第11話「手の平の世界」

 アルケー村の貯水池には、鎮守ちんじゅの森が広がっている。

 そこには巨大な古木がそそり立っていて、村人は皆が守り神とたたまつっていた。

 その陰に今、恐るべき巨大兵器が身を隠してるなど、誰もあずかり知らぬことだった。

 アセットたち一部の子供たち以外の、誰もが。


「あら、いいじゃない! 風光明媚ふうこうめいびって言葉がぴったりね。さ、カイル。行きましょ!」


 シャルフリーデは今日も、カイルの腕を抱いて引きずるように歩く。

 それを追いかけるロレッタは、またも不機嫌になっていた。

 変なところで三角関係が発生していて、アセットは蚊帳かやの外である。勿論もちろん、首を突っ込みたくはないし、当事者になるのもゴメンだった。

 だが、先ほどからカイルたちを見てミルフィが唖然あぜんとしていた。


「なあ、アセット」

「なんだい、ミルフィ」

「あれはなにをやってるんだ?」

「あれはというと」

「カイルとシャルフリーデだ」


 またしても奇妙な質問だった。

 そして、今に始まったことじゃない。外に出てからアセットは、ミルフィの質問攻めにあっていた。

 ロレッタの服を借りて、目深に頭巾ずきんを被ったミルフィは怪しまれなかった。そして、村人の前でビルラを呼ぶ訳にはいかず、全てアセットが答える羽目はめになっていたのだ。


「うーん、そうだね。スキンシップ、かな?」

「スキンシップ……ああ、なるほど! 軍のレクリエーションみたいなものか」

「いや、それは違うよ。なんか、ミルフィの考えているようなことじゃないと思う」

「そ、そうだな、そうかも。軍では、異性との接触は禁止されている。格闘技や体術の競技会も、同性同士でやるもんな」

「……根本的になにか、違うんだよなあ」


 貯水池に広がる水面みなもを眺めながら、鎮守の森へと歩く。

 先ほどから感じていたことだが、ミルフィの価値観はいろいろとおかしい。アセットたち普通の少年少女とは、あらゆる認識がまるで違う。まさに異次元、異世界の論理が彼女を支配しているのだ。

 ミルフィは、村の農耕を中心とした暮らしにも驚いていた。

 そもそも、男女が共に暮らすことも、大人と子供が一緒なのも不思議なようである。

 自然とアセットは、ミルフィがどのような日々を送ってきたが察した。

 そして、彼女たちの暮らす世界、宇宙の人々へも暗い印象を抱く。


「アセット、もう一つだ。何故なぜ、ロレッタは不機嫌なんだ?」

「それはね、カイルは将来はロレッタと結婚することになってるからだよ」

「……結婚、とは?」

「やっぱ、そこからかあ。夫婦になるって意味なんだけど」

「夫婦……さっぱりわからない!」


 そうこうしていると、とうとうロレッタが爆発した。

 元来、ロレッタは利発的で快活な少女だ。機転が利くし面倒見がよく、誰にでも優しい。だが、聖人君子せいじんくんしではいられないし、等身大の年頃の女の子でもある。

 将来の夫にして親しい幼馴染おさななじみを、突然独占されると怒りもするのだ。


「ちょっと、シャル! カイルから少し離れて頂戴ちょうだい!」

「あら、なぁに? ふふ、ロレッタ……なにを怒っているのかしら」

「それと、今朝の荷物はなに? まだ物を増やそうっていうのかしら!」

「だって、あまりにも田舎いなかなんですもの。必要なものは屋敷から取り寄せましたの」

「あのねえ……もうっ、信じられない!」


 今朝ほど、またシャルフリーデに大荷物が届いた。

 昨日の夜にもだ。

 彼女のアルケー村への滞在は、まるで引っ越し騒ぎみたいになってきたのだ。

 そのうち、例の小さな離れには入りきれないくらいの荷物が溢れてしまうのではないだろうか。そのことも、ロレッタの苛立いらだちを加速させていたのだ。

 だが、シャルフリーデは全く意に介さない。


「カイルはきっと、わたくしの騎士様ですもの。こんなちっぽけな村の自警団で終わる男じゃありませんわ」

「こんな!? ちっぽけ!? ……んもぉ、シャル! なんて言い方なの!」

うわさの勇者様みたいに、きっとカイルもわたくしのために戦ってくれるの」

「夢見がちにもほどがあるわ、ばっかみたい!」


 ロレッタが言っちゃうかなあ、とアセットは思ったが、口には出さなかった。

 昔から熱心に書物を読み、物語の世界に夢中だったのがロレッタという女の子だ。ただ、彼女にも現実は見えているし、日々の暮らしとの折り合いをつけてる。

 多分、シャルフリーデには夢見る少女でいていいだけの毎日があるのだろう。

 そうこうしていると、背後を歩いていたマスティが口を開いた。


「ねえ、シャル。その、勇者様っていうのはあれだね? 今、魔王の軍勢と戦っている」

「ええ、そうですわ。マスティ様もご存じですわよね」

「んー、お姉さんはそうでもないんだよ。よく知らない、だから知りたいんだ」

「あら、でしたら特別に教えて差し上げます」


 ガルルと唸るロレッタの手を避けつつ、シャルフリーデは語り出した。

 今、王国を含む人間たちの世界は、危機にひんしている。北の大地から、魔王が率いる闇の軍勢が迫っているのだ。魔王は野鬼ゴブリン狗人コボルト猪人オークといった亜人を操り、伝説のドラゴンさえも従えているという。

