第26話「激震のアルケー村」

 外へ出たアセットたちを、豹変ひょうへんした風景が迎えてくれた。

 その緊張した空気に、夏なのに肌が寒さで泡立つ。そう、見るも寒々しいアルケー村に、以前の平和な田舎いなかの雰囲気はなかった。

 あちこちの軒先のきさきで、かがり火が揺れている。

 そこには、王都でよく見る兵士たちも入り混じっていた。

 包帯姿の大人たちが行き交い、尖った悲壮感が満ちているのだ。


「カイル、これは」


 声をひそめて身を隠し、茂みの中に伏せてアセットは呟く。

 まるでこれでは、戦場である。すでにドラゴンは逃げ、鎮守ちんじゅの森の火災も収まったと聞いている。怪我人たちの苦しい夜は続いているだろうが、この物々しさは異常だった。


「お前が気を失ってる間に、色々あったんだよ。色々とな」

「あの兵隊たちは王都から?」

「そうさ、昨日の朝に例の勇者様が連れてきたんだ」

「ヴォルケンさんがか……そうだな、王国の騎士なら当然か」

「連中はもう、ドラゴン騒動とメガリスのことはざっくり知ってたぜ」

「で、シャルが全部喋ったって訳か」

「領主様も来てたしな。仕方ないさ」


 初耳だ。

 だが、自分の領地でドラゴンが暴れたとなれば、飛んでくるだろう。しかも、愛娘まなむすめがその村に滞在しているのだ。

 もしかしたら、領主が王都へ一報を入れたのかもしれない。

 それは当然のことで、アセットもなんら気を悪くすることはなかった。

 シャルフリーデの父親は、勤勉で誠実な領主だ。村民は皆慕ってたし、村長からの信頼も厚い。


「アセット、例の腕輪はヴォルケンが持ってる。俺んちが今じゃ、兵隊たちが固めちゃって詰め所みたいになってるんだ」

「離れを出て距離を取ったけど、もう一度庭側から入るしかないかな」

「ああ、それなら俺に考えがある。任せろって!」

「相変わらず頼りになるよ、カイル。……ロレッタが心配じゃない?」


 アセットは、今しがた這い出てきた方向を振り返った。

 かすかに大人たちの叫ぶ声が聴こえるが、どうやらまだロレッタは踏ん張っているらしい。まさか、既にアセットたちが外に出ているとは思わないだろう。そして、中にロレッタしかいないことも知らない筈だ。

 心が痛むが、不思議とアセットは不安は感じなかった。

 そしてどうやら、それはカイルも同じのようである。


「俺がか? ロレッタの心配? はは、ないない。あいつは上手くやるさ。むしろ」

「むしろ?」

「あいつ、やり過ぎることがあるからな。大人たちが心配だよ。みんな、普段はいい人だし、同じ村の仲間なんだからさ」

「言えてる。……早く、この村を普段の穏やかな場所に戻さないとね」


 自然と笑みを交わしていると、黙ってみていたミルフィが言葉を挟んでくる。


「お前たちは、強固な信頼関係で結ばれているんだな。よき戦友という訳だ。さぞかし、名のある戦場を数多あまた駆け抜けてきたんだろう。うんうん」


 腕組み神妙な顔で頷くミルフィに、自然とアセットは笑みが零れた。

 カイルも鼻の下をこすりながら、ヘヘヘと照れくさそうに笑う。


「戦友じゃないさ、ただの幼馴染おさななじみだ。戦ってたんじゃない、つるんで遊んでただけさ」

「つるむ……? つまり、同じ部隊の所属というだけじゃないのか」

「俺とアセット、そしてロレッタはここで生まれて育ったんだ。小さい頃から一緒だった、それだけだ」

「小さい頃から……ああ、合成ロットナンバーが同じということか!」

「よくわからないけど、全然違うと思うぞ……確実に違うとわかる、なにがとは言えないが」


 むむむ、とミルフィが唸った。

 でも、彼女にもアセットたちのきずなが伝わったと思う。

 今もそれは固く結ばれ、遠く離れていても千切れることはない。アセットは王都にいても、文すら交わさず二人を想っていた。自分が生まれて育った場所で、これから家族になるカイルとロレッタを祝福していたのだ。

 そういうものかと、ミルフィも小さく頷く。

 そして、今は絆の力を強さに変える時だ。

 気持ちを強く持って、状況を打破しなければならない。


「それはそうと、アセット」

「ん? なんだい、ミルフィ」

「さっきの男も言っていたが、以前にも小耳に挟んだ。アセット、そしてカイル……お前たちには敵がいるんだな? それは、先日のドラゴンより強いのか? 戦争状態にあるようだが、戦況はどうなのだ。苦戦しているのか?」


 あっ、とアセットは思わず口元を手で押さえる。

 生真面目きまじめにミルフィは、心底心配だというような顔で覗き込んでくるのだ。これには参ったし、カイルに到っては肘で脇腹を突っついてくる。完全に説明を丸投げする気だ。

