第6話 まがいもの
「・・・・・・!」
しかし、いつまで経っても予想していた展開にはならない。
ふと、目を開けると楠木が口元に手を当てて笑いを堪えている顔が目に入った。
「ぷっ、くくく・・・・・・佐保山その顔・・・・・・あ、ダメ、やばい」
そしてついに我慢できなくなったのか。
「あはははははは! なにその顔、佐保山ほんとに面白いね、ふふっ、ひひ・・・・・・」
腹を抱えて笑うほど俺の顔が可笑しかったのか。
「お前な・・・・・・」
そんな楠木を睨んでやる。
「ゴメンゴメン! でも佐保山、そんな顔するんだ。いつもはむすっとしてばっかなのに、そっちのほうが女子受けいいんじゃない?」
「余計なお世話だ」
一体俺はどんな顔をしていたのだろうか。少なくとも、腹を抱えて笑われるほどにはひどい顔だったんだろう。それを間近で見られたのだから恥ずかしくない訳がなく、俺は華奢な肩を掴んで馬乗り状態の楠木を退けた。
やはりギャルという生き物は油断ならない。少しでも隙を見せればこうして体を使って擦り寄ってくる。どうせ夜には今みたいに金持ちの男に体を売って金を稼いでいるのだろう。そして不純に手に入れた金で高い服やアクセサリーなどを買っている。反吐が出そうだ。
俺は今度こそ立ち上がる。
「ねぇ、怒んないでよ」
俺の睨むような視線に気づいたのか、楠木が縋るように俺を見上げてくる。
「怒ってない。呆れてるんだ」
「えー、でも佐保山、目瞑ったじゃん。それってさぁ、ねぇ? そういうことでしょ」
「それは・・・・・・」
自分の愚かさに顔が熱くなる。男という生き物はどうしてこうも情けないのか。
「まぁまぁそんなところに立ってないで、一旦座りましょうよ奥さん」
楠木はいつのまにか石段の上へと移動していて、空いた隣をぽんぽんと叩く。誰が奥さんだ。
「はぁ・・・・・・」
俺はあからさまに嫌々といった表情をして楠木の隣に腰かけた。
「顔赤くない?」
「うるさい」
俺の顔を覗き込み「ひひ」と笑う楠木。
対して俺は、自分でも分かる程の仏頂面。こういう時どういう顔をすればいいかが分からない。人から避けて生きてきたため、経験値が足りないのだ。故に不愛想。笑うなんてもってのほかだ。
「むぐっ!?」
すると突然。俺の口に何か丸っこいものが突っ込まれた。
「美味しい?」
その正体はどうやら食べ物のようだ。おそるおそる咀嚼してみると中で酸っぱいものが弾けた。しかしほんのりと甘みもあり、新鮮味を感じる優しい味だ。
「トマトか」
「嫌い?」
「あまり好きじゃない。けど、これは美味い」
出されたら食べるが、別に好んで食べる程のものでもない。そんな俺の中で評価されているトマトだが、このトマトはまた食べたいと思える美味しさだった。
「肉と一緒に入ってるトマトってなんか美味しく感じるよね~」
それは少し分かる気がする。
「味はともかくだ。急に人の口にものを突っ込むな」
「だって佐保山、またむす~ってしてたんだもん」
全く理由になっていない気がするのだが。
「ね、これ見て」
少し間を開けた後、楠木が人差し指を俺の眼前に持ってきた。
細く綺麗な指だが、多分楠木が言いたいのはそういうことではないのだろう。そう思って視点を変えると、指先が少し濡れていることに気付いた。すると、楠木はまた、悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「トマト食べた時、あたしの指舐めたでしょ」
「!?」
バカな、そんなはずはない。女子の指を舐めるなど、そんなのただの変態。ドの付く変態ではないか。だが、確かにトマトを口にした時、一瞬ザラりとしたものが舌を撫でた気がした。いやでもまさか。
「どうしよっかなぁ、これ」
人差し指をくるくると回し遊ばせる楠木。次の瞬間、あろうことかその指を自分の口元へと持っていった。
「お、おいバカッ!」
俺は自分でも驚くほどの大きな声でそれを制した。だってマズいだろうそれは、いくらなんでも。
なんとか間に合ったのか、それともハナから楠木にはそんなつもりなかったのか、口目掛けて前進する指は寸前で止められた。
「ひひ、佐保山ってば焦りすぎ」
当たり前だ。これで焦らないのはとんだ澄ましたキザ野郎か、信号を送る脳の機能がぶっ壊れている奴くらいだ。
「ん、返すね」
楠木は指を俺の制服に擦り付けた。そんな妙な仕草に俺は言葉を返すことができず、特に意味もなく自分の唇を拭った。あぁ意味なんてない。
「佐保山の困った顔面白いから、つい虐めたくなっちゃうんだよね」
「俺からしてみればいい迷惑だ」
