5、赤い傭兵ディーン①
アデール国が戦に巻き込まれなかった理由は、羨まれるほど豊かでもなく、他国との交流がしやすいといった地の利があるというわけでもないことである。
最近急激に需要を伸ばしはじめた武器や防具に加工される鉄鉱石や、燃料になる石炭、豊かさを保証する金銀宝石などはアデールでは産出されていない。
王国が誇れるものといえば、平和で牧歌的な生活、豊富な植生、絹糸や羊毛を緋色に美しく染める染料。
自然とよりそう生活。
そしてこの地を安住の地と定め導いた、古き血族である美しき彼らの王たちぐらいである。
森を強引に進もうとすれば、王国を大きく取り巻く太古の森には時折底なしの沼が出現し足をすくう。
草原の国々が騎馬兵を向けようとすれば、森に加え切り立つ山が自然の難所となる。
それゆえ、幸運なことにアデール王国は侵略の対象とはなっていない。
そんな中、森を焼き払い平野の国々を力で圧倒しはじめてきたのはエール国であった。
数年まえまでアデールと同じような小国であったが、戦術の巧みさで版図と国力を増してきていた。
今日の平和が明日も約束されているわけではない。
戦の足音は辺境のアデール国にも確実に近づいてきているのである。
アデール国の王城の中には、騎士と戦士たちの鍛練場がある。
正式に騎士に任命された者も、見どころのある者たちもそこで研鑽をする。
戦の話が食堂で挨拶がわりに交わされるようになっている不穏な社会情勢を写し、剣術、槍術、体術、弓術といった複合的な鍛錬場が、城下の町中に、この数年のうちにいくつもできていた。
農村の子も、職人の子も、職業に関係なく男の子であれば通わせるのが流行りである。
正式に職業についても通い続ける者も多い。
彼らは、やがて来るべき時がくれば、国を守る盾と槍になる。
そういう国を思う意識が、森に閉じられた小さな共同体として生活を堅実に営むアデールの民にはある。
ここ数年で、双子が城から眺める城下景色は急激に変わっていく。
それと共に、ロゼリアのアンジュ王子としての要求されるレベルはますます高くなっていく。
古き森の王国アデールの、勇ましくも賢い王子であってほしい。
期待と願いが、まだ12才のロゼリアにのしかかる。
いつまでも、わたしをお嫁さんにしてとエールの王子に願った女の子ではいられない。
頬はふっくらと艶やかで幼さは残すが、その年頃の女子たちが浮かべるような曖昧な笑みと菓子と噂話とはもう何年も無縁であった。
むしろ、ロゼリアは女子たちからそのような笑みを向けられる方となっている。
ベルゼ王のそばで国の動きを見て学ぶ。
疑問に思ったら祐筆や賢者に聞く。
さすが世継ぎである。
強く、賢い。
それがロゼリアが扮するアンジュ王子の枕ことばである。
彼が王になればアデール国は安泰だ、そういう風に思う者たちも多い。
ロゼリアが王子として振舞いが自然で、一方でロゼリアのかわりに姫として行動するアンジュが相変わらず内向的で人見知りなので、王城に通う者たちは、目の前で一人前の顔をして議論を戦わせているアンジュ王子が本当は女子であるということなど、一緒に過ごすことが多いものほど失念してしまうのであった。
ロゼリアは周囲の評価に満足などしていない。
アンジュと比較して、自分がより王子らしいというのではなくて、比較するまでもなく、強くて賢い王子になりたかったのである。
その日は、城下のある鍛錬場に一人の男が呼ばれていた。
燃え上がるような赤毛を短く刈り揃えた男、ディーンである。
アデール国では戦に強いヤツが欲しいらしいぞ?という噂を聞き付けて、行商と共にアデール国にやってきたのだった。
王城の門をたたき、傭兵はいらんか?と問うと門番にいらん!と剣呑に追い返される。
そこで押し問答をしている時に、偶然通りかかった騎士団長が間に入った。
ディーンの油断ならない底光る眼を騎士団長は気に入った。
アデールではお目にかかれない、戦場の阿鼻叫喚を潜り抜けた本物の戦士の目である。
そこで、傭兵はいらないが、指導者としてなら雇ってやると打診する。
