第5話 休息できない昼時のこと
昼休み。俺は校舎の裏、古びた焼却炉が置いてある場所の更に奥の草むらに入る。手入れのされていない草木に囲まれたコンクリートの石段に腰を下ろし、購買のパンを頬張った。
ここは俺の秘密の場所だ。誰にも邪魔されることのない、神聖な場所。少々土臭いが風通しも悪くなく程よい暗さが心地いい。スマホを横に傾け、昨日見損ねたアニメを見ながら一人の時間を楽しむ。やはり一人は良い。誰の目を気にすることもなく好きにくつろげるのだから。
「わ、こんなとこあったんだ」
「うわぁ!?」
茂みが揺れたかと思うと突然体中に葉っぱをくっつけた楠木が飛び出してきた。
秒で破壊された一人の時間。
「あ、もう食べてた? あちゃぁ、もうちょっと早く来ればよかったなぁ。ここ複雑すぎ!」
「な、何の用だよ!」
「うん? 一緒にご飯食べようと思ってさ。ほら」
そう言うと楠木は手にぶら下げた二つの弁当箱を見せた。
「いくら佐保山が低燃費だとは言っても、やっぱりちゃんと栄養は摂らなきゃダメだよ」
良いも悪いも承諾も拒否も何もしていないというのに楠木は俺の横に腰かけた。
「ひゃっ!? なにここ冷たっ!」
素肌が冷えたコンクリートに触れたのか楠木は背をピンと張り小さな悲鳴をあげていた。ならスカートの丈を伸ばせばいいのでは、とそれどころではなく。
「なんでここが分かった」
ここは普通の経路では絶対に辿り着けない、俺とそこらのダンゴムシしか知らない場所だ。
「ごめん、付いてきちゃった」
「は? 付いてきたって」
「佐保山が教室から出て、購買で焼きそばパンとクリームパンを買ってここまで来る間、あたしずっと後ろに付いてきた」
「ストーカーかよ」
「ひひ」
俺がそう言うと楠木は悪戯っぽい笑いをした。
「てか、用事があるならそこまでの過程で声かければよかっただろ」
わざわざそんなストーカー紛いのことする必要性を感じず俺が聞くと楠木は、
「佐保山、みんなの前で話しかけられるの嫌でしょ?」
見透かされたようなその言葉に俺は押し黙る。いや、ような、ではない。見透かされているのだ。おそらく朝の一件で。
「朝はごめんね」
楠木は両手を合わせて申し訳なさそうに謝ってくる。
「別に、いいけど」
「ほんと? ありがと」
俺がそう言うと楠木はホッとしたような表情を浮かべたあと、白い歯を見せて無邪気に笑った。そんな眩しい楠木を見て俺は思わず顔を逸らす。
「まだ食べ始めたばっかでしょ? あたし料理が結構得意でさー自信あるから食べてみて?」
俺の目の前に花びらの形をしたピンク色の小さい弁当箱が置かれる。
「いや、俺まだなにも言ってないんだが」
「一緒に食べるの、ダメ? あ、もしかして人の作った奴はあんまり食べたくない系の人だったりする?」
「そういうんじゃないが」
「じゃあいいじゃん」
完全に主導権を握られた俺。もう楠木の言うことには黙って従ったほうがいいようだ。まぁ、一人暮らしの男的にも炭水化物以外のものを摂取できるのは素直にありがたいので、ここは頂戴しておくことにする。
弁当の蓋を開ける。
「おおう」
思わず声が出た。てっきり女子の作る料理なんて野菜中心のヘルシーなものばかりだと思っていたのだが、開けた弁当の中はほとんどが茶色に占拠されていた。
「お肉、嫌いだった?」
「いや。びっくりした。もう少しカラフルな感じかと思ったが。これは、食べ応えがありそうだな」
「でしょ? お母さんが男の子に作ってあげるならお肉多めにしなさいって言ってたから、特にその肉じゃがはよくできたと思う!」
俺は箸を貰い、楠木の自信ありと太鼓判を押された肉じゃがを取った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
めちゃくちゃ視線を感じる。
「そんなに凝視されたら食べづらい」
「え!? あっ、そうだよねゴメンゴメン」
楠木は「じゃああっち向いてる」と、何もない茂みの方へ顔を向けた。
別にそこまであからさまに意識を離さなくてもいいのだが。俺は楠木のそんな様子を少し可笑しく思いながら肉じゃがを口にした。
