第7話 シオンの花

「ねぇ、もっかい付き合ってみたら? 紫苑ちゃんと」

「はぁ?」


 なんの冗談かと思い楠木を見ると、これ以上ないくらいに真剣な表情をしていた。


「あたし思うんだよね。紫苑ちゃんはまだ佐保山のことが好きだって」

「いやそんなわけないだろ」

「なんでそう思うの? だって紫苑ちゃん、佐保山のことが好きだから告白したんだよ? じゃあ聞くけど、紫苑ちゃんは佐保山に何か別れよう的なことは言った? それなら仕方がないけど、本人の気持ちを聞かないで決めつけるのは良くないと思う」

「そういう楠木だって決めつけてるだろ」

「当たり前じゃん! だって、嫌いじゃないなら好きに決まってるし!」


 めちゃくちゃだ。


「でももう三か月も会ってないし、さすがにあっちももう冷めただろ」


 いくら好きとは言っても、こうもあからさまに相手に拒絶されたらさすがに諦めもつくだろう。それどころか女友達の間で「あいつマジ最悪!」と愚痴られているかもしれない。


 あ、でも色識さん友達いないって言ってたな・・・・・・。


「バカ。たった三カ月で好きだった人を嫌いになれるワケないじゃん。それどころか一年。ううん、五年だってその人のことを想い続けることだってできるんだから」

「すごい自信だな」

「そういうもんなの。人を好きになるっていうのは」


 ギャルに属する人種から出る言葉とは思えないほどに乙女チックだ。


 そう言う楠木もそんな一途な恋をしたことがあるのだろうか。いや、ないな。


「なら、やっぱり俺は色識さんのこと別に好きじゃないみたいだ。そんな長い期間彼女を想ったことなんて一度もない」


 色識さんに告白された時も、ほとんど初対面みたいなもんだったし、別れた後も彼女を想ったことなんて一度たりともない。楠木の言う理論が正しいのなら、やはり俺は色識さんのことは好きでもなんでもなかったということだ。


「佐保山、ほ~んと分かってない」


 と、楠木は分かりやすく溜め息をついて首を横に振った。


「紫苑ちゃん、あたしは話したことはないんだけどね。選択授業で一緒の教室になるから見た事あるんだけど、すっごい隠れ美人だよね。普段は前髪が邪魔で見えないけど、目大きいし肌も綺麗だし、顔も超ちっちゃいし髪はサラサラだし。あれは宝石だよ宝石。まだ磨かれてない原石ってヤツ」

「何が言いたい」

「紫苑ちゃんのこと、可愛いと思うでしょ?」 


 それは、思うことは思う。


 楠木の言う通り、色識さんはいつも長い前髪で隠れているが、素顔はとても美人だ。化粧とかその辺は俺はよく知らないが、おそらくしていないと思うし、しているところも見たことがない。ノーメイクであそこまで整った顔立ちを演出できるのだから、楠木の言う通りあれはまだ磨かれていない宝石だ。


 それに、色識さんの黒く綺麗な髪。背中まで伸びていて、風が吹くとカーテンのように靡くその髪は、俺の好みでもあった。少なくとも楠木のようなギャルのキャピキャピして騒がしい髪よりも。


「まぁ、思わんこともない」

「ほら、じゃあ好きなんじゃん」

「あのな、可愛いとは確かに思うが、それは好きっていうのとは違うだろ」

「違くないって。佐保山は難しく考えすぎ。佐保山が気にしてるのはどうせ中身のことでしょ? その人の性格を知りもしないのに好きなんて違う~って。でも可愛いって思うのは外見が好きだからな訳で、確かに内面も大事だと思うのはいいことだと思うけどそのせいで自分の気持ちを押し殺しちゃうのは勿体ないよ」


