10.大家さんと近場の避暑地

 とある日の昼間、俺は窓から外を見てふと世界に対して疑問に思ってしまった。


 エアコンの無い部屋に住んでいる人間に連日この暑さは少しやり過ぎではないかと。


 そんなことを思っていると俺に作らせたかき氷をスプーンでシャリシャリする手を止めた大家さんが俺を冷ややかな目で見る。


「その様子だとかなりアホなことを考えているわね。止めなさい、ただでさえ知性が低いのに余計低く見えるわよ」

「それはもうただの悪口ですからね、大家さん。それにこの問題は大家さんが部屋にエアコンを設置してくれれば済む問題です」

「どういうことかしら?」

「そのままの意味ですよ。暑いのでエアコンを設置して下さい」

「無理ね」

「どうしてですか。大家さんだって普段から暑いって散々喚いているじゃないですか」

「そう言われてもどうしようもないのよ。だってそんなお金がどこにもないんだもの」


 それだけを言うと大家さんは再びかき氷をシャリシャリし始める。

 そうですかお金がないですか。だから大家さんは少しでもお金を使わず暑さを紛らすために毎日この部屋に来て、俺にかき氷を作らせてはシャリシャリしてるんですね。あれ、そういえば何で俺が毎回かき氷作ってるの?


「それにもし仮に設置するとしたら家賃を上げるわよ?」


 家賃が上がる、その言葉に一瞬狼狽えてしまう。

 しかしだ、俺の我慢ゲージはそんなことどうでも良いと思えてしまうほど限界を迎えていた。


「でも俺はもう限界なんですよ。こう毎日暑いといよいよおかしくなりそうです」

「それは大変ね」

「そうです、大変なんですよ」


 必死に訴えかけるも大家さんは取り合ってくれない。しかし、それから少しして彼女は何かを思い出したかのように言葉を発した。


「そうよ、あれがあったじゃない」

「あれですか?」

「ええ、最近は行っていないけど昔よくお世話になっていたわ。それにあそこ、暇も潰せるのよ」


 昔お世話になっていて暇も潰せる場所?

 どうしてそんなことを得意気に言ったのだろうか。俺は今暑くて暇を潰すどころじゃないというのに。


「そしてエアコンもあるわよ」

「行きましょう」


 即決だった。俺はそれから大家さんが昔よくお世話になっていた、暇が潰せて、そしてエアコンが付いている場所へと向かった。

 そんなところがあるならもっと早く言って欲しかった。



◆ ◆ ◆



「着いたわよ」

「ここは──」


 炎天下の中、大家さんに連れられ目的の場所、通称オアシスに向かうとそこには壁の一部がガラス張りの全体的にモダンチックな建物があった。ガラスの内側で無数に並ぶ本棚を見る限り、どうやらここは──。


「図書館よ」

「中々大きいですね」


 なるほど図書館ならエアコンも付いているし、本を読んで暇も潰せるということか、それになんといってもアパートから近い。何この絶好な避暑地、まさに夏場のオアシス。


「早速中に入りましょうか」

「そうですね」


 大家さんの後に続いて建物の中へと足を踏み入れた俺はあまりの涼しさに早速驚愕してしまっていた。何だこれは、今まで体の周辺を漂っていたモヤっとした暖かい空気が全て消え去り一気に冷たい空気がやって来る。

 そうか、ここが天国だったのか……。


「ちょっと、こんな所であまりはしゃがないで頂戴。恥ずかしいじゃない」

「だってこんなに涼しいんですよ。はしゃがないなんて無理です」

「それでも少しは抑えなさい。ここは家じゃないのよ」


 いつもと違って恥ずかしそうな大家さん。どうやら大家さんは自分のフィールドを離れると毒気が抜けるタイプの人間らしい。


「折角来たのだから、貴方はここで本を読んで少しでも足りない知性を補うと良いわ」


 前言撤回、大家さんはどこにいてもやっぱり大家さんでした。


「そうですか、それでこれから大家さんはどうします?」

「私は一階で本を読んでいるつもりだけれど、貴方はどうするのかしら?」

「俺ですか、俺はまだどこに何があるとかあまり分かってないので大家さんに付いていきますよ」

「そう、好きにしたら良いわ」


 こうして大家さんに付いていくことにした俺だが、なんだか妙に気恥ずかしい。考えてみれば大家さんと一緒に出掛けて行動を共にするというのは今回が初めてだった。


「さっきから何ソワソワしてるのよ。そんなに心配しなくても誰も実際の貴方が無職で甲斐性なしのヒモ男だとは思わないから大丈夫よ」

「俺もそんな心配はしてませんよ。あと俺はヒモ男じゃないです。今のところは」

「そうね、少なくともヒモ男ではなかったわね」


 何だ、その含みのある言い方はまるで他は本当のことみたいに……って無職で甲斐性なしっていうのは本当のことか。テヘッ。


「それで、そういうことじゃなかったら一体何なのよ」

「なんと言いますか大家さんと一緒に出掛けるのはこれが初めてだなって思いまして」

「何を言っているの。一緒に出掛けるというのなら毎日銭湯に出掛けているじゃない?」


 確かに銭湯には一緒に行っているかもしれないがそれと今の状況は少し違う。第一、銭湯で一緒なのは行き帰りの道中だけで他は別々だ。


「銭湯は少し違うと言いますか。ちゃんと一緒にいるのはこれが初めてですよね」


 はい、俺は一体何を言っちゃってるんですか。なんだかよく分からないがすごく恥ずかしいことを言っているのは間違いない。


「そう、つまりは私とちゃんと一緒に出掛けるのが初めてだから落ち着かなくてソワソワしていたと。中々に気持ち悪い理由ね」


 そんな急角度で心を抉りに来るなんて流石は大家さん、俺に容赦のかけらもない。


「悪かったですね。俺だって好きでソワソワしてるんじゃないです」

「私も好きでこんなことを言ってるわけじゃないわよ」


 それってもしかしてさっきのは照れ隠しとかそういうことなのかしら。全く大家さんは素直じゃないんだから。


「ただ勝手に口が動いてしまっただけなのよ。無意識って本当に怖いわね」


 そうですか、無意識でということはつまり本心から気持ち悪いと思ったわけですか。そういうのはせめて心の中だけにしまっていて欲しかった。


「ほら、足が止まってるわよ。私に付いてくるんでしょう?」

「そうでしたね」


 それからというもの俺は大家さんに付き合って建物内の色々な場所を巡った。


 当初の目的である涼むこと自体は十分に達成されて体力は回復したはずなのだが、どうしてだか心だけやけにすり減っているような気がした。いや、気がしたではなく確実にすり減っていた。

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