第16話「ようこそピンチ!アドベンチャー!」

 薄暗い中に、ミルフィの絶叫が響いた。

 ひんやりと冷たい空気が、悲鳴に震える。

 急いで階段を下りれば、なつかしい記憶がアセットの脳裏にフラッシュバックした。あの日は確か、我先われさきにと突っ込んだのはアセットだった。そして、幼い彼も声を限りに、カイルとロレッタを呼ぶ羽目になったのだ。


「大丈夫かい、ミルフィ。まあ……平気だとは思うんだけど」


 気付けば自然と、ロレッタの手を放していた。

 彼女の方が脚が速いし、足手まといは御免だ。

 それでも全速力で走れば、へたり込んだミルフィはロレッタに抱き締められていた。

 そして、ミルフィが震える手で指さす先に……巨大なけものが浮かび上がった。

 意外なほどに冷静なアセットは、周囲がぼんやりと明るいのに気付く。


「あっ、ああ、あれはっ! バ、バケモノだ!」

「落ち着いて、ミルフィ。大丈夫よ」

「ロレッタ! あんなでっかい獣が? なんて恐ろしい!」

「大きいだけの、おとなしい動物だわ。ほら、結構臆病なのよ」


 それは、通路の幅をギリギリまで占領する巨獣きょじゅうだった。初めて見る人間ならば、なるほど恐ろしい魔物だと思うだろう。だが、それは勘違いというものだ。

 硬い甲殻こうかくうろこに覆われてはいるが、極めておとなしい動物である。

 アセットも、やれやれと胸をなでおろす。

 幼い頃、この遺跡でアセットもこの動物には驚かされた。


「ミルフィ、これはアーマードビーストといって無害な動物だよ」

「アーマード……鎧、つまり防御力に特化したクリーチャーなんだな! ビルラ、銃を! 銃を転送、実体化……って、そうだった。デバイスはアセットが」


 ミルフィの大声に驚いたのか、アーマードビーストはもそもそと身震いを始めた。短い四本の足をたたんで、そのまま背を丸めて球体へと姿を変えてしまう。

 基本的にアーマードビーストは、人間を攻撃することがない。

 こうして暗く涼しい場所を好んで住むが、稀に森の方に出てきたりすることがあるが……刺激しなければ大丈夫である。それに、アーマードビーストは身の危険を感じても、自分の甲羅に引きこもって身を守るだけの動物だった。

 あうあうと落ち着かないミルフィを見かねたのか、再びビルラが現れる。


「ミルフィ、すぐに銃に頼るのは貴女あなたの悪いくせですよ。それと、クリーチャー……バケモノというのはまた、ちょっと表現が適切ではありませんね。ただの原生動物です」

人類同盟じんるいどうめいは過去に、何度も資源採掘用の惑星を開拓してきた! 恐ろしいクリーチャーがうろついてた惑星だって!」

御覧ごらんなさい、ミルフィ。太古の昔、母なる地球にもアルマジロという同系統の動物が存在しました。もっとも、ここまで巨大ではありませんでしたが」


 巨大な球体と化したアーマードビーストは、完全に道を塞いでしまっている。ほかにも通路はあって、階段を降りてすぐに分かれ道になっていた。

 アセットは記憶を総動員して、幼い頃の大冒険を思い出す。


「えっと、確か……ロレッタ」

「前はそっちを進んだのよね。そのまま進むと、凄く広い大きな洞窟に繋がってて」

「そうそう、ロレッタが一人でグイグイ進むから……その先で迷って」

「そ、そうね! そういうこともあったわね!」


 ほおを赤らめ、プイッ! とロレッタはそっぽを向いてしまった。

 どうやら、今回は逆側のルートから例の洞窟を目指すことになりそうだ。制限時間の中では、そこまで辿り着けるかどうかも怪しい。一応、マスティの待っている場所に定められた時間までに戻ることになっている。

 不測の事態で戻れない時は、カイルが自警団と助けてくれることになっていた。

 もっとも、大目玉を食らう羽目はめになるので、それはできれば避けたい。

 アセットは改めて、周囲を見渡した。


「こっち側から回り込んで、いけるのかなあ。それより、この壁……」


 少し気になって、アセットはそっと遺跡の壁に触れた。

 冷たくて、少し湿っている。

 そして、ところどころがあわい緑色の光を湛えていた。真っ暗な中でも周囲が見えるのは、こうした明かりが点在しているからである。

 小さい頃は夢中で、気付かなかった。

 今は少し冷静でいられるから、遺跡ならではの現象にも気を配ることができた。そして勿論、この明かりの正体にも心当たりがある。

 光ってる壁に触れてみていた、その時だった。


「これは……どうやらこけの一種ではないでしょうか。それが発光しているんですね」


 ビルラがアセットの考えを代弁してくれた。

 アセットも、指の上で苔の感触を確かめてみる。どうやら、湿った暗闇の中で育った、ここだけの種のようだ。それがわかるだけでも、アセットは密かな満足感を得る。

 この遺跡自体に備えられた照明ではなく、大自然が育んだ偶然の産物だ。

 それがわかるだけでもう、神秘の一端がほころぶのを感じる。


「嬉しそうですね、アセット」

「まあね。この遺跡の謎は、僕にはどれも……ん、待って。ここ」

「おや、レリーフかなにかでしょうか。これは」

「うん。入り口の門にあった紋様もんようと同じだ。凄く似てるけど、完全に同じじゃない。規則性があるのか、それとも」


 苔が少し剥げた下に、レリーフのようなものがはまっている。そこにも、曲線を組み合わせたような紋様が刻まれていた。ひょっとしたら、文字のようなものなのかもしれない。だとしたら、そこには込められた意味がある筈だ。