 えらく達者なことを言うもんだと思っていたらその後に楠木は「って、この前読んだ少女漫画でヒロインが言ってた」と笑って見せた。


 楠木は思い出したかのように言う。


「紫苑ちゃんから連絡とか着てないの?」


 次から次へと聞いてほしくないことに踏み込んでくる奴だ。実は全ての事情を知っていてその上で俺をからかっているのじゃなかろうか。


「着たけど」

「なんて?」


 俺はポケットからスマホを取り出す。


 一応学校にいる時は待ち受けを適当な野球選手にしている。しょうもないカモフラージュだが楠木は気を使ってか、俺がスマホを操作している間は髪を指で遊ばせたりして画面からは目を離していた。


「ん」


 俺はLIMEを開いて色識さんとのトーク画面へ飛ぶ。メッセージを朗読するのは気が引けたのでスマホの画面を楠木の方へ向ける。


 すると楠木がずい、と身を寄せてくる。一瞬肩が当たり、フレッシュな柑橘系の香りが鼻をくすぐる。


『佐保山くん、お久ぶりです。色識です。突然でごめんなさい。ご迷惑なのは分かっているんですが、もう一度だけ、佐保山くんときちんとお話がしたいです。都合がつく日で構いません。私はいつでも合わせられますので、どうかよろしくお願いします』


 これが、丁度二週間前の日付で送られてきていて、俺達の会話はそれで終わっている。


 それを見た楠木は。


「はい佐保山、そこに座って」

「いやもう座ってるが」

「そこに直れ。頭が高い。いいから」


 なにやら分からないが、若干ご立腹の様子だったので俺は楠木の方へ向き直り正座をした。


「あのね、なんでこれに返信しないのかな。こんな律儀で健気な連絡普通の子はしてこないよ? あたしが男だったらすぐに駆けつけて抱きしめてる」

「じゃあ代わりに行ってきてくれ」


 冗談のつもりだったのだが楠木に睨まれ目を逸らした。


「もう決まりね。紫苑ちゃんは佐保山のことが好きなの。いい? わかった? 今すぐ返事して、あの子が可哀そうでしょ」

「そんなこと言われてもなぁ」 


 やはり色識さんが俺を未だに好きだなんてこと、本人に聞いてみないかぎり分からないだろう。楠木の言う通り連絡をとったとしても俺がただの虚しい勘違い野郎になる可能性もなくはない。


 そんな不安にも近い考えを頭の中で巡らせていると、


「もう一個、紫苑ちゃんが佐保山を好きだっていう絶対的な理由があるよ」


 楠木は先程「嫌いじゃないなら好きでしょ!」と意味不明な主張をした時よりも、ずっと自信や確信に満ちた、優しい笑顔を浮かべて言った。


「追憶、君を忘れない」


 楠木の艶やかな唇が、唄を紡ぐようにゆっくりと動く。


 俺が頭にクエスチョンマークを浮かべていると楠木はスマホに映ったトーク画面を見つめて、俺に説明をするようにその言葉の続きを口にした。


「今のはシオンの花言葉。紫苑ちゃんと同じ名前で、紫苑ちゃんと同じくらい綺麗な花。ね?」


 花屋の娘ゆえの知識なのだろうが、チューリップとヒマワリくらいしか知らない素人の俺に花言葉なんて言われても全くピンとこない。ね? なんて得意げな顔をされても困るだけだ。


「大丈夫だって! 心配しなくても絶対上手くいくってあたしが保証する!」

「知り合ってまだ一日も経ってない楠木に言われても心配でしかないんだが。というか、なんで俺が色識さんとよりを戻す方向で話が進んでるんだよ。俺は別にもう一度付き合いたいなんて思ってない」

「むぅ・・・・・・」


 しかめっ面の楠木だが、誰と付き合おうが付き合わまいが俺の勝手だ。


 そりゃ、色識さんは可愛いと思うし、あんな子と付き合っていたなんて今でも夢のように感じる。だがそれは俺の個人的な主観でしかない。色識さんだって俺なんかとはもう関わりたくないはずだ。こんな甲斐性もない、恋人として以前に人間として不出来な俺なんかと。


