第19話「この星の管理者」

 激震に洞窟が揺れる。

 天井に輝く水晶も、パラパラと輝きを零す程だ。

 思わずアセットは、ミルフィに駆け寄った。ロレッタも同じだ。二人でかばうようにして、立ち尽くすミルフィに抱き着いた。アセットはロレッタごと、二人の頭を抱えるように身を伏せる。

 地震にしては妙だ。

 村ではここ最近、体感できる揺れはなかった。

 先日帰ってきたばかりのアセットでも、それはわかる。

 小さな地震でも、田舎いなかの集落では話題になるからだ。


「なっ……エクス・マキナさんっ! この揺れもあなたが!?」

「いえ、これは違います。

「彼女?」

「ええ。ここ最近新しく増えた、私の同居人です。アセット少年、貴方あなたが初めて私を訪れてくれた原住民でしたが……彼女は私を見つけ、共に暮らしてくれているのです」


 その彼女とやらが、姿を現した。

 突如として、地底湖にさざなみが寄せて、次第に波濤はとうが荒れ狂う。

 沸き立つ地獄のかまと化した水面みなもから、巨大な影が浮上した。

 恐るべき威容に、思わずアセットは衝撃を叫ぶ。


「ド、ドラゴン!? どうしてこんな場所にっ! ……いや、こんな場所だからか!」


 ――ドラゴン

 それは、この世界の摂理せつりの代弁者。

 絶対強者にして、万物万象を見守る大自然の守護者である。

 生物学的には、ドラゴンという生き物の研究は全く進んでいない。そもそも、生物学という概念が王立魔学院アカデミーで最近生まれたものであり、実利優先のあまり家畜や農耕に傾倒している。

 ちょっとした魔物や亜人種の研究は、少しは進んでいる。

 だが、ドラゴンはあまりにも未知と神秘に満ちており、なかば神と同義なままで放置されているのだ。見て見ぬふりをせざるを得ない、災害のようなものという認識である。


「なんて大きな……それに、綺麗だ」

「わかりますか、アセット少年」

「わからないからこそ、理解してみる。それに、考える以上に感じることもありますよ。なんて美しい姿だろう」


 人間にとって、ドラゴンとの遭遇は……イコール、死である。

 難を逃れたケースも多数報告されているが、それは単純にドラゴンの機嫌がよかったからに過ぎない。

 基本的に、ドラゴンから見れば人間など虫けら同然である。

 気まぐれに殺され、喰われ、あらがすべなど存在しないのだ。

 それなのに、光沢のあるうろこに覆われたその姿、広げた翼が美しい。周囲のこけが光る輝きが、水晶に反射してドラゴンをまばゆく照らしているかのようだった。


「ドラゴンが活動場所を選ばないことは、多くの文献で報告されてる……航海中に大洋で襲われた船もあるし、火山の溶岩地帯、絶氷の極寒地帯、どこにでも現れる」


 むしろ、どこもかしこもドラゴンの領域テリトリーなのだ。

 ドラゴンは、人間と大自然を見守り見張るように、世界を隅々まで周遊している。

 心なしか、エクス・マキナの声も熱が感じられた。


「地球では、ドラゴンは想像上の生物でした。しかし、ここでは違う……この惑星ならば、人類は万物の霊長などと自分をおごらないと、私は確信を得たのです」

「念のため聞くけど、さ。魔法を作ったのがあなたなら」

「私は、いわゆる攻撃や破壊のための魔法は構築していません。あくまでサポート、人類の繁栄の一助としての魔法です」

「……だよね」


 絵物語やなんかでは、ドラゴンを倒すために魔法使いが炎を放つ。いかずちを降らせ、光の槍を投げるのだ。だが、それはあくまで空想の産物、創作物での話だ。

 ドラゴンに挑んだ人間の前例は、枚挙にいとまがない。

 その全てが、殺戮と敗北の歴史である。

 どんな剣とて、ドラゴンを傷付けることはできない。

 弓は勿論もちろん、ボウガンや大砲でも無理だ。

 まさに世界の覇者……そのドラゴンが、目の前にそびえていた。


「ロレッタ、ミルフィを連れて走って。ここは僕が!」


 二人から離れて、アセットは手と手を組み合わせる。

 念桔アクセスを叫べば、上ずる声が震えていた。

 正直、死ぬほど恐ろしい。

 やはり同級生たちが王都で言い放ったように、アセットは弱虫な臆病者なのだ。

 