ディーンは騎士と戦士と両方に、実戦で通用する戦い方を指導する指導官として、アデール国に雇われたのだった。
当然、すんなりと指導官として収まったわけではない。
侵略したこともされたこともない平和な国の騎士たちは、自惚ればかりが強く鼻持ちならない男たちの集団であった。
指導する前に、お前の実力を見せてくれと試合を申し込まれたのである。
赤毛のディーンはルールに基づき試合をするというだけでもアデールの平和ぶりを笑いたくなるのだが、はじめは1対1で叩きのめし、次いでは1対2、1対4、と倍々に増やしていく。
1対8で、8人全員の剣を弾き飛ばした時には、ディーンの実戦の強さは騎士たちも戦士たちも全員納得せざるを得なくなったのである。
そのディーンの破格の強さはベルゼ王の耳にまで入るのにそう時間はかからない。
ディーンの元に、12才の男女の双子に特別に稽古をつけて欲しいとオファーが舞い込んでくる。騎士団長からである。
王城の剣術の指導官だけで生活するには充分すぎるほどであったので、ディーンは断るつもりでいた。
そもそも子供というものを好きではない。
「12才は騎士の鍛錬に加わるには若すぎるから、早めに鍛え上げたいという親の希望なのか?それに、女子に対してなら、実践的な自分の指導より、基本的な指導で十分ではないか?
男女とも俺からではなくて、基礎を丁寧に学んだ方がいいだろう」
ディーンは他を当たれと騎士団長に断った。
「わたしの友人は言い値の報酬を出すと言っている。ただし、二人を同じぐらい強くしてほしいとのことだ」
と騎士団長。
ディーンは、女子を男子と同じぐらい強くできるわけがないだろう、と喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
ほんの少し、言い値の報酬でぐらついた。
引き下がりそうもない騎士団長に若干恩も感じていたこともあって、ディーンはとうとう双子の男女を同じぐらいに強くするという、無茶な仕事を受けてしまったのだった。
約束の時間通りに、歩いてやってきた子供たちは二人共男子の装いである。
日に照り映える、二人のきっちりと一つに編み込んだ黄金の髪が美しい。
整った顔立ちは、性別の違いなど感じさせないほど鏡に映したかのようにそっくりだった。
見るからに育ちの良さそうな、品のある雰囲気である。
付き添いの男の存在も、良家の子供であることを示していた。
ディーンは腕を組み、鍛錬場の木陰で彼らが近づいてくる様子を観察する。
同じ髪型。同じ服。
だが、その肌色が違う。歩き方が違う。
一人は色白で、控えめに目を伏せていた。
一人は、よく日に焼けた肌にまっすぐに前を見る煌めく瞳。
すぐにディーンに気が付き見返した。
同じなのに二人は全く異なる別人格だった。
双子の性差でこんなに違うのかと、ディーンは興味深く思う。
「男女の双子と聞いていたように思うのだが、双子の女子を教えるんだったか、、?それにしても可愛いな!」
初めて双子を見るものはたいていそういう印象を抱く。
ふたりの可愛い女子である。
口には出さないものがほとんどだが、この赤い燃えるような髪をしたディーンは、己の感じたことを言うのに何のためらいもない。
シャン。
ディーンが少年と思った方の剣が抜かれた。
胸元によく研がれた刃先が挑戦的に突きつけられた。
練習用の剣でないことは一目でわかる。
しかしながらそれは、一度も血の吸ったことのない、剣を握るその少年そのものような、汚れのないまっさらな剣であった。
「僕たちを指導する気がないんなら、ここであんたを倒して別の強いヤツを探す!」
鋭くとがったナイフのような、威勢よい言葉が男を刺さす。
その言葉の通り、迷いなく刃がディーンの胸へ食い込もうとする。
同じ顔の少女が恐怖に息を飲んだ。
ディーンから、からかう調子がそぎ落ちる。
その一瞬で、ディーンはその少年、男装のロゼリアを気に入ったのだった。
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