6.大家さんと良き隣人
季節はすっかり夏、昼も夜も虫の音がうるさい今日この頃。俺は珍しく近所の散歩に出かけていた。
いつもなら部屋に引きこもってゲームをしているのだが、今日はどうしてもそう出来ない理由がある。
それは引っ越し、なんとあのボロアパートに今日新たな入居者がやってくるのだ。しかも部屋はずっと空いていた俺の隣。
「それでなんで俺は追い出されたんですかね」
そう、俺は別に自主的に散歩をしているわけはなく、ただ部屋を追い出されただけなのだ。正直なんで追い出されたのか全く見当もつかない。
部屋の前をうろちょろされるのが邪魔なだけなら大抵部屋に引きこもっている俺には関係ないし、ゲームをしている音がうるさいだけなら言ってくれれば静かに出来る。
にもかかわらず大家さんから受けたのは外出要請、しかも出来るだけアパートの近くには来るなということらしい。
「そんなに俺はいたら不味い人間ってことか」
どちらかというと、いたら不味い人間なのは大家さんの方なんじゃないかと思っていたところで、自分がいつの間にかアパートの近くまで戻ってきてしまっていることに気付いた。
こんなところを大家さんに見つかったら何を言われるか。そういった思いからすぐにこの場を引き返そうとした矢先、アパートの方から女性同士の会話が聞こえてくる。
「大家さん、今日は色々とありがとうございました」
「いえ、そんなことはないですよ。困ったことがあったらいつでも相談しに来てください」
「はい、困ったときは是非そうさせていただきますね。本当にこのアパートの大家さんが女性の方で良かったです」
「あまり住みやすいところだとは言えないけれど、これからよろしくお願いしますね」
「こちらこそお願いします」
この聞き覚えのない女性の声はもしかして新しい入居者だろうか。なるほど、まぁそれは良いのだが……。
「あの人だれ?」
見た目はいつも通りの大家さんなのだが、綺麗な言葉遣いのせいで別人にしか見えない。というかもう別人だった。
でもそうか、大家さんが俺をアパートから追い出したのは今の姿を見られたくなかったからなのか。
確かにあの大家さんが今の感じで敬語を使っていたら普通に笑ってしまうかもしれない。
「じゃあ私は戻りますね」
「はい、今日は本当にありがとうございました」
というわけで笑いを抑えきれずに小さく笑っていると、その途中階段を下りる大家さんと目が合った。不味い、バレた。
目が合った途端、まっすぐこちらへと向かってくる大家さん。彼女は俺のすぐ目の前までやって来ると、先程まで新しい入居者に向けていたものと同じ笑顔を浮かべ、俺に声を掛けた。
「あら、ナッキー。もう戻ってきてしまったのね」
「はい……なんかすみません」
「何で謝るのかしら? 別に私は怒ってないわよ?」
嘘だ、こんなにも笑っている大家さんが怒っていないわけがない。
「あの、一つだけ言い訳してもいいですか?」
「何かしら?」
「気付いたらいつの間にかここに戻ってきてしまったとか言ったら信じてくれます?」
ここは相手の様子を窺うように、相手を刺激しないように下手から大家さんに訴えかける。
そんな俺の言葉が大家さんに響いたのか彼女は深くため息を吐くと、やれやれと首を横に振った。
「そうね、貴方は私の言い付けを破るタイプの人間ではないものね。勝手に勘違いしてしまってごめんなさい」
「……大家さん」
「これは貴方が小さな子供ですら理解できることも理解できないどうしようもない人間であるということを考慮していなかった私のミスだわ」
あの大家さん、お得意の謝りながら人を貶すのはどうにかなりませんか。
「……こんなことになるなら縛ってどこか遠くの場所に監禁でもしておけば良かったのかしらね」
さらっと怖いこと言うの止めていただけませんか。
「まぁ冗談はこのくらいにしておいて、もう部屋に戻っても良いわよ。早くハウスしなさい」
俺は犬ですか。
とにかくここは大家さんの言う通りさっさと部屋に戻るとしよう。これ以上彼女の機嫌を損ねても俺には何のメリットもないのだ。
というわけで俺は大家さんから逃げるようにそそくさと自分の部屋に戻った。
部屋に戻って少し経った頃、俺はいつものようにゲームをしていた。久しぶりの静かな時間、この時間に大家さんが部屋にいないというのはどこか新鮮だった。
「この時間を有効活用しなくてどうする」
久しぶりに誰の邪魔もなく、昼間にゲームを出来る喜びを噛みしめながらゲームをしていると突然部屋に来客を告げるインターホンの音が鳴り響いた。
『あれ、この部屋ってインターホン付いてたんだ』とかそういうことを真っ先に思ってしまうのは恐らく大家さんのせいなのだろう。
それはそうと人を待たせるのは悪い。急いで玄関へと向かいドアを開けると、そこには先程大家さんと話していた見た目大人しそうなショートヘアの女性が立っていた。
「今日ここに引っ越して来ました……」
目の前の女性は俺の姿を見るなり、突然固まってしまう。
あれ、どうしたんだこの人。
おーい、といくら手を振っても何の反応も返ってこない。
もしかしたら人違いだったのかもしれない、とそう思ってドアを閉めようとすれば女性は慌てた様子で再び動き出した。
「あ、あのちょっと待ってください!」
「あれ、人違いじゃなかったんですね」
だとしたらさっきの間は何だったのだろうと疑問に思っていると、続けてその女性はやや遠くの方から包装が施された箱を俺に向かって突き出した。
「あ、あの私は今日隣に引っ越して来ました
「これはご丁寧にありがとうございます」
しかしながら何だろう。今の彼女──須藤さんの姿勢は明らかに俺から少しでも離れようとしているように見える。
「で、では私はこれで!」
それでも気にせず突き出された箱を受けとれば、須藤さんは逃げるようにこの場を去っていった。
これって俺が何か悪いことでもしたのかしら?
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