第25話「希望へと走れ!」
食事と衣服が差し入れられ、夜が来た。
だが、アセットはまんじりともせず、あれから沈黙するしかなかった。そして、ミルフィもまた言葉を失っている。
二人で今後を話そうにも、どこから糸口を
それに、ヴォルケンの言う打倒魔王は、平和のためには避けて通れないのだ。
今となっては、そんな単純なことさえアセットに
ミルフィが不意に「よしっ!」と立ち上がったのは、そんな時だった。
「アセット、デバイスを取り返すぞ。あれは、未開文明の人類が持ってていいものじゃない」
当然のことだが、あまりにも簡単に言うのでアセットは言葉に詰まった。
だが、もう
彼女は注意深く周囲を見渡しつつ、言葉を続けた。
「アタシはビルラの判断を今は
「で、でも」
「なにより、
そう言ってミルフィは、ドアに駆け寄る。
強引に開けようとしても、ガタガタ鳴るだけで扉は開かない。それでも、小さな隙間を覗き込んでから、彼女はアセットの前に戻ってきた。
ベッドに腰掛け、ぼんやりとアセットはミルフィを見上げる。
「外には見張りがいるな。ドアからは無理だ。さて、どうするか」
「ミルフィ……ごめん」
「なにがだ? 今の謝罪は、何に対して、誰に対してのものだ。アタシにならそれは不要だ。それに、アタシが聞きたいのは謝罪じゃない」
「えっと、それは」
「お前がもし、この惑星の未開文明の代表者を気取るなら……ごめんなさい、じゃない。アタシは、ありがとうっていう言葉を聞きたい。お前たちが使ってて、アタシたちはずっと知らなかった言葉だ」
そう言って、ミルフィは勝気に笑った。
そこにはもう、以前のような張り詰めた緊張感はなかった。
どこか冷たい人形のようで、闘争心以外を表さなかったミルフィ。そんな彼女が今は、いきいきとして活力に満ちている。
ミルフィが絶望していないことを、アセットは改めて知った。
アセットが寝ている間に、彼女は非情な現実に
それでも今は、その失点を挽回しようとしている。
「アセット、ここを脱出するぞ。さっきのヴォルケンとかいうのからデバイスを取り返し――」
「取り返し?」
「アタシは宇宙へ帰る。人類同盟の本隊に合流し、この惑星を去る」
「……それって、できるの?」
「この星系での戦いは終わったようだが、メガリスは恒星間航行能力も持っている。十分に帰還は可能だ。もう少しダメージの回復を待ちたかったが、急いだ方がいいだろう」
少し寂しそうな顔をしたが、ミルフィは気丈に振舞っている。
元々、ミルフィとメガリスの回復を待って、お別れする予定だったのだ。ミルフィも、アセットたちとの交流は最小限にして、何も残さず去りたかっただろう。
だが、その
この世界は、ドラゴンよりも強い科学技術の結晶を知ってしまったのだ。
「悲しいけど、お別れだ。アセット、アタシは初めて悲しいという感情を実感している。知識として教えられた悲しむべき状況じゃなくても、アタシは悲しい」
「でも、どうやって」
「未開文明とはいえ。お前たちこの星の人類は賢い。それに、勇敢で優しくて、よかれと思うことにベストを尽くしている。さっきの男も同じだとアタシは解釈した」
その上で、ミルフィは鼻息も荒く身を乗り出してくる。
しなやかな彼女の持つ曲線を前に、思わずアセットはのけぞった。
「アタシはここにいてはいけないとわかった。夢みたいな星だ……ここには、アタシが知らない喜びに溢れている。そしてもう、知ってしまった。それは大昔にアタシたちが、自ら望んで捨ててしまったものだと」
「ミルフィ……」
「アタシはこのことを、多くの
すぐ目の前で、ミルフィは力強くはにかんだ。
もう、互いの
別れの時が来たのだと察した。
一夏の大冒険にも、終わりの時が来たのだ。
そして、それは大人たちには止められない。
「よし、ミルフィ。ここを出よう……魔法の腕輪を取り返して、メガリスに行こう」
「うんっ! そのことで脱出方法なんだが」
希望が芽生えた。
前を向いて顔を上げた、ただそれだけのことだったが、アセットは既に思考を張り巡らせている。考えることを諦めていたが、その暗い闇を自分で振り切った。
否、ミルフィがいたから振り払えた。
頭上で音がしたのは、そんな時だった。
小さくガタゴトと鳴る音は、その中にひそやかな声を隠していた。
「ちょっとカイル、大丈夫なの? 真っ暗で……ちょっと、どこを触ってるのよ!」
