第16話 淡い放課後に
「そろそろ戻ろっかぁ~」
弁当を片付けて、楠木が言う。
今日の弁当も、非常に美味しかった。ハンバーグなんて一人暮らしじゃせいぜい冷凍食品でないと食べられないので、俺の腹も大満足だと上機嫌だ。しっかりと野菜も添えられていて、生野菜の新鮮さが体を潤してくれた。
胃袋を掴まれるというのはこういうことなのだろうか・・・・・・。
「ねね、今日の放課後暇? 暇でしょ?」
いつかのように失礼な物言いで人のスケジュールを聞き出そうとしてくる。結局俺の返しは同じだ。
「まぁ暇」
「じゃあさ! 今日ウチに遊びに来てよ! ちょっと渡したいものがあるからさ!」
「えっ!?」
楠木の、家に、遊びに行く!?
女子の、家に、遊びに行く!?
「ちょっと、なに赤くなってんの」
そんな俺を見てケラケラと笑う楠木。
「期待させちゃって悪いけど、今日あたし店番なの」
別に期待なんてしていない。
「だからあんまりおもてなしはできないかもしれないけど、一回来てみてよ。大丈夫押し売りみたいなことはしないから」
「まぁ行けたら行く」
「ホント!? 絶対だよ!?」
行けたら行く、だなんて断るときの常套句だろうに。気づいていないのか楠木は嬉しそうにはしゃいでいて挙句ガッツポーズまでしていた。
「じゃあ、放課後ね! よろ!」
「へいへい」
そう言葉を交わした俺と楠木は、礼の如く楠木が最初に教室に戻り、俺はふぅ、と溜め息をついて時間を潰した。
楠木の家、か。
場所は分かる。何度も通ったあのエセ商店街にある青い店だ。別に遠くもないしむしろ帰り道。行こうと思えば行けるのだが。
「俺、最近変だ」
とりあえず、今日の予定を頭の中でぼんやりと変更しながら、草をかき分けて教室に戻ることにした。
ホームルームが終わり、俺はというと半覚醒状態の脳を必死に動かし席を立とうしていた。
連絡事項を伝え終えたあと、いつもならそのまま挨拶をして解散となるのだが、今日ばかりは何故か担任は「そういえば」と口火を切り日本の労働状況について熱演を始めたのだ。労基ギリギリの残業時間を良しとするなとか、社員に有給を取らせるのは会社側の義務だとか。きっと、担任は昨日あたりになにかあったのだろう。だが、学生の俺達にそんなことを言われたって仕方がないし、今いちピンと来ないその話は言ってしまえばつまらなかった。
それに何がタチ悪いってその話がまぁ長いこと長いこと。見ると楠木なんかは時計を気にしながらそわそわしていた。店番があると言っていたし「早く終わって!」と言いたげに足をバタつかせていた。
一方俺は、一日の疲れが溜まっていたこともあって眠気が来襲し、半分担任の愚痴大会になったあたりで目を閉じた。
そして今、目を覚ました。
多分あれから十五分くらい経っただろうか。段々と騒がしくなってきた教室の中で俺はぐったりしていた。
「ふわ・・・・・・」
もう楠木は家に着いた頃だろうか。
行こうが行かまいが、どちらにせよ一度家には帰りたいので机にかかったカバンを手に取るとゾンビのように立ち上がり教室を出ることにした。
「げぇ」
しかし俺としたことが、どうやら出るタイミングを間違えたらしい。
この時間帯は部活動や委員会に所属する生徒達が準備に取り掛かり教室を移動したり、帰宅部の集団が横並びに歩きながら談笑をしたりと、そんな奴らが蔓延る時間なのだ。まるでスクランブル交差点。人と人とが物理的に交わりあう気色の悪い光景を眉間にシワを寄せながら眺め、俺は合間を縫うように歩いた。
ふと、前方に見覚えのある後ろ姿を発見した。
色識さんだ。
なにやら本を抱えてヨタヨタと歩いているようだ。確か彼女は図書委員だったので、その仕事だろう。
「大丈夫かよあれ」
色識さんが抱えた本はおそらく十冊を超えている。色識さんの背丈を超えた本はゆらゆらと揺れていて非常に危なっかしい。
「あっ」
そしてその状態が続けばどうなるか、想像する前にそれは現実となった。
大量に人とすれ違う中、横からやってきた二人組の生徒が色識さんにぶつかったのだ。当然その衝撃で本はぐらつき、床に見事に散らばった。その二人組の生徒は気付いていないのか、そのままケラケラと楽しそうに話をしながら遠くへと去っていった。
おいおい・・・・・・。
