第17話 前向きな灰色
「まぁ気にするな。俺もよく噛むから」
「あぅぅ・・・・・・」
俺の雑なフォローでは隣で小さくなっている色識さんを元気付けることはできなかったようだ。
俺は結局、色識さんの申し出に頷いてこうして二人で帰っている。
誰かに見られるのは嫌だったので一度別れて学校の外で待ち合わせをした。
色識さんは、そういうのは気にしないのだろうか。男女が一緒に帰っていたら十中八九付き合っているようなものだ。それを他の生徒に見られたりしたらどうせ囃し立てられるに違いない。それに俺と色識さんは、すでに破局している。そういうのが好きな奴にとっては恰好の餌だろう。
横目で色識さんを見る。
相変わらずの長い髪。それなのに清潔感があって靡く後ろ髪はシルクの布のように艶がある。両手でスクールバッグの紐を握りしめてたどたどしく歩く姿は小動物のようで、だけど時折見せる綺麗な所作に惹かれてしまう。華奢な肩、慎ましく盛り上がる胸元に美しく曲線を描いたくびれ。スカートの丈が長いためよく見えないがきっと足も綺麗だ。見れば見るほど魅力が詰まった彼女は外見だけでなく内面も女神のように優しい。自分の不幸よりも他人の幸せを気にかけてあげられる、そんな彼女を俺は、突き放したのだ。
色識さんは可愛い。それは誰でもない、この俺が保証する。間違いない。だが、それが好きという感情なのかと問われると違うのかもしれない。
以前楠木は言った。難しく考えすぎ、と。
別に難しく考えているわけではない。むしろ適当だ。真剣に取り組んだわけでもないし、行き当たりばったりで思い付きの回答をそのまま提示しただけ。むしろ難しいのは、問題そのものだ。
人を好きになるだとか、恋をするだとか。そんな問題、突然出されたところで回答を導き出せるわけがない。そもそも男女の関係以前の問題だ。人と関わる事を避けてきた俺が、まず人に好意を寄せるということができていないのだから。
最近は、楠木と二人きりで昼飯を食べたり、デート紛いのこともした。美容室に行って外見も整えたし服も買った。だがそれは、あくまで誰かが擦り寄ってきたから。人と関わる事に悦を感じる存在にただ振り回されていただけの俺は、関りを避けたいと言いながら明確な拒否をする勇気もない臆病者だ。
「てっ、天気。いいですねっ」
沈黙が続いたこの空気に、最初の一手が投じられた。だがその一手はあまりにも貧弱で無意味なものだった。それでもきっと必死に考え、絞り出したのだろう。
「曇りだけどな」
空は灰色だ。雨が降る予報は出ていなかったはずだが、少なくとも晴れてはいない。
「そ、そうですよねっ。でも、私はこの天気が好きなんです」
「そうなのか? なんか暗いし気分の良くなるものでもないと思うが」
「確かにそれは言えてますけど。佐保山くんは雨と晴れ、どっちが好きですか?」
「そりゃあ晴れだろう」
雨が降っても喜ぶ奴なんて、おそらくカエルと健人くらいだ。
「じゃあこの後、空は晴れると思いますか?」
「どうだろうな。天気予報では雨のマークはついてなかったから降らないだろうが・・・・・・。まぁいずれは晴れるだろうさ」
「そうなんですっ!」
うわ、びっくりした。何かと思えば色識さんが珍しくキラキラした目を前髪の隙間から覗かせている。
「今は灰色に染まって閉鎖された空ですけど、明日になってみたらそれは綺麗な青になっているかもしれません。残念ながら、雨かもしれません。それは分かりませんが、少なくともこの曇りきった空は変わろうとしているんです」
空は変わろうとしている、か。なんていうか、色識さんらしい素敵な表現だと思った。
「さっき佐保山くんが言ったみたいに、今日が曇りでも、明日が雨でも、いずれは必ず晴れます。きっとこの空は変わってくれます。だから、くよくよするなと、悲しいことがあってもその次には素敵なことが待ってるからって、そう言ってくれている気がするんです」
「なるほど」
「だから、好きなんです。晴れにも雨にもなれないあの曇り空は、きっと変わろうと頑張っている前向きな灰色だから」
空一面に広がる埃のような汚い雲を綺麗な眼差しで見つめる色識さんは強くそう言い切った。
「いいと思う」
「え?」
俺の反応に少し驚いた様子だ。一体どんな反応を予想していたのだろうか。それはおそらく、経験則として「そうか」と生返事が来ると思っていたのだと思う。今までの俺だったら間違いなくそう言っていたことは間違いない。
だが、どうしてか俺は色識さんの話に肯定的に意見して、気づいたら優しい口調で言っていた。
「そういう考えは、なんていうか前向きっていうかさ。卑屈になるよりもずっといいんじゃないか」
自分でも似合わないセリフだと思った。どの口が言うのだと。
「えっと・・・・・・」
ほら見ろ、色識さんだって困っている。今頃目の前にいる俺が本当に佐保山天なのか疑問を張り巡らせているに違いない。
「ありがとうございます」
照れたように笑う色識さんに、俺は頬を掻きながら「あぁ」と返事をするだけだった。
「あ、そうです」
ほんのり上機嫌な色識さんは何かを企む子供のように俺の顔を覗き込んでくる。色識さんが何かひとつの動作をすると、それに合わせるように長い髪が美しく靡くのでいちいち目を奪われそうになる。
「確かこの辺りでしたよね、ゲームセンター」
「え? ああ、そこの角曲がったとこにあるな」