 友達を助けたいし、友達を置いては逃げられない。

 友達を逃がすためなら、非力な魔法にもなにかができると願い祈った。


「ちょ、ちょっと、アセット!」

「いいから早く! なにか有効な魔法は……ドラゴンって眠るのか? 視覚をぼかしても駄目だろうし……ッ!」


 アセットは必死だった。

 浮かび上がる魔造書プロパティにかざす手が、震える。

 奥歯がガチガチと鳴って、上手く言葉がつむげない。

 そんなアセットを見下ろし、ドラゴンが口を開く。

 地鳴りのような唸り声が、のどの奥に真っ赤な灼熱を灯らせていた。

 ドラゴンの吐息は、全てを灰燼かいじんに帰す地獄の業火だ。

 身動きできぬまま、アセットは死を覚悟した。

 考えたことすらない死が、実感よりも実体験を先に連れてきたのだ。


「危ない、アセット! このっ、馬鹿野郎っ!」


 突然、胸元になにかが飛び込んできた。

 それは、アセットを投げ出すように一緒に吹き飛ぶ。

 その瞬間だった。

 一秒前のアセットが、死んだ。

 アセットが立っていた場所に、燃えたぎる火焔が解き放たれたのである。それはあっという間に広がり、エクス・マキナを包んでゆく。

 身に宿る緑を燃やし、自分の輪郭を溶かしながらもエクス・マキナは最後の言葉を口にした。


「私は機械、マシーンなので……熱を、出します。それは、卵を温める環境としては好条件だったのでしょう。それに、ここには彼女の卵を狙う人間も入ってはこない、はず、で――」


 激昂げきこうのドラゴンが吠えすさぶ。

 その絶叫に沸騰する空気の向こうへと、声は消えていった。

 代わって、耳元で聞き慣れた声が叫ばれる。


「アセット、なにやってんだ! ほらっ、立てよ!」


 二の腕を掴んで引っ張るのは、カイルだった。

 時間が来ても戻らないアセットたちを探して、駆け付けてくれたらしい。


「カ、カイル」

「おう! ほら、行くぞ! ロレッタ、そっちいいいよな! 任せるけどさ!」


 カイルに肩を貸されて、走る。

 ロレッタはすでにパニックから立ち直っていて、ミルフィを背負うや追いついてきた。だが、先ほどの炎はすでに洞窟内に燃え広がり、地面はところどころが溶けていた。

 火の手を避けて走る中で、カイルの横顔を見上げてアセットは呟く。


「まるで、伝説の勇者様だね」

「俺がか? まさか! 勇者って、そりゃあ……あっちだろ、あれ。ああいう人のことだよ、きっとさ」


 カイルの視線を追って、顔を上げたその時だった。

 抜刀と同時に走る、影。

 ひるがえる髪が紅蓮ぐれんに燃えていた。

 彼女は……そう、女性だ。その人は投げ捨てたさやが地面に落ちるより早く、気合を叫んで跳躍ジャンプした。ドラゴンへと剣を振り上げる姿は、まさに絵草子えぞうしに描かれた勇者だ。


「ああもうっ、やるっきゃあ……ないんだよおおおおおおおっ! うぉりゃああああ!」


 マスティだ。

 普段の野放図のほうずでいい加減な印象は、先ほどの疾駆しっくが脱ぎ捨てたのだろうか? そこには、赤髪の剣士が飛翔していた。

 だが、ドラゴンに刀剣のたぐいは通じない。

 そして、それが限定的な固定概念だったと思い知らされる。

 巨大なドラゴンの頭部に、マスティが降り立った。

 刹那、真っ赤な鮮血が吹き上がる。


「おっと、浅いね! あーもぉやだ……私も逃げ出したい。おーい、少年! 今だよ、逃げて逃げてー!」


 暴れるドラゴンの絶叫。

 その中でマスティが振り向いた。

 彼女の剣は、見開かれたドラゴンの瞳を貫いていた。

 眼球はどうやら、全身の甲殻こうかくや鱗よりは柔らかいらしい。

 だが、痛みに激怒するドラゴンは、マスティを振り落とそうとする。マスティも負けじと、しがみつくようにして剣を突き立てていた。


「ほら、行くぞアセット!」

「ま、待ってよカイル。マスティさんが」

「そのマスティさんが逃げろっていってるだろ! その気持ち、あの奮闘を無駄にするのかよ!」

「それは……できない。逆らえない言い方だ」

「そうだよ、悪いか! さあ!」


 アセットは、走った。

 その背中はまだ、勇者とドラゴンの激闘を拾っていた。

 一度だけ肩越しに振り返って、そして目撃する。

 ゆるくて腑抜ふぬけた女剣士の姿は、そこにはなかった。

 まさしく、戦鬼せんき……勇猛果敢な美しき勇者がいた。

 そして見た。

 マスティの棚引く赤い蓬髪ほうはつは、

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