「あはは、ごめんごめん。ね、またお弁当作ってきてあげよっか。どうせいっつも購買パンなんでしょ? それで夜はカップ麺だなんていつか体壊すよ?」
その申し出は、すごく悩む。楠木の作った弁当は確かにどれも美味しいし、栄養も考えられていてとても助かる。だが、こうして毎日顔を合わせて飯を食うのは勘弁してもらいたい。
食事の時に限った話ではないのだが、やはり、誰かと一緒にいるというのは居心地が悪いのだ。弁当だけ作って下駄箱にでも放り込んでおいてくれなんて考えが過った俺は、世間一般で言う、性根の腐った奴なのだろう。
「あ、でも毎日はマズいか・・・・・・彼女さんに怒られちゃうもんね」
「はい?」
「だから彼女さんにさ。名前、なんだっけ。あ、
いきなり出てきた『過ち』の名前にドキンと胸が不快な跳ね方をしたのが分かった。
「怒られちゃうかな。でもあの子、優しそうだし大丈夫かな、なんて。それとも意外に嫉妬深いタイプ? それだと止めたほうがいいよね。別に二人の仲崩したいわけじゃないし」
「飯を一緒に食べるのがマズいと思う頭があるなら、俺を押し倒したり意味不明な誘惑をしたりするなよな」
「あはは、それは、うん。あたしも分かってる。だからゴメンねさっきは。反省してる」
一瞬困ったように笑った楠木は、やがてしおらしくなり、粗相を犯した犬のように申し訳なさそうに俯いた。
楠木は言動こそぶっ飛んでいるものの、謝罪と礼はきちんと言える奴だ。それはこの少しの時間でも理解できた。だからこうして素直に謝られるとそれ以上咎める気がなくなってしまう。
代わりに、俺は真実を告げた。
「別れたよ。とっくに」
そう言うと楠木はしょぼくれた顔を上げ、「ほぇ?」と間抜けに首を傾げた。
「俺と
「は、え? ちょっと待って。別れたって、ホントに? いつのまに!?」
「三カ月前くらい」
「ウソ! 全然気付かなかった・・・・・・」
呆然とする楠木。
なんでこいつ俺が色識さんと別れただけなのに、まるで我が身に起きたことのように考えこんでいるのだ。
「えっと、言いづらかったらいいんだけど、理由聞いてもいい?」
「自然消滅」
俺は短くきっぱりと答えた。
「別に至って普通の理由だ。多分、俺もあっちもそこまでお互いを好きじゃなかったんだ。時が経つにつれて、一緒に飯を食うことも帰ることもなくなっていった。連絡も徐々にしなくなっていって、そのまま泡のように消滅していった。それこそまるで泡沫の夢のようだよ。あぁ夢であってほしいね」
「佐保山は紫苑ちゃんのこと嫌いなの?」
「そういう訳じゃないが。おそらく、好きとか恋愛とか、そういうのを何も分からないまま付き合ったからこうなった。なんとなくで付き合ったからさ。だから嫌いってほどじゃない」
楠木に説明しているようで、俺は多分、言い訳をしているのかもしれない。饒舌に語る自分の口が嫌いになりそうだ。
「えっと、話を聞く限り最初に告白したのって、紫苑ちゃんってことになるのかな」
「そうだけど」
「意外。でもそっか。言われてみると確かに佐保山が女子に告白なんてするはずないよね、基本受け身だし」
楠木の言う通りだ。自分から告白なんてする訳がない。どうして自ら地雷が無数に埋まっている危険地帯に足を突っ込まなければならないのだ。
「じゃあ・・・・・・紫苑ちゃんは佐保山のこと好きだったんだ」
「・・・・・・ッ」
胸を何かが抉っていった。おそらくその犯人は罪悪感だ。
互いが互いをそこまで好きじゃなかった。恋人持ちというブランド欲しさにとりあえず付き合っておいた。そうであってくれるのが一番ありがたいし、俺としてもそう思いたいのは山々だ。だが、色識さんが俺に告白をしたという事実はしっかりと当事者である俺の脳裏にチリチリと焼き付いている。
色識さんは俺を好きで、その好意を言葉、そしてありったけの行動でこれでもかというくらいに証明してきた。顔を真っ赤にして、時折裏返る掠れた声で。そんな子を、俺は何も言わずに突き放したのだ。
あぁ、面倒臭い。申し訳ないという気持ちも、少しの後ろめたさも、一時の青春も、これからのことも、何もかも。俺が人と関わったから生まれてしまった副産物。告白された時も、黙って無視して帰ればよかったんだ。そうすれば罪悪感だけで終われたものを。
俺がそう、再び人と関わることのバカバカしさを再確認し、一人でひっそりと生きていくことを改めて決意しようとしていた時。楠木は良からぬことを言い始めた。
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