コンビニの隣にある、古びたゲームセンター。看板の電球はほとんどが電気がつかなくなっていて、夜になるともはや文字として成立していない異国の呪文のようなものが妖しく点いていることで有名なところだ。最新のゲームは全然置いていないので俺はほとんどあそこには行かない。ほんの数回だけ行ったことはあるが、確かその時は俺と色識さんが付き合っていた時だった気がする。そこが、どうかしたのだろうか。
「もしよかったら、今から行きませんか?」
「別にいいけど何――」
何しに行くんだ、と言いかけて途中でやめた。
「わかった、行こう」
そう言うと色識さんは「やった」と小さく呟き、胸に置いた握った手はガッツポーズをしているかのように見えた。
「すまん」
ゲーセンに入ってしばらくして、俺は色識さんに頭を下げていた。
「なにが、ですか?」
しかしキョトンと色識さん。
「こんな長い時間付き合わせて。疲れただろ」
オタクの悪いところが出たなと自分の中で少し反省。結局俺は色識さんの横でゲームをひたすらプレイするだけしてそれだけで時間を潰してしまった。
学校帰りだ。きっと眠いだろう、早く帰りたいだろう。俺がゲームをしているところなんて見たところで毒にも薬にもならない。いや、毒にはなるかもしれない。そんな無駄な時間の浪費に付き合わされたのだからたまったものではないはずだ。いくら色識さんが優しいとは言っても口に出さないだけでそう思っている可能性は否定できない。のだが、
「いえ、楽しかったです」
屈託のない笑顔とはこのことだろうか。ほんの少し首を傾げているところもまた可愛らしいと思ってしまった。
「見ているの、好きですから」
「・・・・・・そうか」
視線が右、左に動いて、結局正面。俺を見据えて視線が止まる。
色識さんが言うのなら、そうなんだろう。まぁ、女の子をゲーセンでに連れまわすのは極力控えよう。
「あ・・・・・・」
すると、スマホを見た色識さんが掠れた声を漏らした。
「ごめんなさい。お母さんが今どこにいるのかって・・・・・・」
「ああ」
色識さんにはちょくちょくこういうメールがお母さんから送られてくるらしい。別に家が厳しい家系だとかそういう訳ではない。色識さんも「もう」と頬を可愛らしく膨れさせていた。多分色識さんのお母さんはただ単純に我が子がどこでなにしてるか心配なのだろう。
色識さんは優しすぎるところもあるし人を疑わなさすぎる。それに断るのも苦手だ。それでいてこれだけ可愛いのだから変な男に引っかけられていないか不安なのだ。すみませんお母さん、ゲーセンに連れまわしています。
「もう帰るか?」
「いえ・・・・・・」
色識さんは意外にもすぐ帰ろうとはせずに、ずっとスマホの画面と難しい顔で睨めっこしていた。
「でも、お母さんは心配しているんだろ? 早く帰ってあげたほうが安心すると思うぞ」
「ですけど・・・・・・」
どうも煮え切らない色識さんだった。なんだ? 帰りたくない理由でもあるのか?
「私・・・・・・!」
堰を切ったように、そして縋るように喉を通ったその声は、
「いえ、なんでもありません・・・・・・」
続く言葉を紡ぐことなくゲームの電子音に混ざっていった。
それでも、やはりその場を動こうとしない色識さん。
「あのさ」
もしかするとこれは俺の壮大な勘違いなのかもしれない。だから一歩間違えればとんだ滑稽な発言だ。それでも俺は、そんなことを危惧する前にすでに口を開いてしまっていた。
「また暇な時は・・・・・・一緒に帰ろう」
そう言うと色識さんは、少し驚いた様子で固まり、やがて、
「はい。・・・・・・はい!」
最終的には、笑ってくれた。その笑顔を見て、今の俺の言葉は間違ってはなかったとそう思いたい。
「私、もう帰りますね」
「おう、送っていこうか?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です、駅近いですし」
「ん、わかった」
もしかしたら送っていくよ、と言ったほうが良かったかもしれない。疑問形で聞いたら、絶対色識さんは遠慮するから。それか適当な理由をつけて俺も用事があるからと一緒に駅に行けばよかった。まぁそんな気遣いノータイムでできるほど俺は気が利く男じゃない。
「気をつけてな」
「はい、ではまた」
色識さんは小さくお辞儀をして、店を出る前にもう一度お辞儀。店を出て、駐車場を超えたその先の歩道まで行ったあたりでもう一度お辞儀をした。俺はそんな様子を微笑ましく思いながら、控えめに手を振った。
一人残されたゲーセン。いつもは心地よく感じるゲームの音も、今だけは少しうるさく感じた。
「俺も帰るか」
もうすでに六時半を回っている。だいぶのめり込んでしまっていたらしい。ああは言っていたがやはり色識さんには申し訳なく思う。
「本人は構わないとは言っても、また一時間近く女子をゲーセンに付き合わせたなんて言ったら楠木は怒るだろうな」
頭の中に「信じらんない!」と眉を歪めてピーピーと騒ぐギャルの顔が思い浮かぶ。
「あれ?」
と、そこでなにか大事。いや、そこまで大事ではないのだが、なにか忘れていることに気が付いた。
思考を巡らせながら店を出ると道端にタンポポが咲いていた。あぁ、最近温かくなってきたしもうそうんな時季かと思いつつ・・・・・。
「あっ!!」
俺は楠木との約束を思い出すのであった。
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