7.大家さんと歓迎会準備

 とある日の朝、目が覚めると部屋にはいつものように大家さんの姿があった。

 しかしそんな状況であっても特に驚きはなく、俺はさっさと布団を畳んで押し入れの中へと片付ける。

 なんだか大家さんが朝部屋にいるという光景に段々と慣れてきてしまっている自分が怖いが、今更どうすることも出来なかった。


「おはよう、ようやく目が覚めたのね」

「はい、お陰さまで気持ちの良い目覚めでしたよ。ということでもう用事は済みましたよね。早く帰ってください」

「そんなつれないこと言わなくても良いんじゃないかしら。私は善意……もとい暇だから面白半分で貴方を起こしに来てあげているのよ?」

「それ本心と建前が逆になってますから」


 とはいっても大家さんの口から善意で起こしに来たという言葉が出てきたら、それはそれで怪しい。結局彼女は何を言っても怪しい。


「それはそうとこの前挨拶に来たでしょう?」

「挨拶ですか?」

「ええ、新しく引っ越してきた貴方のお隣さんよ」

「ああ、そういえば挨拶に来ましたね。それがどうかしたんですか?」


 どうしてそんなことを聞くのかと大家さんの真意を問えば、彼女はニコッと笑って俺の肩に手を置いた。


「彼女には何も話してないわよね?」


 そうか、確か大家さんは俺の隣人──須藤さんの前ではあの気味の悪い話し方をしていたか。


「口止めですか?」

「口止めではないわ。確認よ」


 それにしてもどうして俺の前では最初からあの話し方をしてくれなかったのか。出来れば俺にもあんな感じで優しくして欲しかった。


「何も話してないですよ。というか何か話す前に逃げられましたから」

「貴方、女性なら誰でも構わないのね」

「何で俺が何かしちゃった前提なんですか。何もしてないですって」

「本当かしら、自分の胸に手を当ててよく考えてみなさい。ほら、貴方が彼女を襲おうとしている時の光景が頭に浮かんで来るでしょう?」

「いや浮かんで来ないですから、俺のことを一体何だと思ってるんですか」

「女性に飢えた獣よ」

「今まで結構酷いこと思ってたんですね」

「半分ジョークよ」


 じゃあ残り半分は照れ隠しとかかな。全く大家さんは素直じゃないんだから、もう。


「とにかく俺は何もやってません。そんなに疑うなら本人に聞いてみて下さいよ」

「そう、そこまで言うのなら何もしていないというのはどうやら本当みたいね」


 そうですか、俺はここまで言わないと信じてもらえないんですか。なんだか悲しくなってきた。


「それで今回の用事はそれだけですか?」


 用事が済んだのなら早く帰ってくれという意味を込めて大家さんに質問すれば、彼女は嬉しそうに首を横に振った。


「貴方にとっては残念でしょうけどまだあるわよ」

「なんですか……」


 ホント、この人は俺が嫌そうな顔をすると途端に楽しそうな表情するよな。ある意味良い性格してる。


「ちょっと外にある物置まで来て欲しいのだけれど良いかしら? 先に外で待っているわよ」


 大家さんにそう言われたため着替えてから外に出る。そうしてアパートの一階にある物置小屋へと向かうと、そこには年季の入ったバーベキューセットがあった。


「ようやく来たわね。これを見て頂戴」

「バーベキューでもするんですか?」

「そうね、新しい入居者が来たときには大体バーベキューで歓迎しているのよ」

「そうなんですか。俺のときはそんなことしてもらった覚えないんですが」


 そう、バーベキューのバの字も聞いていない。


「そういうときもあるわ」

「忘れてたんですね」


 少々寂しいが大家さんも人間だ。忘れることだってある。そう、これは仕方ないことなのだ。別に歓迎されていなかったとかそういうわけではないのだろう。


「私が忘れるなんてことあるわけがないじゃない。貴方だから敢えてやらなかっただけよ」

「それ、忘れてたよりタチ悪いです」


 最初から俺の扱いだけが酷い気がするのは気のせいだろうか。ここは嘘でも忘れていたと言って欲しかった。それもそれで悲しいが。


「冗談よ、今回は貴方の歓迎会も兼ねているの」

「本当ですか?」

「ここで嘘を言うわけがないじゃない。あの時は人数がいなかったからこの企画を開催出来なかっただけでそれなりに人がいたら歓迎していたわよ」


 確かに俺が仕事を止めてここに引っ越して来たときには本当に人の気配がなかった。

 俺と大家さんの二人だけで他には誰もいなかったのだ。流石に二人でバーベキューというわけにもいかなかったのだろう。


「確かにそうでしたね」

「そういうことよ。それで今回貴方を呼んだ理由なのだけれど……」


 はい分かっていますとも。この状況で分からない俺ではありません。


「掃除ですよね」

「あら、良く分かったわね。その通り、このバーベキューセット一式を掃除して欲しいのよ」


 しばらく使っていなかったのだろう。大家さんが指したバーベキューセットには埃が被っている。これは掃除しがいがありそうだ。


「じゃあ後はよろしく頼むわね。掃除道具は物置の中にあると思うから」

「分かりました!」

「何だか今日はやけに元気が良いわね……」

「え、そうですか?」


 だってただで肉が食べれますからね。普段うどんか蕎麦かラーメンしか食べない俺にとってはご馳走です。


「まぁ良いわ。私は食材を買ってくるから……あと掃除が終わったらそのまま準備をお願いしても良いかしら?」

「はい、そちらもお任せを!」

「そう……じゃあ行ってくるわね」


 大家さんは最後に俺を変なものでも見るかのような目で見てから、近所のスーパーの方へと向かった。

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