第3話 ホタル

「今の時期のキャンプ場付近だと、ゲンジホタルもヘイケボタルのどっちも見られるかもね」


 いよいよ明日にせまったその日、部屋で布団に寝転んでゆいちゃんお手製のホタルの会の招待状を眺めていると、風呂上がりでまだホカホカの兄が昆虫図鑑を取り出してホタルのページを開きながら言った。


 

「げんじ? へいけ? なにそれ?」


「ホタルには色んな種類がいるんだ。日本には50種類ほどいるけれど、その中でも有名なのがゲンジボタルとヘイケボタル。昔、平家という家と源氏という家が戦いあった『源平の合戦』があったんだけど、ちょうどホタルが飛び交う季節と重なっていたもんだから、似ているねってことで、こっちの体の大きいホタルを勝った源氏からとってゲンジボタル、体が小さい方をヘイケボタルって名付けたって言われているんだよ。あとは死んだ武将の魂がホタルになったという話とか色々あるね。俺はその日、お泊まりゲーム大会があって行けないからさ、どっちが飛んでいるか確かめてきてよ」



「でもどっちも豆粒ぐらいの大きさしかないし、飛んでいたら絶対分からないよ。体の大きさ以外にはどうやって区別するの?」



「光り方だ。ヘイケボタルは1秒間に1回、ゲンジボタルは西日本だと2秒間に1回光るんだ。せわしなくピカピカ光るのがヘイケボタルって覚えておけば大丈夫」



「ふーん」


 図鑑をしげしげ眺めると、ホタルはカブトムシの仲間と書いてあった。ぱっと見はゴキブリに似ているのにな、と思っていると兄がポツリと言った。


「ゆきに会えたらいいね」


「ゆき? どうしてゆきがでてくるの? ゆきは昨年死んだでしょう?」


 ゆきは昨年の10月になくなった老ネコだ。その名前のとおり真っ白なふわふわの毛並みをしていた。

 ネコは家につくと言うけれど、彼女は引っ越し初日だろうとお気に入りのネコベッドさえあれば爆睡する、ネコにしては大らかな性格をしていた。僕より年上で母いわく、僕が赤ちゃんの時に子守をよくしてくれ、僕がぐずるとゆきがぴょんとベビーベッドにのり上がり足下で丸くなると、僕はすぐに泣き止んでそのまま一緒によく寝ていたそうだ。

 腎臓を悪くして死んだときは家族みんなでおいおい泣いた。


「ホタルはね、魂をつれてくるんだ。もしかしたら一緒に飛んでいるかもしれないよ」


 そうだったらいいなと思い、そして当日を迎えた。




 ホタルの会には、いつも遊んでいるメンバーとその兄弟や両親など20名ほど集まった。

 ヨッシーは、あのお手伝いさんと一緒に車で来たけれど、ヨッシーが車から降りると、お手伝いさんは何も言わずにさっさと車を発進させてしまい、その場に居合わせた人を唖然とさせた。けれど、急ぎで片付けなければいけない家の用事がありまして、とヨッシーが礼儀正しくにこやかな笑顔で説明すると、あらあら、まだ小さいのにしっかりしているわね、と母たちはすぐにヨッシーびいきになり、あなたも見習いなさいと言われてしまった。

  

 バーベキュー場は渓流沿いの、鬱蒼としげる林の合間にあった。

 いつもと違う土の柔らかな感触。いくらでも隠れられる薄暗い木立。あちこちで飛び跳ねる虫たち。18時に会が始まっても、僕は食べるよりも遊びたくてうずうずして、すぐにでも走り出したい気持ちだった。

 父たちはバーベキューをしながらビールを呑んではしゃぎ、母たちはおしゃべりに夢中で子供のことなんて眼中になく、どうやって遊ぶ許可を得ようかと思っていたら、ヨッシーがホタルが飛び始める20時まで時間があるから少し遊んで来てもいいでしょうかと聞き、ささっと約束をとりつけてくれた。

 

 川で遊びたいと言う子もいたが、足首がつかる程度の深さでも転んでしまった時用の着替えがないから入るのはだめだと言われたため、かくれ鬼をすることになり鬼をきめると思い思いに森の小道へ散っていった。


  

 引っ越すことなんて忘れてしまうほど僕はいつも以上に興奮していた。 

 森のわだちを駆け走っても、どこまでも樹木の海は続く。

 もっと奥深くまでもぐりたい気持ちに駆られたが、あまり遠くにはいってはだめだという母の言葉を思い出し足をとめ、隠れられる場所はないかと探しているとちょうど子供一人がもぐりこめる木のウロを見つけ、しめしめ、ここなら誰も見つけられないだろうと、入り口に張ってある蜘蛛の巣をどけ中へと身をもぐりこませた。

