第20話「戦うことと、その意味と」

 アセットは、走った。

 遺跡を出て、そのまま森の中を駆け抜けた。

 一度も振り返らず、どうにか貯水池ちょすいちまで戻ってくる。そこにはすでに、カイルが集めてくれた自警団の大人たちが沢山いた。

 しかられるということすら、アセットの頭には思いつかない。

 ただ、カイルやロレッタと一緒に現状を叫ぶしかできなかった。


「遺跡にドラゴンが! マスティさんが戦ってるんです!」

「本当よ、地下の洞窟にドラゴンが出たの!」

「多分、地底湖がどこか別の水場に繋がってるんだ」


 アセットたちの声に、大人たちは顔を見合わせる。そこには、あからさまな困惑の表情が見て取れた。こんな田舎いなかでは、ドラゴンなんて非日常の存在だ。まれに高い空を飛んでいることがあるが、ここにドラゴンが襲うようなものはないのである。

 ただ、アセットたちの必死な声に、流石さすがに緊張感を尖らせる。

 なにより、大人たちの中から肯定を後押しする声が飛び出してきた。


「カイルたちは嘘を言ってないわ! そんなこともわかりませんの!?」


 シャルフリーデだ。

 彼女はアセットたちの前まで駆けてくると、振り返って大人たちをにらむ。


「領主の娘、シャルフリーデが命じますっ! 今すぐ遺跡へ……マスティさんが危ないの!」


 シャルフリーデも震えていた。

 自分たちの小さな冒険が、あまりにも恐ろしいものを引っ張り出してしまったのだ。彼女はドラゴンを見てはいないが、アセットたちが見たものを疑うことはしなかった。

 なにより、彼女はもう知ってしまった。

 この世界の枠組みの中にいるドラゴンよりも、もっと恐ろしいものを。

 天より降りてきた、巨大な鉄巨人ロボットの存在を。

 大人たち血相を変えるが、まだ半信半疑といった雰囲気だった。

 決断できぬまま、彼らは口々に言葉を並べては躊躇ためらってばかりだった。


「お嬢様、しかしですねえ……いくら領主様の娘さんでも、これは」

「それより、カイル! お前がついていながらなんだ。貯水池や遺跡には近付くなと」

「マスティってのは、村長んとこに厄介になってる女か。……余所者よそもの、だしなあ」

「なにより、本当にドラゴンなら手に負えないよ。王都の騎士団だって裸足はだしで逃げ出すさ」


 だが、必死にアセットは食い下がる。

 既に夕闇が迫る中、何度も頭を下げて大人たちに助けをう。

 それが今、アセットにとっての戦いだった。

 決して逃げてはいけない、諦めてはいけない戦い……そうしなければ、自分たちに代わってマスティが死んでしまう。そして彼女は、ドラゴンを前にしても決して逃げなかった。


「お願いしますっ! マスティさんを助けてください! 僕は……なにもできなかった。助けられるだけで、本当に」

「しかしな、アセット」

「とにかく、村長を呼んでこよう。カイル、お前からも説明を――!?」


 その時だった。

 夕焼けに燃える水面が、突然泡立つ。

 まるで沸騰ふっとうしたかのようで、誰もがその音に振り返った。

 そして目撃したのは、絶叫。

 耳をつんざく咆哮と共に、巨大な影が翼を広げていた。

 浮上してきたのは、先ほどのドラゴンだ。

 夕映えに輝く緑色の巨躯きょくが、あっという間に空へと舞い上がる。その怒りに燃える姿は、片目に剣が突き立っていた。それは先ほどのマスティの剣だ。


「な、なっ……ドラゴン!?」

「本当に出やがった!?」

「にっ、逃げろ! 逃げろーっ!」


 たちまち周囲は大混乱になった。

 突然、平和な村に訪れた破滅が、怒りもあらわにアセットたちを睥睨へいげいしている。

 隻眼せきがんに見下ろされる人間は、全てが等しく無力な存在だ。

 それが今、アセットには痛感できてしまう。

 咄嗟とっさに動いたのは、やはりカイルだった。


「くっ、誰か村へ! 足の速い奴を走らせてくれ!」


 カイルは腰の剣を抜いた。そして、毅然きぜんと周囲を見渡す。

 浮足立っていた大人たちも、少しだが落ち着きを取り戻した。

 だが、冷静になったところでドラゴンの恐ろしさが思い出されるだけだ。

 それでも、剣や槍、弓を持った男たちはカイルに大きくうなずく。

 そして、ロレッタもすぐに立ち上がる。


「わたしが村に知らせる! ほら、ミルフィ! しゃんとして! 立って!」

「頼む! 急げよ、ロレッタ!」

「わかってるってば。だから……死んじゃやだよ、カイル」

「誰に言ってんだよ、誰に! アセット、お前も行けよ! ……アセット?」


 アセットも再び走り出していた。

 ロレッタと真逆の、森の方へと。

