日記(日記)

日記をこまめにつけると落ち着くんです。その日あったことを夜に思い返して簡単に書きつける。なんか人に言われてはじめて。その人はセラピーっぽい感じでいいとか言っててなんかわかる気がします。生活にもう一度触れ直してるみたいな感じで、自分は注意欠陥が強いせいなのか生きてる感じがぜんぜんしないんですよ。四六時中気が散っていて自分が自分をコントロールしているのかさだかではないというか。あたまのなかにふたつかみっつの川があるみたいなんです。その川のすべてに自分が同時に存在していて、たまに他の川の自分とつながってしまうときがあって、そういうときは急に世界から現実感が消えます。むしろそういうときのほうが世界の本来の姿のような気がします。世界の本来の姿なのか自分の本来の姿なのかそもそもそれは姿なのか。わからないけど。日記を書くと生きてるてざわりが追体験できる。でも追体験っていうかそこではじめて体験してるのかもしれないです。たまに愕然とするんですよ。自分があまりにも何も覚えていないから。ひどいときには朝から晩までなにをしていたかまったく覚えていない。SNSのログとかメールボックスとかレシートとかまさぐってようやく思い出すみたいな。でもログが残ってるならまだよくて結構ほんとに空白のなかにいただけじゃんみたいになるんですけどそういうときは覚えてないって書きます。覚えてないことくらいは書いたほうがいいかなと思って。思うんですけど日記って人に読ませるわけでもないのにそれらしくまとめようとしてしまうことってないですか。それはあまりにも日記的じゃないからやめようと思って。日記的なものを目指して日記書くっていうのも日記的じゃないんですけど。もっともらしくまとめようみたいな欲望からできるだけ遠ざかる場所をつくりたい。仕事で文章書いてても最後ってそれっぽくまとめないといけないじゃないですか。立派なことを言うとかじゃなくて終止形みたいなこと。ちゃんちゃん♪みたいな。このちゃんちゃん的なものが一時期めっちゃ気持ち悪くてなげっぱなしで全部終われたらいいのにって思ってました。実際やると最後もうちょっと足してくださいとか言われるんですけど。日記でまでそれやるのキモいっしょとか思って。ちゃんちゃん♪なしでやっていきたいでしょう。でも行動を書き連ねておくだけのほんとログみたいなのもそれはそれで書いてて楽しくないんで迷うところですよね。楽しさドリヴンでやるならいろんな趣向を凝らしたほうがいいのかもしれないけど日記なんか手癖で惰性が一番いいって感じでしょ。すると部屋も暮らしも人生もとっちらかった感じでどうしようもないのが日記にまで出てきちゃって。なんかジョナス・メカスのドキュメンタリーみたいですよ人生。まるごと。機械に媒介された断片と手触りだけでできているみたいな。でもそれでいいじゃんって最近ようやく思えてきたので。ジョナス・メカスのドキュメンタリーみたいじゃんって思えたおかげかもしれない。

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