第4話 少年とグランツ商会

三人の男たちを追い払った俺たちは囲い込まれていた少年の様子をじっと観察する。見える部分には傷などは見当たらないためアリエスはほっと息を吐いた。


「君大丈夫だった?立てる?」


 そう言ってアリエスは少年に手を差し伸べる。だが、少年の口から小さな悲鳴が漏れびくっと体を震わせる。少年の紫紺の瞳が揺れ、そこには怯えの色が見えた。その反応にアリエスはほんの少し悲し気な表情を浮かべたがすぐに手を引っ込め、膝を折り少年と同じ目線で笑顔を浮かべた。


「ごめんね。君を怖がらせるつもりはなかったの。君の名前は?」


 僅かながら警戒が解けたのか少年はおずおずと口を開く。


「僕の名前はレンリ……です」


「そう。レンリ君ね。それでレンリ君、君のお家は何処かな?またさっきの人たちが襲ってこないとも限らないからそこまで送り届けたいのだけど」


「あの……ありがとうございます。あの……これ……」


 腰の麻袋から取り出し、差し出したのは数枚の金貨だった。金貨というものは普通の町人では一生目にしないなんてこともざらにあるほどの金額だ。つまりは子供が持つにはふさわしくないほどの大金であるということだ。これでこの子どもがあの男たちに狙われていたのも納得がいく。


 アリエスは柔和な笑みを浮かべ、できるだけ優し気な声で話しかける。


「大丈夫よ。お姉さんたちお金なんて求めてないから。それはあなたが親御さんから貰った大切なものでしょう。だからそれはしまって、ね?」


 少年は手の中の金貨を再び腰の袋に戻すと頭を下げる。そのお辞儀は顔の表情が見えないくらい深くくすんだ灰色の髪が地面に着きそうだった。


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 過度な感謝にアリエスは困惑した表情を浮かべながらも立ち上がり、少し少年から離れ声をかける。


「じゃあ、行きましょうか。あなたの家まで案内してくれる?」


「はい」


 少年はか細い声で返事をし、少女の顔を伺うように上目づかいで見ていた。そして、その場を静観していた俺の隣に移動する。俺はその行動に目を白黒させたが少年のおどおどした態度に心の中でやれやれと嘆息する。


「そんなに俺たちのことは気にしなくていいよ。俺たちが君を害することはないから」


 少年は俺の優し気な声音に安心したのかゆっくりと背を向け歩き出す。だが、決して俺のそばを離れないのはまだ先ほどの恐怖が残っているのだろう。俺はそう思うようにし、他の残酷の可能性から目をそらす。俺とアリエスには今余計な時間を過ごしている余裕はないのだから。


 レンリは路地を抜け、大通りを道なりに進んでいく。俺たちもその後をついていく。すると、先ほど見えた大きな塔の一つが近づいてきていた。そのただでさえ巨大な塔が目と鼻の先ほどの距離にまで近づくと俺は圧倒されその様相に目を奪われていた。俺が呆けていると不意に袖を軽く引かれ我に返った。


「あの……僕の今の家ここです」


 そう言って少年が指さしたのは先ほどまで見ていた大きな建造物だった。かなり良い身なりをしているからそれなりに裕福な家の子なのだろうと思っていた。だが、まさか二大商会の一角を担うグランツ商会の長であるヴィクトル・グランツの子だとは思わなかった。俺たちの動揺が伝わったのか少年はきまり悪そうに苦笑いを浮かべた。


「でも……僕は会長の子じゃないですよ。拾われただけです」


 俺たちの心の声を察したように少年は申し訳なさそうに自分の境遇を吐露した。


「そうなのね。ごめんなさい、気を使わせてしまったわね」


「い、いえ。お二方は僕の恩人ですから敬意を払うのは当然です」


 少年の少しずれた問答にアリエスはくすりと笑みを溢した。それに釣られたのかレンリの顔にもほんの僅かばかりの喜色が現れた。その少年の反応に俺たちは優し気な眼差しを向けた。


「それじゃあ、私たちは行くわね」


「そうですか……。ここまで送っていただきありがとうございます。それとこの街にいる間、一度でいいのでグランツ商会を訪ねてくださいね。大したことはできませんがお礼をしたいので」


「ええ、もちろん寄らせてもらうわ。またね。レンリ君」


 俺たちは踵を返し、目的の場所へと向かおうと背を向けた。


「あ、あの……」


 不意に二人はレンリに呼び止められ歩みを止め、後ろを振り向いた。


「名前……お二人の名前を教えてください」


 そう言えば教えてなかったなと失念していたことを思い出し、軽く咳ばらいをして名乗りを上げた。


「私はアリエス、そしてこの人は……」


「ユウだ。よろしくな」


 俺たちは少年に名乗るとその場を後にし、領主の屋敷へと歩き出した。レンリの姿が見えなくなるほど離れると徐にアリエスが口を開く。


「本当の名前は名乗らないのね」


「当たり前だろう。勇者の顔と名前が広まりすぎると仕事がやりづらくなる。それに相手は義理とはいえ大商会に連なるものだ。用心するに越したことはないだろう。この街にいる間は俺のことはユウという名で呼んでくれ。それと俺のことはただの護衛として扱ってくれよ」


「はいはい、分かってるわ。了解了解」


 アリエスは手をひらひらと遊ばせながら面倒くさそうに返事をする。その様子に若干の不安を覚えながらも整備された道を踏みしめていく。

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