 その時にはもう、空から火球が降り注ぐ。大地はえぐれて爆発し、周囲に炎がばらまかれていく。平和な貯水池は今、夜のとばりさえ拒むかのような明るさの中にあった。

 あっという間に、悲鳴と絶叫がこだまする。

 怒号どごうが行き交い、ドラゴンの吠えすさぶ声にかき消される。

 その全てに背を向け、アセットは走った。


「おいっ! アセット!」

「カイル、ミルフィを頼むよ……僕は、なにをしてるんだ? なにを……っ!」


 引き留める声を遠ざける。

 走る背を、爆風が激しく叩いた。

 バチバチと周囲では、森が焼け始めている。

 そんな中で、アセットは身に着けた腕輪へと語り掛けた。


「ビルラ! 聴こえているだろう、ビルラ。頼む、応えてくれ!」


 すぐに目の前に、ぼんやりとビルラの姿が現れた。

 熱風で燃え始めた空気が、幻像である彼女をわずかに波立たせている。

 走るアセットから等距離を置いて、彼女は地面の上を立ったまま滑っていた。


「アセット……君の考えていることはわかります。しかし」

「未開文明の原住民である僕じゃ、ダメだっていうんだろう?」

「それもありますが」


 咄嗟にアセットが思いついたのは、仲間たちとの秘密。

 皆で隠してきたのは、ミルフィの乗ってきた巨大な人型兵器だ。

 人型万能殲滅兵装ひとがたばんのうせんめつへいそう……メガリス。

 星の海を戦場とする巨大な魔神ならば、ドラゴンを退けることができるのでは? アセットはすぐにそう思った。そして、今のミルフィにそれを頼むのは酷だ。

 ミルフィは今、信じてきた全てを否定されたのだ。

 彼女が戦いに明け暮れていた理由は、全てが偽りだったのである。


「本当はミルフィに頼めばいいんだろうけど、今は彼女は戦えない!」

「でしょうね」

「だったら僕が……駄目かい? この魔法の腕輪は、あのメガリスってのの操縦に使うんだろう?」

「……いいでしょう。どのみち、人類同盟の秘密を知ってしまった私とミルフィです。今更いまさらその法に縛られても仕方がありません。今は人々を助ける方が先ですね」

「ありがとう、ビルラ!」


 アセットは必死で走った。

 何度も転んで、その都度つど立ち上がった。

 もう既に、気付けば日は沈んでいる。

 だが、断続的に貯水池の方が眩く光った。

 そして夜空は、星さえ見えぬほどに赤々と燃えている。


「メガリスを使えば、ドラゴンを……ドラゴンを追い返せる!」

「おや、倒さなくていいんですか? 生かしておけば、二度三度と襲い来るかもしれませんよ」

「ドラゴンが簡単に死ぬものか! それに、もとあと言えば僕たちが、うわっ!」


 巨大な古木の前まで来て、またアセットは転んだ。

 もんどりうって転がって、それでも立とうとして前を向く。

 そこには、振り返り見下ろしてくるビルラの視線があった。


「アセット、これだけは確認させてください。メガリスは、この惑星の文明にとっては禁忌の力……本来、この時代に振るわれるべきではない力です」

「くっ、だったら……ドラゴンにみんな殺されちゃうのがふさわしいって言うのか」

「この惑星では、それが摂理とも言えます。しかし、定められた摂理に抗うことで人間は進歩してきました」


 不意に、アセットの脳裏に王都での日々が思い出された。

 王立魔学院アカデミーでは、もう既に大半の生徒が戦争へと胸を躍らせていた。誰もが皆、理知的で温厚で、学問を愛していた。それ以上に、大切な人を持っていたし、王国を誇りに思っていたんだと思う。

 今、アセットも戦いを望んでいる。

 それも、メガリスという恐るべき異文明の兵器を使おうとしている。

 本質的に、魔王の軍勢と戦いたがっていた同級生たちと、なにも変わらない。

 でも、今ははっきりと戦争を否定できる。

 戦いを選んだことで、ようやくそれを口に出すことができた。


「なにかを守りたきゃ、戦うしかない! でも、戦い方や収め方は僕が、僕自身が選びたい!」


 思ったよりも大きな声が出た。

 そして、納得するかのようにビルラが大きく頷く。

 不思議と、常に無表情の鉄面皮な彼女が、微笑んだ気がした。


「現状、メガリスは本来の40%ほどしか性能を発揮できません。ま、やってみましょう」


 不意に、目の前に巨大な手が現れた。

 そして、燃え盛る森の風景が徐々にはがされてゆく。人間の視界を歪める技術が解除され、ゆっくりと目の前に巨大な人影が現れた。

 屈んで手を伸べてくる、見上げるほどの大巨神。

 迷わずアセットは、ビルラと共にメガリスの手に飛び乗るのだった。

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