 故にあれは『過ち』。身の程を知らない俺が普通の人間の真似をして得た付け焼き刃の幸せ、偶像だったのだ。


 それに楠木だって、何故こんなにも食い下がるのか分からない。まさかギャルの仲間内で俺をからかっているのかと思い周りを見るが、他に人の気配はない。


 ならばこれは俗に言う、余計なお世話だ。


「よし、わかった!」


 そんなお節介の化身であるような楠木が俺のすぐ横で勢いよく立ち上がった。


「今週の土曜日は暇? 暇でしょ?」

「まるで俺が休日何もしてない暇人であるかのような言い草だな」

「違うの?」

「違くはないが・・・・・・」


 見栄を張ってやろうとも思ったが楠木の言う通り、休日なんてゲームをしているかアニメを見ているかのどちらかなので虚勢の嘘すら思いつかなかった。


「もうすぐ昼休み終わっちゃうし、その日作戦会議しようよ」


 楠木はまだ俺と色識さんをくっつけるつもりのようだ。


「面倒くさいから遠慮しておく」


 おそらく俺は相当げんなりした顔をしていることだろう。


「だーめ。確かに今の佐保山が紫苑ちゃんとより戻したところでまた同じ結果になりそうだし。会議とは別に、ちょっとお勉強も必要かもね」

「なんの勉強だよ」


 俺がそう言うと楠木は白い歯を見せて笑い、午後の授業の始まりを告げる予鈴が鳴る。


 結局なんの勉強なのかは教えてくれなかったが、どうせロクでもないものであることは確定している。


 楠木はスカートのポケットからスマホを取り出した。


 ジャラジャラとキーホルダーやらストラップやらが大量に付いておりもはやスマホ本体の面積を遥かに凌駕しているギャル特有のそれを、ものすごいスピードで操作する。そして俺のスマホとくっつけると軽快な電子音が鳴った。


 自分の持っているスマホの画面を見ると『ゆずりんが友達に追加されました』というメッセージが上の方に表示されていた。


「じゃあよろしく♪」


 結局、その後楠木は先に戻っていると言い茂みの中へと消えていった。俺は食べきれなかった購買のパンを拾い上げ、少し間を開けて教室に向かった。


 教室に入ると人もまばらで楠木はというといつもの派手なギャルのグループと楽しそうに話をしていた。あんないかにもと言った女子と、今の今まで会話をしていたのだと思うと不思議な感じがしてくる。


 やはりからかわれていただけなのか。今笑っているのも俺の話題なのかと勘繰ってみるが、楠木の弾けるような笑顔が頭の中で蘇りそれを否定する。


 なんだかな。


 心の中で呟くと俺はパンをカバンに押し込み教科書を取り出して、授業が始まるまで窓の外を眺めた。


 久しぶりに誰かと関わった気がする。


 いつも健人としているような会話ではない。近況を聞きながら一緒にご飯を食べ、連絡先を交換して挙げ句の果てには休日に会う約束をした。確かに先ほど、俺は誰かと繋がっていたのだ。


 話した内容を思い返す。あそこでの返答の最適解はなんだったのかと、あれでよかったのか、こう返したほうがよかったんではないかと。そうしていると自分の体が熱くなり冷や汗が出てくる。あぁ、疲れる。なんて消費カロリーだ。


 そんな風に悪態をついてみるが、俺はどうしてか今回ばかりはお得意の溜め息は出てこなかった。胸がざわめく。知っているようで知らない感情が頭を渦巻いて、泡になって消える。これを何度も繰り返して結局残ったのは別れ際に見た楠木の笑顔。


 もうどうにでもなれ、と半ば諦めのようなものと。何かが始まりそうな春の風に少々の不安を抱きながら、俺は治りかけた額の傷を手で擦った。

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