第49話 聖女と報告

 俺はオルルから必要な書類を受け取ると重い足取りで拘置所を脱出する。もうしばらくはここに来たくないと思いつつも来なければならない現実に思わずため息を付きたくなる。


 俺は憂鬱な気分に苛まれながら本部の受付を目指す。数分ほど歩き、目的の場所へとたどり着いた。受付の女の人が俺を見るなり目を見開き、硬直した。


「お疲れ様です、<灰の勇者>様。ところでそのお姿はどうされたのですか?」


 オルルにも指摘された血に濡れた衣服が気になるようだ。確かにここまでの傷を負ったのはいつぶりだろうか。少なくともここ数年間はまともに血を流したこともなかったかもしれない。驚かれるのも仕方がないのだろう。何せ俺は『最強』を冠する<勇者>なのだから。


「ああ、これですか? 安心してください、これは返り血ですよ」


「そ、そうだったんですか。それならば納得です」


 受付の女性はほっとしたかのように胸を撫でおろした。俺は予想以上に強いと思われているのだろうか。それとも<勇者>という存在は無敵なものとでも思っているのだろうか。彼女の真意は分からないがあまり過度に持ち上げられるのは気が引ける。俺自身そう高尚な人物ではないからだ。


 だが、救世機関としてはその方が都合がいいのも分かっている。<勇者>や<聖女>が絶対的でなければ乱れている世界がさらに秩序を失ってしまうし、組織としても優位性が揺らいでしまう。司法というものに完全はないがそれでも正しく見えるように振る舞わなければそれはただの権威の暴力だ。


 人と言うものは悲しいもので目先に見える幻想に踊らされてしまう生き物である。だからこそ俺たちのような世界のバランスを保つ組織は必要不可欠なのだろう。だが、そこに自分がいるのは……。


 思考が堕ちていく感覚を感じているとそれを振り払うように俺の体が揺れた。


「何やってるの? お父様が呼んでるわよ」


 そこには見慣れた金髪の少女がいた。青い瞳が俺の顔を下から覗き込んでいるのが見える。その瞳には憂いの感情を孕んでいる。


「すまない。少し話し込んでしまっていた」


 俺は受付の女性にそそくさとオルルから貰った書類を渡すとアリエスと一緒に教主様の部屋へと向かう。


「勝手に落ち込まないでくれる? 事件も無事解決したっていうのに憂鬱な気分を持ち込まれても迷惑なんだけど」


「悪かったよ。だが、少し考えされられてな。俺みたいな出自の奴が御大層に『正義』の看板を掲げて力を振るうのはどうなんだろうってな」


 アリエスはわざとらしく大きなため息を付くと艶やかな金髪をたなびかせ、くるりと回転し振り向いた。


「何今更なこと言ってるの。今回の件に当てられたのかもしれないけどずっと昔の罪を数えるよりも今まで積み重ねてきた功績を誇りなさい。それに今のあなたは私のものよ。あなた自身を卑下することは私を中傷することと同義よ。少しは弁えて発言しなさい」


 ぶつけられた言葉の衝撃が心を揺らし、浸透していく。そのせいか俺の表情には自然と笑みが浮かんでいた。正直彼女の理屈は無茶苦茶だ。どこも理路整然としてなんていない。だが、不思議とそれでいいんだという気持ちにさせられる。俺のちっぽけな苦悩なんてどうでもよくなってくる。


「そうだな。忘れていたよ。今の俺はお前のものだったな。悪かったな、問答なことを言って……」


「そこはありがとうじゃないの?」


 宝石のような瞳が命令するように催促してくる。


「……ありがとう」


「よろしい」


 アリエスは天使のような笑みを浮かべ、弾むような声音でそう告げた。満足したのか彼女は再び俺を先導して歩き出す。


 数分もせずに教主様の部屋に着き、アリエスがこんこんと扉を叩く。


「お父様、シンを連れてきました」


「入れ」


 扉の外まで重厚な低い声が響いてきた。アリエスが扉を開けるといつものように書類の山を載せた机の後ろに教主様の姿が見えた。俺は部屋の中央まで進むと姿勢を正す。


「シン・アッシュクラウン。只今囚人の移送を完了し、帰還しました」


「うむ、ご苦労だった。ところでその血で汚れた服はどうしたのかね?」


「これは………」


「敵にやられたのよ。まあ、シンがそんな傷を負ったのは私がその時に能力を拝借してたからなんだけど」


 教主様は合点がいったのか先ほどよりも深く椅子に腰かける。


「なるほど、それならば納得だ。彼に及ぶものが早々いるとは思えんしな」


 俺はその信頼のこもった言葉を聞き、軽く頭を下げる。


「そこまで評価してくださり恐縮です」


「頭を上げなさい。過度な謙遜は時に毒にもなりえるのだから」


 俺は苦々しい感情を出さないように頭を上げる。


「失礼しました」


「うむ、それでシン。今回<蠍>の人間と戦ったのだろう? その実力のほどはどうだった」


「そうですね。かなり強かったように思えます。支部のリーダーをしていた人物の強さは正面戦闘では勇者に劣っていました。ですが、そうでなければ不覚を取る可能性もあるかと思います」


 教主様は顎を指で撫でると少し難しそうな表情を浮かべた。


「なるほどな……」


 何かを悩んでいるのか教主様が思索に耽っていると待たされるのを嫌がったのかアリエスが近づいていく。耳元で囁くように何か言っているのは分かるが距離的にその声は聞き取れなかった。


「ああ、すまんな。少し考えごとをしてしまった。二人とも今日のところはこれで終わりにしよう。後日正確な報告書を上げてくれ」


「承知いたしました」


「わかったわ」


 俺は一礼すると扉を開け、アリエスと部屋の外に出る。


「教主様に何を言ったんだ?」


「別に何も? それよりも早く休んだ方がいいんじゃない? あなたの神力枯れかけてるわよ」


 改めてそう言われると疲れを自覚し、どっと疲労が増したように感じた。


「そうだな、そうするよ」


 俺は重い足を必死に持ち上げながら自室を目指して歩いていく。

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