 時々、誰かが近づいてくる音が聞こえたが、じっと潜んでいると気づかずに通り過ぎていく。

 そうしてどれだけの時間が過ぎたのだろう。

 虫の声を聞きながらうとうとしてしていると、気づいたときにはあたりは真っ暗になっていた。


 

 まるで深海にいるような闇だった。

 ホタルがもっとも輝く新月の夜を選んだために月明かりさえなく、わずかに星明かりだけが地上を照らしているが、心許なく1寸先も見えない。

 一方で森の中は音で満ちていた。

 虫やカエル、鳥の声。

 光りの中、息を潜めていたものたちが夜の世界になり一気に活気づいている。

 木のウロから顔をだし、あたりの様子を伺うと暗闇からは昼間より濃い気配を感じた。

 どっちの方向から来たのか分からず、どうしようと途方にくれていると、ガサガサという音が背後から聞こえ心臓が飛び跳ねた。



「もっくん、ここにいたのか」 


 ヨッシーだった。

 懐中電灯を照らしながら空いている手で小枝をかきわけ、彼は僕のいるところまで歩み寄ってきた。


「もっくんは相変わらず隠れるのがうまいな。みんなが君のこと見つけられないってブーブーいっていたよ。今までずっとここにいたの?」


「うん。誰も見つけてくれないからちょっと寝ちゃったよ。今何時ぐらい?」


「20時近く。ちょうどホタルが光り始める時間だ。みんなのもとへ帰りながら探そう?」


   

 ヨッシーの差し出す手をつかみ木のウロからはいでて、あっちだよと、懐中電灯の照らす方向へ横に並んで歩き始めた。


 暗い樹木の道を話しながらずいぶん歩いていたが、バーベキュー場には一向にたどり着かなかった。それどころか、深い闇に向かって進んでいるようだった。こっちはなんか嫌だ、と漠然とした不安がだんだんこみあげてきて、方向が間違っているんじゃないかとヨッシーに声をかけようとしたら、おもむろに懐中電灯の光が消え、闇が再び訪れた。


「ど……どうしたの? 電池切れたの?」 


「消したんだよ。もう少し先にホタルがたくさん見れる場所があるんだ。でもホタルは明るいのが苦手だから明かりをつけたままだとびっくりして逃げちゃう」


「でも暗くて何も見えないよ。早く点けてよ」


「心配しなくていいよ。僕が案内してあげるから」 


 そう言うとヨッシーは、前を歩き始めた。

 ちょっと急がないと追いつけないようなスピードで後ろ姿が遠ざかっていく。置いていかれたらこのまま闇の中に取り残されてしまうんじゃないかと怖くなり慌てて追いかけた。



「待ってよ、ヨッシー!」


 

 ヨッシーは時折立ち止って振り返りにこっと笑うが、また歩き出す。

 ぬかるんだ土がべっとりと運動靴にはりつき、ひどいところは踏んだとたん、足首まで飲み込まれそうになり、転げないよう少しでも乾いた部分を選びながら歩くことだけに集中するしかない。

 通った覚えのない道を歩いている。

 気づいてはいても、ヨッシーと離れてはだめだと何かがささやき、ひたすらついていくしかなった。

 やがて川の流れる音が少しずつ聞こえてきて、林木が開けた場所にでると前を行くヨッシーはとまり、川を隔てた数メートル先の向こう岸の闇を指さした。

 


「あそこだよ」



 ちゃぽちゃぽと川に足首をつからせ、ヨッシーは対岸へ渡っていった。

 そのまま後に続こうとしたら、ぼんやりとした光が視界の隅に映り、つられて見ると、どこからか現れた光りの玉がふわりと僕の鼻先をかすっていった。

 

 ホタルだ。

 ホタルは僕の周りをふわり、ふわりと飛び回っている。

 さっきまで感じていた恐怖なんてふっとんでしまって、両手で包むように捕まえようとしたけれど、ふわっと手の隙間から逃げていった。

 

「ヨッシー! ホタル、見つけたよ!」


 対岸にいるヨッシーを見ると、僕はあっと驚いた。

 ヨッシーの周りにもホタルが数匹飛んでいる。

 1匹、2匹、3匹と数えていると、5匹、10匹とどんどん数が増えていく。

 

 ヨッシーを中心にあたり一体を光で染め上げ、鬱蒼としげる樹木の葉を照らし、川岸へも広がっていく。まるで光の乱舞だ。

 僕のいる場所は真っ暗闇なのに、川を隔てた向こう側は光に満ちあふれていた。

 


「こっちの方がいっぱいいるよ」



 ヨッシーは手のひらに光の玉をのせ、こちらに向ける。

 そのそばを黒い影が通り過ぎた。その影は近くを飛んでいたホタルをぱしっと包むと歓声をあげた。


「捕まえた!」


 ゆいちゃんだった。

 彼女は捕まえたホタルをうっとりとした顔で見ていた。



「見て! 私が捕まえたのよ! もっくんもこっちきてよ!」

「一緒に、遊ぼう」 


 ヨッシーは微笑み、一度深呼吸すると歌い出した。



 