色識さんはいそいそと本を拾おうとするが、次々にやってくる人の波に邪魔されて手を引っ込めてしまった。
色識さんは影が薄く誰にも感知されない特殊能力を持っている。という訳ではない。廊下に落ちている本を、踏まないように避けてみな歩いている。気づいているのだ。
気付いていながら、拾おうとしないのだ。みな自分のことで精一杯なのだ。先輩から頼まれごとをされた。先生に呼び出された。嫌なことがあって落ち込んでいる。きっと様々な理由だろう。
俺だってきっと彼らと同じ立場だったら無視を決め込むと思う。だって用事があるというのに他人になんて構ってやるメリットがない。もし面倒ごとに巻き込まれてその用事に遅れたり、支障が出ることになったらたまったものではないからだ。
『それはあの人もきっと同じでしょうから』
「・・・・・・」
先日の色識さんの言葉が蘇る。
もし、本を拾い終えたその後に声をかけたら。またそう言うのだろうか。
いいんです、きっとみなさん急いでますから。と、また笑うのだろうか。
ああ、クソ。人間の脳は余計なもんばかり記憶してしまう。脳裏に焼き付いた色識さんの寂しそうに笑う顔がそのまま通り過ぎようとした俺の足を止める。
一番離れたところに散乱した、重そうな辞書を手に取った。
「えっ?」
すると隣から困惑の声が漏れた。
「佐保山くん・・・・・・?」
「踏まれる前にさっさと拾うぞ」
「う、うん」
床に本が落ちているというのに平気で通ろうとする奴らに「おら邪魔だ」と言って割り込む。邪魔なのは俺達のほうだ。それは分かっている。
だが、どうしてか俺はこの場では色識さんの味方でいたいと思ったのだ。依怙贔屓かもしれない。
そんな俺の活躍(?)もあってものの数秒で本を拾い終えた。
「これ、どこ持っていくんだ?」
「え? えっと、図書館です」
「じゃあ俺も手伝うよ」
「で、でも」
申し訳なさそうに俯く色識さん。
もし、この場で俺が声をかけなかったら、この子はどうしていたのだろうか。
人が少なくなるまで待ったのだろうか。すみません、すみませんと謝りながら一生懸命本を拾ったのだろうか。
昨日だってそうだ。もし俺が声をかけなかったら、悲しそうに項垂れて、一人でトボトボ家へ帰ったのだろうか。
そのことを考えると、胸の奥がキュっと締め付けられた気がした。
「いいよ別に。俺も図書館に用事あったし」
ちなみに図書館なんて一度も行ったない。
でも、なんとなく色識さんに笑ってほしくて、嘘をついた。
「そ、そうなんですか。じゃ、じゃあ」
そして色識さんは、
「よろしくお願いしますね」
えへへ、と照れたように笑った。
「それにしてもこんなたくさんよく一人で持とうとしたな。何回かに分けるかすればよかっただろうに」
数えると本は全部で十三冊あった。そのどれもが辞書や歴史本で、五冊重ねただけでも女子が持つには相当の重さだ。
「ご、ごめんなさい・・・・・・頑張れば持てるかな、って思っちゃって・・・・・・」
「別に謝らなくていいけど・・・・・・」
「あ、そ、その。ごめんなさい・・・・・・あっ」
癖のように再び謝ってしまった色識さんは「ま、また。ごめんなさ・・・・・・うぅ」と三度目のごめんなさいを言いかけたところで何とか踏みとどまった。
「やっぱり私、持ちます」
「いいって、そんな重いもんでもないし」
拾った本は結局俺が全部持つことにした。じゃあ三冊だけ持って、などあまりにも締まりが悪い。
しかし実際のところ、ちょっとだけ持って欲しかった。見栄を張ってみたものの、俺は男子全体で見てもかなりの非力だ。腕立て伏せなんて数を数える間もなく撃沈するほど。故にちょっとでも気を抜けば、積まれた本のタワーは一瞬にして崩壊するだろう。
軋む腕を何とか堪えて俺は言う。
「それに今筋トレしてるから、丁度いいかな」
すると色識さんは、
「そ、そうなんですか? それなら、えぇと・・・・・・頑張ってください?」
どう反応すればいいのか困惑の声色だったが、結局最後は笑ってくれた。
色識さんには、嘘をついてしまう。多分、安心して欲しいからだ。
色識さんはなんでも気負いすぎるところがあるから、いつだって申し訳なさそうにしている。少しくらい、人に頼ったっていいし人のせいにしたっていい。優しすぎるのだ、色識さんは。
「あ、ここです」
