「小説を書きたいと思っている人」が、たびたび誤解をしていること

「小説を書きたい」

 と思って、筆を執る。

 これは、ごく自然なことかと思う。


 ただ、

「書きたい」

 と思っていて、小説の書き方本へ先に目を通す人も多いだろう。


 だが、ちょっとまってほしい。


 その小説指南書、ほんとうにあなたにとって必要だろうか。


 エンジョイ勢の方よ。


 あなたは知らず識らずのうちに


「公募向けの本」


 を読んでいないだろうか?


 ガチ勢、セミプロならまだしも、


「小説の公募に応募する気もない」のに、「てっとりばやく上達したいから」と。


 こういう人は、小説講座にもたまに来る。


 オレが通っていた講座では、そういう人が来ると、

「ウチはガチプロ向け講座です。エンジョイ勢には不向きです」

 と、責任者は毎回断っていた。


 なぜかというと、

「いきなりプロ向けの講座を習うのは、小説の上達にはつながらないから」

 である。


 ガチ勢は、エンジョイ勢が習っていることは「数日で」マスターしてしまう。

 それくらい、セミプロとアマチュアには壁がある。


 基本的なことは予習済みで、公募とかも出していて、「それでも一次選考に通らねえ」って人が通う。


 エンジョイ勢の学習法と、ガチ勢の学習法は、質がまるで違ってしまう。


 へたにエンジョイ勢がガチ勢の学習法を習うと、

「体力がないのにプロ向けのトレーニングをしてバテてしまう」

 状態になる。


 公募は体力勝負だ。

 時間調節、体調管理も大切。締切も意識する必要がある。


 長編を書けるか書けないかで一喜一憂している人が、そんな時間管理などできるはずがない。


 ガチプロ向けの指南書も同じで、結構厳しいことが書いてある。


 特に「文章は最後に直しましょう」という項目があると、

「結局、最終的には美しい文章を書く必要があるんだ!」

 と、アマチュアは勘違いしてしまう。

 心当たりはないだろうか?



「最後に」文章を意識する必要性があるのは、「公募だから」だ。

 編集さんが読むからである。


「ちゃんと文章が書けますよ。誤字チェックもできてます。仕事ができます」


 という、「基本的なことはできています」という意思表示にすぎない。


 アマチュアが覚えておくのは

『物語がしっかり完結しているか」

 程度でいいかなと。


 どれだけ時間がかかってもいいから、一~二千文字できれば上等である。


 それすらできないで小説講座を去っていった人を、オレは何人も見てきた。

 これから面白い物語を作るはずだったろうに、最初の段階で心が折れたのだ。

 実にもったいない。


 執筆練習は、ピアノや球技などの練習とさして変わらない。

 みなさんも、まずは身の丈にあった練習を。


 もし「練習と思わない程度まで楽しくできている」なら、それは「好きだから」書いている。

 大事にしよう。

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