 ほう ほう ほたるこい




 不思議な音色だった。

 頭に直接響き、聞いたものの心をつかんで離さないような魅力に満ちあふれもっと聞きたくなるような歌声だった。




 ほう ほう ほたるこい

 あっちのみずは にがいぞ こっちのみずは あまいぞ




 ゆいちゃんもヨッシーの声を追いかけながら歌い始める。

 カノンのように、声は混じり合い響き渡る。

 



 ほう ほう ほたるこい

 ほう ほう ほたるこい 



 二人の声を一人、また一人、別の子供の声が続く。

 歌声は幾重にも重なり合い、無数のホタルも合わせて舞い踊る。 

 

 歌に誘われるように足を踏み出し川まであと一歩のところで、右足を何か毛のあるカタマリがするっと巻き付いてきて、びっくりして思わず引っ込めた。

 知っている。この足をくすぐる感触は昨年亡くなったゆきだ。

 家に帰ると、ゆきはいつも玄関でちょこんと待っていて、おかえりの挨拶代わりに足に体をすり寄せてきた。それと全く同じだった。

 考えるよりも先に出た答えにはっとして、ゆきの姿を探すがいない。

 ただの錯覚だったのだろうか、でもそれにしてはリアルだったなと考えていると、ふとあたりは虫の声ひとつ聞こえない静寂に包まれいることに気づいた。

 さっきまであんなにも濃密な生き物の気配がしていたのに、今は気配一つない。歌声なんて聞こえない。  

 それに川岸の向こうで周りを飛ぶホタルを見ていて違和感に気づいた。

 


 ――ゲンジホタルかヘイケホタルか確かめてきてよ

    


 せわしなくピカピカ光る方がヘイケボタルと兄が言っていた。

 でも目の前のホタルたちは、光り続けている。

 一度たりとも休まず、ずっとずっと。 

  


 ――ホタルはね、死者を連れてくるんだ 



 それに凍えるような青白い光を放っている。

 図鑑の写真で見た光はもっと暖かな黄緑色だったはずだ。

 違和感はどんどんつのっていった。

 


「ヨッシー、これって……」



 本当にホタルなの? 



 そう言いかけて、僕は口をつぐんだ。

 ヨッシーは無表情な顔をしてじっとこっちを見ていた。 

 まるであのお手伝いさんと同じだった。

 底知れぬ暗い瞳で見つめられ、どっと脂汗がふいた。

 化けの皮が剥がれた、そんな考えが頭をよぎった。

   


「イッジョニアゾボウ」



 ヨッシーの顔をしたソレは、おおよそ人間の声に聞こえない、ざらざらとした無機質な音をだした。

 コレに答えてはいけない。直感だった。  

 けれど逃げようとしても体が金縛りにあったように動かず、そんな僕を見つめていたソレは両手を前に突き出すとニュルリと伸ばした。白い粘土のような両腕は川を越え、立ちすくむ僕に迫ってきた。

 

 恐怖のあまり動けずにいた僕の足をまた、ゆきが足をこすりつける感触がした瞬間、金縛りは解け、後ろにとびのいた。

 すんでのところで手はかすり、僕はきびすをかえすと来た道をがむしゃらに走った。

 足を止めれは捕まる。

 真っ暗闇で右も左も分からない中一生懸命走り続けても、後ろから迫っていく気配がどんどんと大きくなっていく。ぬかるみに足をとられ、スピードが落ちたところを一気にソレは距離をつめて、腕をつかまれた。ぞっとするような冷たさに凍り付きそうになったそこへシャーッとネコの威嚇する声が聞こえた。

 腕が動揺した気配が伝わり僕を離すと、ウウウッフーッとうなり声とともに飛びかかる音が立て続けに響く。

 

 ゆきだ。

 ゆきがアレと戦っている。


 でも振り向くことなんて出来なくて泣きながらひたすら走った。

 


 ――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい



 闇の中、彼女を置いていくことを心の中で謝り続けた。




 

 やがて虫たちの声が聞こえ始め、木々がまばらになり道が見えた。

 後ろからもうアレの気配はしなかったが、足を止める勇気はなく、かといって限界をむかえた足では走れず歩いていると、こちらに走って向かってくる人影が見えた。母だった。

 母は焦った顔をして僕のそばまで駆け寄ると抱きしめてきた。

  


「19時前には帰ってくるように言ったでしょう! 一体どこまで行っていたの!? ずっと探していたのよ!」


 

 暖かなぬくもりにほっとして何もしゃべれずにいると、母は僕の両肩をつかみ震える声で言った。

 


「ゆいちゃんは、一緒じゃないの?」





 

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