「んっ、んまい」
素直な感想が口から洩れる。
「ホント? よかったぁ・・・・・・」
胸を撫でおろす楠木。
派手な恰好をして、高圧的な態度をとるギャルのくせに、こいつは時々こういう普通の女子みたいな反応をする。それがどうも調子を狂わせ、楠木のこの行動の真意を曇らせてしまう。だが、この際だから聞いておいたほうが良さそうだ。
俺は程よく甘い肉じゃがを飲み込み、箸を置く。
「なぁ、なんで俺に付きまとうんだ。昨日だっていきなり声かけてきて、ほとんど初対面みたいなもんなのに傷の手当までして、今日もこうして弁当をくれた。正直、ここまでされる理由が見当たらない。言っておくが変な団体への勧誘なら断るぞ」
「勧誘? あー違うって、別にそういう怪しいのにはあたしだって興味ないし、そんな理由じゃない」
「じゃあなんだよ」
すると楠木は「んー」と考える素振りを見せて、
「心配、だから?」
疑問形で聞きたいのはこちらだ。
「なんかさ、佐保山って放っておけないんだよね。見てるとつい助けてあげたくなっちゃうっていうか。この前の体育の時だって、一目散に駆けつけてあげたかったんだけど、あたしタイマー係だったからさ」
「いや、そういうのはいい。詭弁とか取り繕いとか嫌いなんだ」
「ホントのことだって、あたし一人っ子だからさ。どうしても世話焼ける子が欲しかったんだよね」
「というとなんだ? 楠木は目的なんてなくてただ俺のことを心配してこうして世話を焼いてくれてると?」
「そうそう! そういうこと! 理解できてんじゃーん!」
「くだらない」
口に出してしまうほどに、本当にくだらないと思った。この世に良心だけで行動できる人間などいない。全ての言動には邪な理由があり、それを上手く隠し通しながらこの社会という嘘で塗り固められた世界で生きているのだ。
俺は食べかけの弁当に蓋をして、まだ二口しか食べていない購買パンを手に取って立ち上がった。そんな俺のことを不思議そうに見上げる楠木。弁当の礼を言うべきか迷ったが俺はこいつとこれ以上関わる気などさらさらない。
とっととここから立ち去ろうと楠木の前を横切ったその時。
「ま、待って!」
「うおっ!?」
突然体に強い重力がかかったかと思うと俺の目の前が空を仰いだ。そのまま地面に倒れ込む。
「いってぇ・・・・・・」
幸い地面は柔らかい土と草に覆われていたのでそこまで重症にはならなかったが腰を打ってしまったようで痛いものは痛い。何が起きたのか状況を確認しようと目を開ける。
すると、そこにあったのは空、ではなく、楠木の顔だった。
柔らかそうで艶やかな唇が刺激的で、逃げるように目を逸らすと、覆いかぶさる形になっている楠木の長い髪が重力に従って俺の顔付近に垂れていた。そこからいつもの柑橘系の香りが漂ってきて、あの匂いはシャンプーの香りだったのかと呑気に納得した。
「ねぇ、佐保山」
楠木が、俺の耳元で囁くように言う。
「もし、あたしが佐保山に近づく理由。本当はこういうことがしたかったからって言ったら、どうする?」
「は?」
「ねぇ、どうするの?」
質問の意図が分からない。俺が無言でいると、楠木は更に体を寄せてくる。俺の胸元には柔らかい感触。太ももには楠木のスカートが乗っていて、そこから伸びた白い足が俺の足と絡み合っていた。
こんな人気のない場所で、この体勢はさすがにマズい。
「いいから離れろって」
「やだ」
唇をとんがらせて子供の我が侭のように言う楠木。
「ね、目。瞑ってよ」
「お、お前マジで何言って――」
何とか楠木を諭そうと言葉を探すが、その間にも楠木の顔がみるみるうちに近づいてくる。抵抗しようにも何故か体は金縛りにあったように動かない。唯一動いている場所があるとすれば、心臓。ドクンドクンと鼓動を加速させ、血液を体中に送っている。
そんな脈動の音と、布が擦れる音。それに虫の鳴き声と野鳥のさえずり。そして楠木の吐息、俺の息を飲む音のみで構成されたこの世界に、俺は成すすべもなく、目を瞑った。
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