 人間たちとの戦争は長く続き、いまだに終わりが見えない。

 理由はいくつかあるが、純粋に魔王が強過ぎるのだ。

 まるで絵草子えぞうしの物語に出てくる、悪魔みたいな超常の力を使うという。


「そんな時、救世主様が現れたのですわ! 栄えある光の勇者様……ああ、素敵」

「それは、素敵よ! そうよ、格好いいし燃える展開だわ!」


 迷わずロレッタは同意してしまう。

 けど、そこでようやくカイルが口を開いた。彼はしがみつくシャルフリーデを優しく引っぺがすと、はっきりと通りの良い声で言葉をつむぐ。


「けど、俺は勇者とやらじゃないし、救世主にもならないよ。俺が守りたいのはここ、アルケー村だけさ。できてせいぜいそれくらい、なら……できることだけはしっかりやりたいんだよなあ」


 朴訥ぼくとつな言葉だったが、本音の本心だろう。

 カイルにとっては、世界とはこのアルケー村のことだ。

 狭いとか小さいとかじゃない。

 生まれ育って、これからロレッタと生きていく場所……村長の息子として生まれた自分の、守っていくべき場所がアルケー村なのだ。

 外の世界を知ったからこそ、アセットにはわかる。

 王都おうとでも変わらないし、大人になってそういうことなのだろう。

 きっと大人には、自分の世界が固まってるのだと思った。


「そんな、カイル! このっ、わたくしが言ってるのですわ!」

「俺は剣も我流がりゅう見様見真似みようみまねだし、自警団だって周りの大人たちが力を貸してくれるからこそだよ」

「でも、カイルはいつもわたくしを助けてくれますわ。それに、優しいもの!」

「そりゃ、領主様の娘ってのもあるけど……俺も、母さんがいないからさ」


 ロレッタが、あっ! という顔をした。

 それに、アセットも思い出していた。

 そういえば、昔は領主様の娘なんて、村に寄り付きもしなかったし名前も知らなった。ただ、小さい頃の流行はややまいは、身分を選ばず誰でも平等に命を奪っていったのだ。

 カイルは、自分と似た境遇のシャルフリーデに優しくしたかったのだ。

 シャルフリーデもまた、母に代わって領主の仕事を手伝いたかったのかもしれない。

 部外者だからか、マスティが上手く場の雰囲気を取りつくろってくれた。


「ま、少年少女の青春だよねえ。お姉さん、そういうの好きだぞ? ……良かれと思って行動することを、忘れてはいけないのさ。その結果を受け止めることもね」


 貯水池の大きな池に目を細めて、マスティはなんだか寂し気だった。

 妙に乾いた笑みが、まるで貼り付けた仮面のように思えたのだ。

 だが、そんな中でミルフィが突然声を張り上げる。


「アセット、あれはなんだ! 初めて見る……周囲の自然にも驚いたが、あれは!」


 ミルフィが指さす先に、鎮守の森が広がっている。こちらもやはり、人が深くまで踏み入ってはいけない大自然だ。そして、その入り口に一匹の獣が立っている。

 こちらをじっと見て、まだ距離があるからか逃げようともしない。


「えっと、鹿しかだね。大丈夫、恐ろしい動物じゃないよ」

「シカ……? 何故、動物がこんなところに」

「野生動物だもの、普通だと思うけど。……あ、ミルフィのとこじゃ珍しいの?」

「動植物は全て、現存する種は厳正に管理されている筈だ。そもそも、アタシから見ればこんなに自然が、しかも本物の大自然がありふれてる方が驚きなんだ」


 そんなもんだろうか。

 だが、王都に行ったことがあるアセットには少しはわかる。大都会では驚くほどに、自然が少ない。公園や街路樹といった、部分的なものばかりだ。全てが人造の被造物に満ちていて、石炭の煙で空はくもっている。

 はなみやこといわれる王都は、忙しくてせかされるように誰もが働いていた。

 アセットもその一人だったのだ。


「あっ、小さいのもいる!」

「親子だね。小さい方は子供だと思うけど、って!? ミ、ミルフィ!」

「もっと近くで見たい! 親と子が一緒にいるなんて、不思議じゃないか!」


 突然、ミルフィが走り出した。

 風をはらんで、ふわりと頭巾が脱げて落ちる。

 真っ白な短髪を揺らしながら、息せき切ってミルフィは全力疾走。それを見た鹿の親子は、左右にねながら森の奥へと姿を消した。

 鎮守の森は野生の動物にとっても、楽園のようなものだ。

 不思議と、魔物や亜人のたぐいが現れないのである。


「待って、ミルフィ!」


 アセットは頭巾を拾いつつ、仲間と一緒に走り出した。

 だが、ミルフィの健脚けんきゃくはあっという間に、森の奥へ見えなくなってゆくのだった。

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