4、初恋

ジルコンは墜落の衝撃に意識を手放した。

冷たく、ざらつき、重くて苦しい。

神経をイラつかせるような不快な闇夜の中にジルコンはいた。


どこかで女の子のすすり泣く声がする。

そう意識するやいなや急激に浮上する感覚。その声に引き寄せられた。

ジルコンは目を開く。

開いたと思った。

本当に開いたかどうかを疑うような暗闇。

直前の状況がわからず小さなパニックになる。

すぐに明るい一点に引き寄せられた。

いびつにぽっかり口を開く大きな白い月。


何度かまばたきをして目を凝らしてみると、ただの真っ暗な闇だったものから、様々なものの影が浮かび上がってきた。

それと同時に落ち葉を踏み抜き穴へ落ちたことを思い出す。

背中と腰を打ちつけたようでじいんと冷たく重い。


月と思ったのは、落ちた穴の口だった。

そこから、ひとひらの落ち葉が右に左に、ときおり宙で留まり、また舞い始め落ちていた。

垂直に、人の手で雑に掘りこまれたのだろう、ぼこぼこと無作為にうねる土壁。

湿った土の匂いと発酵臭。

ジルコンのいるところは暗いが、穴蔵の上方では斜めに光が差し込むところもあった。

そこから察すると日はだいぶ傾いているが、落ちた時間から考えてもそう長く気を失っていたようではなかった。


「うえっ、うえっ、、うええっ、、、、」


ジルコンを目覚めさせたのはぐずぐずと泣いている女の子。

首を起すと闇に慣れた目に、腹にしっかりと顔をうずめて貼りついている女の子がいた。

肩で切りそろえた髪には落ち葉やら小枝やらが絡みつく。

ジルコンを臆病者と断定して走り回った同じ子とは思えない、ただ泣きじゃくるだけしかできない女の子だった。


ジルコンは、ようやく自分の体に意識を向けた。

背中を下にして、足は上に投げ出されていた。

おしりがズッポリと落ち葉に埋まっている。

手を握る。足首も動かしてみる。

何の問題もなく動く。

落ち葉が墜落の衝撃を吸収してくれたようだった。


ただ、腕にはひりつくような痛みがあった。

腹を押さえつける女の子はジルコンが意識を取り戻した気配に気が付いたのか、泣き止んで体を起こした。

ジルコンの顔に顔を寄せる気配。

ちいさな息がかかる。

ジルコンは、体をずらして腕を上げた。痛みの元を確認する。


穴に落ち込んだ時に、咄嗟に腕を張り、壁に押し付た。

その摩擦で袖は手首までズタズタに裂け、肌も傷つけたようだった。

斜めに走る傷は出血し、軽いとは思えないが、耐えられない痛みではない。

ふたりが落ち込んだのは、猟師が獲物を捕まえるための落し穴。

穴蔵に落ちた哀れな獲物を串刺しにして仕留める竹の槍がなかったことを、心から感謝する。


「アンジュ、、大丈夫か、、、?」

喉に唾が絡んでかすれた声になる。

「ジルっ、ジルっ!ああ、生きているっ」

不安をにじませながらも喜びに上ずる声。

動かないジルコンが死んだのかと思い、よっぽど心細かったのだろう。


「君は怪我はしていない?大丈夫か?」

「わたしはね、本当はロゼリアなの!」

「ロゼリア、、、」

それはもうひとりの双子の女の子の名前ではなかったか。

女の子は今度は腹ではなく起こした胸にしがみつこうとする。

ジルコンはそっと押してスペースを確保する。

落ち着くまえに、すべきことがあった。


「ハンカチは持っているか?」

ロゼリアが懐からごそごそと差し出したのはザラっとした手触りから手の込んだ刺繍がされているのだろうハンカチである。

とりあえず泥除けと止血を兼ねて傷に巻こうと思うが、口と利き腕でない方の手で縛ろうとするがうまくいかない。

ロゼリアは利発な子らしく、すぐに意図を察した。

小さな手で器用に結ぶのを手伝ってくれた。


「本当にどこも怪我をしていないの?」

ジルコンはロゼリアの服の上から全身をたどる。

服がひどく汚れているところはあるが、どこも怪我はないようだった。

とっさに庇ってジルコンが彼女のクッションとなったようだった。

ロゼリアが下になったら、彼女は自分の重みでつぶれていたかもしれないと思うとぞっとする。


落ち込んだ穴の入り口を見上げた。

「ロゼリア、登れるか?」

「登ろうとするとぼろぼろと崩れてくるの」

女の子は力なく首を振った。

そんなに高さはないが、落ち込んだ穴の壁は土肌で、もろもろと崩れやすかった。

足を掛ければ埋まってしまう恐れがありそうである。


では、こういう時どうすればいいのか?

