11.隣人さんとお願い事

 とある日の早朝、いつものように俺が一人ゲームに明け暮れているとドンドンと玄関の方から扉を叩く音が響いてきた。


 こんな朝早い時間に誰だと、ゲームを一度中断し玄関へと向かう。

 大家さんなら勝手に入ってくるし、一体誰が来たんだと鍵を開けるとそのタイミングで扉の向こう側から頼りなく、それでいてか細い女性の声が聞こえた。


「た、たのもー!」


 言っていることだけは強気なその声に扉を開ければ、そこにはバーベキューの時以来、顔を合わせていなかった須藤さんがやや遠くの方に立っていた。


「あの、呼ぶなら出来ればインターホンを使ってくれませんか? 使い方分かります?」

「ば、馬鹿にしてるんですか! 流石にそれくらい分かります! た、ただ私は朝早くにインターホンを押すのは迷惑かなって思っただけです!」

「そうでしたか」


 ドアを叩いてから声で呼ぶのと、さほど変わらないと思うんだが。寧ろドアを叩いてから声で呼ぶ方が迷惑かもしれない。

 まぁそんなことはどうでもいい。一先ず用件を聞くとしよう。


「それで須藤さんはこんな早朝から道場破りですか?」

「ち、違います!」


 違うのか、俺の中では一番可能性として高そうだと思っていたのだが。『たのもー』とか言ってたし。


「だとしたら何ですか?」

「私はその……今日はお願いがあって来たんです!」


 須藤さんが男である俺にお願いなんて珍しいこともあったものだ。一体どういう風の吹き回しなのだろう。


「じゃあ外でというのもなんですし、中でお茶でも飲みながら話しませんか?」

「は、はい! よ、よろしくお願いします!」


 例のように須藤さんは緊張していた。

 時々間違えそうになるがこの人は男性恐怖症というわけではないのだ。ただ男性を前にすると極度に緊張してしまうだけで。


「……!?」


 須藤さんを連れて部屋に戻ると、突然彼女は驚いたような様子で小さく目を見開いた。一体何に驚いているのやら。


「何か気になるものでも?」

「い、いえ、ただこんなに部屋が綺麗なことに驚いてしまって。男性の一人暮らしは物が散らかっていると聞いていたので……」


 なるほど、自分で言うのもあれだが確かにこの部屋は比較的綺麗な方だ。というよりはほとんど毎日大家さんが部屋に来るから綺麗にしていると言った方が正しい。


 もし大家さんが普段部屋に来なかったら、きっとかなり散らかっていただろう。

 まぁこのことを大家さんに知られたら『私がいなかったら部屋の片付けもしないなんて弛んでいるわね。だから生まれてこの方彼女が出来ないんじゃないかしら』とか毒を吐かれそうなので絶対人に言うことはないが。


「俺にも色々事情があるんですよ。それよりお茶入れてきますね」

「は、はいありがとうございます!」


 そんなことよりも今は須藤さんのお願いだ。変なお願いでなければ良いのだが。


 そんなことを思いながら俺が二人分のお茶を入れて部屋に戻ってくれば、彼女は静かに正座で待機していた。

 大家さんだと部屋を物色していてもおかしくないというのに。本当によく出来た人だ。

 世間一般的にはこれが当たり前なのかもしれないが、俺からしてみればまともということだけで尊敬に値する。まともって本当に素晴らしい。


「そ、それで早速なんですけど良いですか?」

「どうぞ」


 俺が一口お茶を飲む間に須藤さんは一度深呼吸をする。それから俺がお茶の入ったコップをテーブルに置いたタイミングと同時に彼女は話し始めた。


「わ、私、この男の人の前だと緊張しちゃう体質を治したいんです。だからその……」


 あとちょっとのところで須藤さんからは力尽きたように声が聞こえなくなる。

 だがつまりこういうことなのだろうということは分かる。


「俺に協力して欲しいとかですか?」


 俺に話の意図が伝わっているのがよほど嬉かったのか、須藤さんは勢い良く首を縦に振る。


「は、はい、実はそうなんです。猫宮夏樹さんならきっと力になってくれると聞いて」

「そうですか、まぁ俺で良ければ力になりますよ。暇ですし」

「ほ、本当ですか? 良かったです。でも聞いていた話と違って猫宮さんはお優しいですね」

「はぁ……もしかして大家さんから俺を頼るように言われました?」

「な、なんで分かるんですか? やっぱり聞いていた通り猫宮さんは魔法使いだったんですね」


 いや、それ多分違う意味ですからね、須藤さん。

 あと大家さん、俺はまだそんな年ではないです。


「普通に分かりますよ。だって感じますからね」


 背後に大家さんがいる気配がプンプンと。

 更に言えば大家さんが背後で浮かべている表情まで分かる。いつも俺をからかう時に浮かべるあの意地の悪い笑顔がはっきりと思い浮かびます。


「か、感じるって……。私、猫宮さんの魔法はよく分からないです」

「今俺の言ったことはそんなに気にしなくて良いですから。それで具体的なアドバイスとか大家さんに何か吹き込まれたりしませんでした?」

「ふ、吹き込まれるですか? 大家さんはそんなこと一言も言っていなかったですが……。でもナッキーに任せておけばきっと、多分、恐らくなんとかなるとは言ってました」


 そうですか。結構丸投げなんですね、大家さん。


「なるほど大体分かりました。今はパッとどうしたら良いとか的確なアドバイスは思い付かないですが、でも何か須藤さんから俺に手伝って欲しいこととかがあれば出来る限り協力しますよ」

「ほ、本当ですか? でしたらその……」

「はい」

「わ、私もナッキーとお呼びしてもよろしいでしょうか? その、大家さんがそう呼んでいて私もずっと呼びたいと思っていたんです」


 ついに大家さん勝手に決めた俺のあだ名が他の人に定着してしまったか。

 なんだか複雑な気分だが、出来る限り須藤さんに協力すると言った手前嫌だとは言えない。


「ええ、俺は構わないですけど」

「あ、ありがとうございます。ナ、ナッキーさん!」


 こうして俺は隣人からもナッキー呼ばわりされることになってしまった。


 一体俺のあだ名はどこまで広まってしまうのか。流石にもう広まらないよねとは思うものの、何故か不安を拭い去ることは出来なかった。

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