 軽く咳払いして、アセットは端的に話す。

 今は時間が惜しいし、行動を最優先するべきだ。


「僕たち人間の世界は、魔王が率いる闇の軍勢に侵略を受けている。で、さっきのヴォルケンってのが、人間側をまとめ上げた旗頭はたがしららしいよ」

「……勝てそうか?」

「さあ? 実際、僕は魔王も闇の軍勢も見たことがなくてね。ここじゃ、全てが遠い場所の話だよ。でも、このアルケー村の平和は、人類の存亡と同じくらい僕には大事だった」

「それはわかる! アセットはよくやった!」

「だから、さ。メガリスとミルフィと、あと、ビルラに村を救われた。その後始末はちゃんと、僕たちで収めたい。王国と魔王の話は、本当はあまり関係ないんだ」


 そう、少なくともアルケー村とアセットたちには関係がない。

 魔王が勝利すれば、王国は滅ぼされるのだろうか? この村がある領主の土地は、どうなるのだろう。それはわからない。同時に、魔王がどういう人物なのか、なにが原因で戦争が起こったのかもわからないのだ。

 今は、何故なぜアセットが戦いを忌避きひしていたのか、それだけがはっきり実感できる。

 魔法を習ってる学生でさえ、参戦して王国のために戦うべしという風潮……それは、とても迎合できるものではなかった。しかし、はっきり反論できずに背を向けた。逃げたのだ。

 今ならきっと、同級生たちに胸を張って言えることがある。

 そのためにも、早く村の平和を取り戻さなければいけない。


「それにさ、ミルフィ。僕は魔王を見たことがない。知らないものは憎めないし、戦う理由がないんだ。僕はもう知ったよ……戦う理由、守りたいもの、そして戦い方と終わらせ方。それがないと――」

「おっと、アセット先生。ありがたい講義はその辺にしてくれ。ミルフィも、悪いな」


 ちらりとカイルは、周囲をうかがいつつ目元を険しくする。

 アセットも、今という時に優先すべきことを思い出した。


「いいか、アセット。ミルフィも。俺が騒ぎを起こして、貯水池ちょすいちの方に走る。お前たちも一緒だと思って、大人たちは追いかける筈だ」


 その時には、カイルの家の周囲も警備が手薄になるだろうという考えだ。それに、今もロレッタが籠城ろうじょうしている離れは、ヴォルケンたちが居座る邸宅の庭にある。

 まさか、そこに閉じこもってるはずのアセットたちが、本宅に現れるとは思ってもいないだろう。


「いい作戦だと思う、カイル。でも」

親父おやじのことなら気にするなよ。客をもてなすのは好きだが、軍隊にデカい顔されるのはたまらんてさ」

「そっか。ごめん、カイル」

「いいさ。じゃあ、ここでお別れだ。ミルフィ、会えてよかった。達者で暮らせよ」


 カイルが飛び出そうとして、身を屈める。

 ミルフィはなにかを言いかけて口をつぐみ、小さく頷く。

 簡潔な別れだったが、カイルはいつもの気さくな笑顔になった。

 だが、別れが突然遠ざかる。

 不意に、村が騒がしくなって、絶叫が響いた。

 慌ただしく、往来に松明おうらいを持った兵士たちが溢れ出る。


「クソッ、見逃した! ガキが、どこにいきやがった!」

「立てこもってる二人は、今は無視しろ! もっと応援を呼べ!」

「大人をなめやがって! ヴォルケン様がお出ましになる前に、我らで片付けるぞ!」


 突然のことで、思わずアセットはカイルを見た。

 カイルも驚きの表情で、ただただ首を横に振るだけである。

 なにか、予想外のアクシデントが発生したらしく、情報が不足している。それでも、浮足立った兵士たちがすぐ近くを貯水池の方へと走っていった。

 どの家も扉が開いて、村人は不安そうに顔を合わせてはささやき合う。

 そんな中で、アセットは決断した。


「カイル、ミルフィも。行こう! ロレッタは大丈夫、むしろ心配なのは」

「お前、心当たりが? 俺はもう、なにがなんだか」

「僕もさ。でも、なんとなくだけどわかる。それに、信じてやってとロレッタに言われてるからね」


 そう、予感があった。

 そして、それが真実だったなら、嬉しい。

 付き合いは浅く、互いを理解し合う時間が短かった。それでも、その少女は不名誉を許せるようにはできていないと思う。気位が高いのは、自分にプライドを持っているからに他ならない。

 アセットは周囲を注意深く目配せしながら、身を低くして進み出す。

 カイルもミルフィも、草木が生い茂る中を貯水池に向かった。


「この騒ぎ……僕は、シャルなんじゃないかと思う! 彼女はやっぱり、裏切ってはいない。例え裏切ってたとしても、そのことをいて行動してるんじゃないかな」


 ミルフィがすかさず、楽観的に過ぎると言葉を挟んだ。だが、前向きなアセットを責めるどころか、どこか肯定して支持するような光を瞳に宿している。

 アセットは二人と一緒に、暗闇の中に躍り出るや走り出すのだった。

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