ジルコンはとるべき最善の選択肢を考えた。

叫ぶか音をならして助けを呼ぶ。

危険を犯しても無理に登り脱出を図る。

何もせずに助けを待つ。


ふたりが森へ入ったことは城の者も知っている。

ロゼリアのとっておきを知っているもので、森の丸太小屋にいないならばその周辺を探すはずだと思う。

自分は王子で彼女は、ロゼリアは姫なのだ。

戻らないとなると捜索隊も結成されるだろう。

いずれ来る彼らをまって体力を温存するのが最善の策に思えた。


だが、もうじき日は完全に暮れるだろう。

捜索も難行することもありえる。

そうなれば長丁場になるかもしれない。


穴の底で体を動かして、少しでも居心地の良い座り心地を探した。

すりよる女の子を引き寄せた。

抱きかかえられたことにびくりと驚くが、そんなに広い空間があるわけではない。

ジルコンに体を預けてそこが定位置であったかのように収まった。

どれぐらい待つのだろうと考えていると、子供に重い沈黙は耐えられない。

ロゼリアが口を開いた。


「、、、ごめんね、ジル。またわたしやっちゃったの」

哀れな猫のような声である。

「君の周りの者は、いつも大変なんだろうなあ」

実感がこもる。

いつもお転婆をしては、トラブルを起こして叱られている姿が、まざまざと思い浮かんだ。

「そうなの。こんなのだから、わたしは女の子じゃなくって、男の子になったの」

これは、ジルコンの気になっていた謎だった。


「アンジュがね、大人になって体が強くなるまで、わたしがアンジュになるの。だってわたしはお転婆で、喧嘩がつよいから」

「、、、ケンカはいつもアンジュとしているの?」

首を振ると、柔らかな髪がジルコンの口をくすぐった。

絡まる枝を取ってやる。

「アンジュとはしないよ。城の、餓鬼どもたちとよ。喧嘩したらひゃくせんれんまなんだから!」

そういうロゼリアは何を思い出したのか憤慨して言う。

「それは、、、すごいね」

くすりと笑える。

ころころと変わる感情の変化が面白かった。

まるで、草原も超えたずっと東方の国の、宝石細工の万華鏡のようだった。

覗き込みまわせば鮮やかに美しい模様を見せる。

次にどんな模様が現れるのかわからない。

ただ美しさにひたすら魅せら続けるのだ。


「それでね、わたしはアンジュ兄になって、アンジュはロゼリア妹になるの!これはアデール国の最重要キミツなの。トップシークレットなの。

去年から始まっている。、、、うまくいってないけど」


少しの間。

再び沈み込む気配。

ジルコンの胸にロゼリアの気持ちの重さを知らせるように、その小さな体は重くなる。


「、、みんな、わたしたちが生まれてくる時に、魂が入り間違ったんだと影で言っているの。アンジュは女の子の体に入る予定で、わたしは男の子に入る予定だったのに、神さまの手違いがあったんだって。

わたしがやんちゃして先に女の子にはいってしまったから、アンジュが仕方なく男の子に入ったんだって。だからアンジュは病弱なんだって。わたしのせいなんだって、、、」


ロゼリアはそういいながら落ち込んでいく。

兄の病弱なのは自分のせいだと言われた時の苦しみが、ジルコンの胸にもなだれ込んでくる。


「僕は、ロゼリアが女の子で良かったと思うよ?ロゼリアは元気でとても可愛いし、きっと将来とても素敵な女性になるよ」

「本当に?そうだと思う?」


ロゼリアは顔をあげた。

ジルコンの顔を見ようと後頭部をぐりぐりと押し付ける。

暗がりの中では顔は見えないし、その角度からでは顎と鼻の孔ぐらいしか見えないではないかと思う。でもそういうことは関係ないらしい。

ジルコンは微笑んだ。


「本当。僕が保証するよ。ロゼリアはすぐにものすごく綺麗になるよ。だから、男の子になる振りなんか止めなよ?」

「じゃあ、ジル。わたしが素敵な女の子になったら、わたしをお嫁さんにしてくれる?」


頭脳明晰で眉目秀麗な父王フォルスに似たジルコンは、既に9つでエール国内でもモテモテである。

ロゼリアが城中を連れまわしたのも、とっておきの一番目の秘密基地に連れていきたかったのも、ひとえにこのはじめて会った黒髪黒目の恰好いいお兄さんと一緒にいたかったからだった。

とはいえ、こんな虫の這い廻る穴蔵に夜通し一緒に過ごすところまでは望んでいなかったのだが。


ジルコンは熱意に負けた。

この子には初めからあらがえないような気がした。

女の子からの直球のプロポーズはジルコンの胸にストンとはいった。

ジルコンはおでこにキスをする。

約束のキス。


「約束するよ!」

ふわっとロゼリアが笑う気配。

ジルコンも笑い返した。


いつまで待っても二人を探すものは来ない。

初夏とはいえ夜の穴蔵は冷えた。

だが、ぴたりと寄り添うお互いの熱はうまく循環する。

あたたかで穏やかな空気の膜が包んでくれているようだった。

心細くてすすり泣いていた女の子はここにはいない。

将来を約束したお兄さんが守ってくれている。

エールのジルコン王子がロゼリアの初恋。

同時にジルコン王子もそうだったのかもしれない。


夜空が白じらと明け始める頃、10匹の猟犬と100人の捜索隊により、穴蔵で抱き合って眠るアデールの姫とエールの王子はようやく助けられたのだった。


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