4.大家さんと草むしり

 お昼下がり、昼食を済ませた俺はペットボトルのお茶を片手に共有スペースであるアパートの庭へと来ていた。天気は良好、時間帯も時間帯なので気温はかなり高く、既に夏本番のような暑さになっている。


 そんな炎天下といっても過言ではない暑さの中、俺は自前のタオルを頭に掛け、草むしりという地獄の作業を始めた。


 そして作業を開始して早々、俺には一つだけどうしても気になってしまうことがあった。


「あの、ちょっと聞いて良いですか?」

「何かしら? ナッキー」


 俺の問い掛けに対して白のワンピースに麦わら帽子という夏の出で立ちに身を包んだ大家さんはこくりと首を傾げる。

 そんな彼女に流石に嘘だよねと思いながらも俺は気になったことを素直に口に出した。


「大家さんは草むしりしないんですか?」


 さっきからずっと日陰にいる大家さんに対して思ったことを口に出せば、彼女からは正気を疑うような目を向けられる。


「私? 何を言ってるのよ、ナッキー。私がこんな暑い中で作業したら倒れてしまうでしょう?」


 そんな暑い中で働かされている俺のことは一体どうお考えなのでしょうか、大家さん。


「俺は大家さんの身代わりってわけですか」

「別にそういうわけではないわ。私は貴方が倒れたところですかさず駆けつける救護班的な役割なのよ。もし二人で一緒に作業して二人同時に倒れでもしたら大変でしょう? だから私はこうして体力を温存しているの。いつでも貴方を助けられるようにね」


 確かに仰っていること正しい気がするが、日陰のベンチで足をブラブラさせて座っている姿はどうにもただ涼んでいるようにしか見えない。


 本当にそうなのかと疑いの視線を大家さんに向ければ、彼女はニコッと笑って何かを誤魔化した。


「まぁ大家さんはそういう人だって分かっていましたから別に良いですけど」

「随分なことを言うわね、私だって本当は手伝いたいのよ?」

「そうですか」

「そうよ」


 果たしてそれは本心なのか。

 どうでもいいがとにかく暑い。せめてうちわとかで扇いでくれれば文句もないのだが。


「ところで大家さんはどうして大家さんになったんですか?」


 せめて暑さを紛らわすための会話には付き合ってもらおうと大家さんに質問すれば、彼女は『そうね』と一言呟いてから言葉を発した。


「どうしてと言われても困るのだけれど。気付いたら大家さんだったって感じかしらね。この場所は元々私の祖父が管理していた場所だったのよ。それを私が譲り受けたというわけ」

「そうなんですか」


 まぁ俺とそう変わらない年でボロアパートとはいえ大家さんというのも珍しい。言われてみれば納得の出来る話である。


「今度は私が聞いても良いかしら?」

「どうぞ」


 一体何を聞いて来るのだろうか。この流れだと俺が仕事を止めた話とか聞いてきそうだ。まぁ別にもう何も思うところはないので問題ないのだが。


 さぁ聞いてこいと大家さんの目を見ると、それを見た彼女はいつも俺をからかって遊ぶときのような意地の悪い表情で笑った。


「じゃあ聞くけれど、貴方の初恋っていつなのかしら?」

「はい? もう一度お願いします」

「貴方の初恋はいつなのかしらと聞いているのよ」


 残念ながら聞き間違いじゃなかった。

 大家さんのあの表情は確実に俺をからかうときのものだ。出来れば相手にしたくない時の表情だが大家さんが答えた手前、俺が答えないわけにもいかない。


 仕方ないとため息を吐く。


「そんなのないですよ。残念ながら俺は恋にうつつを抜かすほど脳内お花畑じゃなかったんで」

「あら意外ね。ということは今までお付き合いした女性もいないのかしら?」

「まぁそういうことです……」

「そう、確かに無理よね」


 いやちょっと、そんな当たり前みたいに納得されたら流石に俺も泣いちゃうから。


「でも大丈夫よ。貴方ならきっと大丈夫。私が保証するわ」


 何を根拠に大丈夫って言ってるの? この人。

 社会的地位で言えば現在下の方にランクインしている男だぞ。女性からしたら不安しかないだろうに。


「適当なこと言わないで下さいよ。第一仕事もしてないのに誰かと付き合うなんて無理ですって」

「そう? 頑張れば案外なんとかなると思うのだけれど。でも駄目だったとしても大丈夫よ。その時は私が貰ってあげるわ」


 え、マジですかそれ。

 ……って騙されてはいけない。俺はきっとまた大家さんにからかわれているだけなのだ。そう、きっと『貴方の貯金だけは貰ってあげるわ』とかそういう魂胆だろう。


 騙されないぞ、と大家さんを睨むと彼女は再び意地の悪い表情で笑った。


「あら、私じゃ不満なのかしら? せっかく私のような可憐な女性がお付き合いしてあげるって言ってるのに貴方って随分と勿体無いことをするのね。なんなら結婚して上げても良いわよ?」


 え、やっぱり本気で言ってたの?

 どうしよう、これってもしかしてプロポーズというやつなんじゃないか。こんな状況でプロポーズなんてちょっといきなり過ぎて心の準備が。


「ちょ、ちょっと待って下さい。心の準備がまだ──」

「そうそう、お付き合い始めたら共有の銀行口座を作りましょう。大丈夫、心配することはないわ。その口座で貴方のお金は私がちゃんと管理して、ちゃんと有効活用してあげるから」


 舞い上がっていた感情が一気に平常通りへと戻っていく。

 うん、分かってたよ。最初からそういうことだとは思っていた。ええ、分かっていましたとも。


「……とまぁ冗談はこれくらいしておいて、さっさと草むしりを再開して頂戴。さっきから手が止まってるわよ」

「そうですよね、分かりました……」


 ああ、大家さんがこんなにも俺の純情を弄んでくるなんて。もうお嫁にいけない。


「やけに元気がないわね。もしかしてさっきの冗談を真に受けてしまったのかしら。だとしたらごめんなさい。いくら貴方に興味がないからとはいえ、ちょっとやり過ぎたかもしれないわね」


 あの、謝るか傷を抉るかどっちかにして欲しいです。出来れば謝る方で。


「大丈夫です。俺は全然気にしてないですから」

「そう、なら良かったわ」


 それにしてもこの草むしりは一体いつになったら終わるのだろうか。絶対に一日だけでは終わらない気がする。


 どうしてこんなにも面倒な作業を引き受けてしまったのだろう、と後悔をしながらも俺は雑草を一つずつむしってはゴミ袋の中へと放り込んだ。

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