図書館の入り口に差し掛かったところで横にある別の扉を色識さんは指差した。ポケットから鍵を取り出して扉を開ける。
「机の上に置いてください。あとは明日、先生がしてくれますから」
「わかった」
言われた通り、机の上に本を置こうとしたその時。
「ぐっ――!」
俺の貧弱な腕はもうすでに限界を迎えていたらしい。
ピリピリと痺れた指先は積まれた本を支えることができない。バラバラと落ちる本。何とか下の方に積んであった本は反射的に腹で押してやって机の上に乗せることができた。
重荷を解いた瞬間迸る差すような痛み。見ると腕と指は真っ赤に変色してしまっていた。
「わ、悪い」
まったく格好悪い。持ってやると言っておいてこのザマだ。
図書館の本を落として傷はついていないだろうか。別に本を大切にする清らかな心を持ち合わせているわけではないが、もし責任を負うことになるとしたらそれは図書委員でなおかつ仕事を任された色識さんだ。
慌てて俺は落ちた本を拾おうとする。が、
「だ、大丈夫ですか!?」
図書委員,その当人である色識さんは乱雑に落とされた本には目もくれずに俺の腕を両手で握った。
「こんなに真っ赤に・・・・・・ごめんなさい、私全然気付かなくって・・・・・・」
今にも泣きだしそうな声で俺の腕を優しく介抱する色識さん。
「俺のほうこそすまん。持てると思ったんだが」
ふるふる首を振って否定される。
「痛いですよね・・・・・・えと、救急車・・・・・・!」
「いやいや! そこまでしなくていいから!」
平静を欠いているのか色識さんがとんでもないことを言いだした。無理をして重い物を持ってたら腕痛めちゃいました。なんて理由で救急車を呼んだりしたら下手したら業務妨害罪になりかねない。
それに痛みなんて、とうに消滅してしまっていた。
痛覚なんてくだらないものを感じとっているほど、俺の脳は余裕がなかった。
柔らかい。
俺の腕を包む色白の手は、まるで羽毛のように軽くて優しくて、慈愛に満ちていた。
そして何よりも、色識さんの手は温かい。
前に楠木の手にも触れた・・・・・・いや、触れられたことはあるが彼女の手はどちらかというと冷たかった。それは外だったからだというのもあるのかもしれないが、同じ女子でもこんなにも違いがあるのかと変に関心してしまった。
「大丈夫だから、ほら。もう赤いのも引いてきたし」
そう言って今もどうしていいか分からず必死に俺の腕を握る色識さんに何とか安心して貰おうとする。
「それに、手。恥ずかしいから・・・・・・」
「え? あっ!」
その一言でようやく自分のしていることに気付いたらしい。顔を俺の腕よりも真っ赤にして「ごめんなさい!」と一歩後退る色識さん。離れていく温もりに少し名残惜しさを感じた。
「本当に、もう痛くないですか?」
「あぁ、この通りだ」
手を回したり振ってみたり、大げさな動作だったかもしれないが色識さんはホッと胸を撫でおろしていた。
「これで最後ですね」
「あぁ、ありがとう」
俺が落ちた本を拾って机にあげると、色識さんはしゃがんで最後の一冊である辞書を俺に手渡してくれた。
その時一瞬、長い前髪が横にずれて綺麗な飴色の瞳があらわになる。どこか妖艶で、それでいて無垢で純真なその瞳を俺は吸い押せられるように見入ってしまった。
胸が跳ねた。
この胸の高鳴りを覚えたのは、二度目。いや、三度目? もっと、何回もあったかもしれない。
「え、えぇっと・・・・・・」
食い入るように見てしまった。色識さんは俺の視線に耐え切れず俯いてしまう。俺も自分がどうしてそんなことをしてしまったのか分からず「悪い」と言って目を逸らした。
気まずい沈黙が続く。
「じゃあ俺帰るわ」
逃げるようにその場を去ろうとする俺だったが。
「ま、待ってください!」
堰を切るように投げかけられた声に足を止める。
振り返ると、胸に手をやって必死に次の言葉を紡ごうとする色識さんがいた。
「今日の仕事、これで終わりなんです」
「そうなのか」
「はい、ですから・・・・・・その・・・・・・」
唇をキュっと噛みしめたあと、
「一緒に、帰りませんきゃっ!」
壮絶に嚙みきった台詞が、静かな図書館に響き渡った。
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