青年の悩み

「おねえちゃんかえってきてからげんきないね」

 俺の膝の上でせっせと花を編む、子供・・・確か名前はミハイルといったかが何の気もなしにそう言った。今まで話にZの話が上がっていなかっただけに、何を言われているのか分からなかった。

 Zの元気がない?

 検査のために財団の研究所に行ったのが一週間程前、仕事をこなし次の日には院に戻ってくることができた。その間顔を何度も合わせていたが、そんなに変わった様子はないように見えた。帰ってくる前は確かに少し機嫌が悪いように見えたが、それも解決したはずだ。

 にもかかわらず、元気がないとはどういうことだろうか。

「みどりのおにいちゃん、わからない?」

「ああ、すまない・・・よく分からない」

「そっか」

 ミハイルはあっさりとそういうとそれ以上Zの話をすることはなく、黙々と手を動かし続けていた。

 俺はただそれを眺めながらも、何か心当たりはないかと考える。しかし、いくら考えても思い浮かぶことはなかった。


 たった一週間、されど一週間。何処よりも愛おしい我が家はもう何か月も離れていたのではないかという気分だった。少し言い過ぎな気もするが、それぐらいあの施設は居心地が悪かったということだ。

 我が家は何も変わらず僕達を迎えてくれた。少し寂しい気もしたが、何も変わらないのはいいことだ。

 ここは何も変わらない。本来なら落ち着くはずの我が家に帰ってきたというのに、それに反して僕の気持ちは落ち着かなかった。。

「マリア少し座ったらどう?」

 グランマはそう言って椅子に座るように僕を促す。

「あ、でもまだ仕事が・・・」

「まだお昼前だもの、急がなくてもお洗濯物は間に合うわ。今日はお天気もいいし」

 僕は子供達の衣服が詰め込まれた籠とグランマを見比べる。グランマは少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。

「・・・はい」

 グランマには勝てない。

「ジェーンは元気だったかしら?」

 聞かずとも定期的に連絡を取り合っているのだから知っているはずだろう。でも、そんなことを口に出せるわけもなく僕は小さく返事をした。

研究所あそこは相変わらず?」

「はい、相変わらず嫌なところでした」

 そう答えて帰る直前に他のエージェントと顔を合わせてしまったことを思い出す。彼らの表情はひどく醜くかった。

 僕に対して向けるものはいやらしいもので、対して隣にいたAに向ける視線はひどく見下したものだった。同じ人間達の露骨な態度は皆一様で気持ち悪い。

 怒りよりも軽蔑の気持ちが強く、僕はAの腕を無理やり引っ張って連れて行ったが、最後までAは何もわかっていないようだった。だが、それはある意味よかったのかもしれない。

 ああいうものは知らないほうが幸せだ。

 だが、あんな奴らのことはどうでもいい。今更奴らのことを言ったって仕方がない。奴らは僕が財団に連れていかれた時からずっとそうなのだから。相手にしなければいいのだ。目に映しさえしなければないのと同じだ。

先生マザーは?」

「先生は幹部会議で本部に行ってました」

「そう、じゃあ残念だったわね」

「そうですね」

 正直言うと先生に会えなかったことは、それほど残念でもなかった。会えたらそれはそれで嬉しかったが、昔みたいな気持ちは不思議とない。

「じゃあ今回の出向は何も問題なかったのね?」

は・・・Aも僕も問題はなかったです」

は?」

 グランマなりに気を遣ってくれていたのはもう気付いていた。直接聞かずに何とか聞き出そうそしているのは察していたので、グランマが引っかかるような言葉で答えたのはわざとだ。

 そう上は問題がなかった。問題というか、変化があったのは僕のことに関してだ。

「進行しているみたいです」

 その一言だけで、グランマは目を大きく見開きながらも黙り込む。そして目を伏せ「そう」と言った。

 財団にとっては大歓迎、事情を知る者にとってはそれはあまり嬉しくない知らせだ。どんなに拒絶しても遅かれ早かれいずれはそうなる運命なのはみんな知っているのに。

 結果がどうなるかは知っている。周りはやたらとそのことを気にかけてくるが、自覚がない僕は当然結果にも興味はない。

 だが、その過程で起こる僕のは興味以前の大問題だ。暴走を緩和する方法もある。それについてはジェーンにも施設を去る前にいつものことながら、しかし今回は強く提案された。

「"どちらにせよ。いずれこの施設にいなければならないのだから、いっそのこと帰ってきたらどうだ?"」

「ジェーンがそう言ったのね」

「はい」

 そうした方が、僕の為にいいことは分かっている。だが、素直に頷くことはできなかった。

「必ずしも悪いことが起きると決まったわけじゃないわ」

 慰めか、励ましなのか。誰に向けた言葉なのか。

 グランマの言葉は希望的観測だ。そうならないという保障はない。考えれば考えるほど悪いことしか頭に浮かんでこない。

 ここにいるから安心なんて楽天的には考えられない。

 沈黙が余計に思考を加速させる。

「ごめんなさいグランマ、洗濯してきますね」

 精一杯の笑顔向けて僕はこれ以上グランマの表情を見ないようにその場から逃げることしかできなかった。


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