「尻だよ、尻! でかい尻だ! いいからどけって、そこは俺じゃないと」
「大きくないわよ! もうっ!」
あられもない声と共に、天井の一部が開いた。
もうもうと
それは見た瞬間に、アセットに当然であるかのような安心感を抱かせる。
咳き込みながら降りてきたのは、カイルとロレッタだった。
「けほけほっ! もうっ、酷い埃。やだ、真っ白になっちゃったんじゃない?」
「よう、アセット! ミルフィも無事だな? 悪い、遅れた!」
二人は、頭や着衣の埃を払いながら駆け寄ってくる。
天井裏に、どうやら隠し通路があったようだ。そして、そのことに驚くアセットにカイルが説明してくれる。
「驚くことはないだろ? ここは……この場所には、母さんがいたんだから」
「じゃあ、カイルは」
「伝染病だっていうから、ずっと会えなかったんだ。でも、ガキの頃から俺はやる男だぜ? 天井裏をくり抜くくらい、朝飯前さ」
小さな頃、カイルの母親は
だが、彼は「滅茶苦茶怒られてさ、母さんに」と肩を
会いに来たカイルを抱き締め、涙ながらに母親は言ったそうだ。会いに来ては駄目、と。その時はカイルは、まだまだ幼くて理解できなかった。彼が伝染病の恐ろしさを知ったのは、母親が死んでからだという。
一度きりしか使われなかった、離れの寝室に通じる隠し通路が開かれた、
それを使えば、大人たちに気付かれずに外に出られるだろう。
アセットに希望が見えて、確かに感じられたその時だった。
「あら? ちょっと、ミルフィ? もう、泣かなくてもいいでしょう?」
「違うんだ! これは、泣いてない! アタシは泣いてない!」
「嘘はよくないわ。それに、誰も笑わない。人の涙を笑うような、そんなわたしたちじゃないもの。……怖かったのよね。心細かった
ロレッタは、ミルフィを抱き締め背をポンポンと叩いている。
先ほどから多感な少女を零していたミルフィは、安堵感から気持ちを決壊させたらしい。それでも彼女は、ロレッタから離れると顔をゴシゴシ手の甲で拭う。
「アッ、アタシは泣いてない! 泣いてないからな! 嬉しい時は笑うんだ、だから」
「あらあら、ミルフィはまだまだ子供ね。嬉しさは色々あるし、恥ずかしがることはないのだわ」
「もっ、うるさいぞロレッタ! でも、嬉しいのは本当だ。アタシは嬉しくて、
再会は一瞬で、疑念と不安を振り払った。
だが、歓喜の声が外に感づかれてしまう。
不意に外があわただしくなり、大人たちの集まる気配が廊下に響き渡った。
真っ先に行動したのは、ロレッタだった。彼女は持ち前の腕力と瞬発力で、まずは背をドアに押し当て足を突っ張る。外からは開かれなくなって、扉を叩く音が響いた。
「そのベッドをこっちに! 急いで! カイルは二人を連れて外へ!」
「おうっ! へへ、頼もしい嫁さんだな、ったくよ!」
「当たり前でしょ! 誰に言ってるのよ、誰に!」
あっという間に、部屋の中の家具が全てドアの前に集められた。だが、相手は複数の大人で、しかもどんどん増えてゆく気配がある。
積み上げられた家具の山を背で押しながら、ロレッタは叫んだ。
「カイル、急いで! 二人を連れてって! あの男は……ヴォルケンとかいう自称勇者様は、離れの向こう、本邸に
すぐにカイルが、今降りてきた天井の穴へとジャンプした。そのまま腕力だけで登り切り、暗闇の中に消えてから手だけを差し出す。
アセットはすぐにその手へ手を伸ばしたが、届かない。
背中からミルフィに抱きすくめられ、持ち上げられてようやく天井裏によじ登った。
その間もずっと、外からの圧力がドンドン! と扉を叩いている。
上から顔だけ出して、アセットはロレッタに声をかけた。
「ロレッタ、君も急いで!」
「なに言ってるのよ、わたしは残るわ。アセットこそ急いで!」
「えっ……!?」
「取って食われる訳じゃないもの。でも、ミルフィの願いは叶えてあげないと! それは今、アセットたちにしかできないの! それと……シャルを信じてあげて!」
アセットは、真剣なロレッタの眼差しに頷くことしかできなかった。そして、泣きじゃくるミルフィを引き上げ一緒に闇の中へと潜る。
狭い天井裏を這い回る間、ずっと大人たちの荒げた声が聞こえているのだった。
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