ。

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