 なにもかもがわからない謎の遺跡は、確かに人の痕跡がある。

 あるいは、人ならざるなにかか……とにかく、何者かが大昔にこの場所に生きていて、何かしらの理由があって遺跡を建造したに違いない。


「とりあえず、ロレッタ。こっち側から回り込んで……ロレッタ?」


 ビルラと一緒にアセットが振り向いて、思わず絶句。

 そこには、慌ててミルフィを制止しようとするロレッタの背中が見えた。

 そして……無害とわかったからか、ミルフィは物珍しそうにアーマードビーストを触っている。ぺたぺたと無防備に、そして無遠慮ぶえんりょでまわしているのだった。


「なるほど、硬いな。戦うなら、光学熱線レーザータイプの銃が必要になるかもしれない」

「ちょ、ちょっと! ミルフィ! 刺激しないで!」

「いや、おとなしいから大丈夫だとさっき……ふむ、凄いな。この装甲、メガリスに勝るとも劣らない。人類同盟の英知の結晶と同等か、それ以上。これが我々が失った大自然から生まれたというのか」


 やはり、自然の動物が珍しいらしい。

 思えば、ミルフィはアセットたちから見てあまりにも不自然だ。ビルラはAIとかいう存在で、人間ではないのはわかる。理解できる。彼女は妖精さんなどとうそぶいているが、そういう概念に近いのだろう。

 だが、同じ人間にしてはミルフィは妙なのだ。

 あまりにも生活感がない……生きとし生ける者特有の、それぞれ固有の匂いや気配といったものが酷く希薄だ。恐ろしい兵器に乗った、科学と呼ばれる恐るべき力と技術を持った文明人。そのミルフィが、時々酷く無知で幼い印象をもたらすのだ。


「ロレッタの言う通りだよ、ミルフィ。あまり触らない方が――」


 その時だった。

 アーマードビーストが、ぐらりと揺れた。

 嫌な予感がした、その時には不意にビルラが薄れて消える。

 彼女は最後に、確かにアセットたちにはげましの言葉を送ってくれた。


「では、私はこの辺で。落ち着いたらまた顔を出しますので、頑張ってください」

「お、おいっ、ビルラ! アタシを置いてどこへ……ビルラッ!」

「見るに耐えない惨劇からは、AIだって目を逸らしたくなりますよ? ではでは~」


 ビルラは、彼女たちがデバイスと呼ぶ魔法の腕輪に引っ込んだ。

 そして、ロレッタが叫ぶ。


「みんなっ、走って!」


 咄嗟とっさにアセットは、弾かれたように走り出す。

 慌ててミルフィも、察したように続いた。

 だが、遅かった……そして、遅過ぎたなら一巻の終わりだ。

 アーマードビーストは、ゆっくり、そして確実にこちらへと迫ってくる。徐々に加速して、通路をゴロゴロと転がり始めたのだった。

 もちろん、逃げ場は一つしかない。

 目の前の未知なる道へと、アセットたちは全速力で駆けるしかないのだ。


「どっ、どうしてこうなったんだ! アセット! ロレッタ!」

「馬鹿ね、ミルフィ! 本当にお馬鹿さん! この子だって、人間が怖いのよ! 完全に守りに入ってても、触られたり撫でられたりしたら」

「そうか、アタシか! ごめん!」

「いいから走って!」


 アセットは全力で走った。

 だが、目の前で少しずつ、二人の少女が離れてゆく。

 そして、一本道は無限に続くかに思われた。

 石畳いしだたみを削るようにして、迫る轟音が背中を振るわせる。

 あっという間に息が上がって、足がもつれるようになってくる。

 ミルフィが振り返ったのは、まさにアセットが転びそうになった時だった。


「アセット、手を!」

「あ、ありが、っとおおおおおお!?」


 手と手を結んだら、引っ張られた。

 そのまま、腕力だけで軽々とブン投げられたのだ。

 あっという間に、アセットの世界が暗転して、鈍い痛みが全身を襲う。少し強く背中を打ったようで、それでもなんとか身を起こした。怪我はないようだが、次の痛みが襲ってきた。


「イチチ……乱暴だ、ぎゃっ!」

「ごめんね、アセット。わたしもミルフィに」

「お、重い……降りて」

「失礼ね、重い訳ないでしょ! もうっ!」


 上に突然、ロレッタが降ってきた。

 同じ方法でどうやら、ロレッタも助け出されたようである。運動神経抜群のロレッタですら、危なかったのだ。それを救ったミルフィは、呼吸一つ乱さず近くに立っていた。

 いったい、どんな身体能力をしているのだろう。

 こうしてアセットは、曲がり角の奥へと逃げ延びて、共に壁にめり込んだアーマードビーストから逃れるのだった。

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