バカナ
──フランクフルト・アム・マイン──
「Werfen Sie bitte nie PET-Flasche in den Biomülleimer!」
家政婦レオナ・フォークトの怒鳴り声がまるで聞こえないかのように、櫻井拓也が紫煙を燻らせる。その横に座っている大貫若菜が気まずそう様子を窺う。
「なあバカナ、コイツ何言ってるかわかんねえから訳してくれねえか」
「もう、バカナって呼ばないでって言ってるでしょ!」
WAKANAはドイツ人には「ヴァカナ」と発音されてしまうことが多い。拓也はそれを面白がって真似るのだが厳密にはWとBでは発音が異なる。「てか、あんた何年ドイツにいるのよ。未だにドイツ語分からないとかあり得ないし」
「うるせえな、さっさと訳せよ」
「『生ゴミのバケツにペットボトル捨てるな』だって」
「こっちは金払って雇ってるんだ、それくらいそっちで分別しろって伝えてくれ」
若菜は「これはこの人が言ったことなんだけど」と断ってから拓也の言葉を伝えた。するとレオナは「オー」と言い、肘を曲げてバンザイをした。ドイツ人がよくやる、怒りや抗議を表すジェスチャーだ。退出するレオナの背を見送りながら若菜がしみじみ言う。
「ホント、いいご身分よね。ニートのくせに家政婦雇ってさ。そんな暮らしに慣れたらあんたの奥さんなる人、大変ね」
「結婚なんかしねえよ」
「ホントかしら」
「だいたい女にホレるとロクなことねえからな。特に良妻賢母タイプは苦手だ。おまえみたいなやらしてくれるだけの女がちょうどいい」
すると若菜が拓也の胸ぐらを掴んだ。
「調子こいてんじゃないわよ。私だって金がなければあんたとなんか関わりたくないんだから!」
「……言い忘れた。うるさい女も苦手だ」
「ああそうですかっ! こっちもあんたみたいなダメ男はうんざり。もう二度と来るもんですかっ!」
そう言って若菜は部屋を飛び出して行った。
*
若菜は鬱憤を晴らそうと、近くにあったスポーツバーに飛び込んだ。こういうところだと、一人で入ってもみなサッカー観戦に夢中で、いい感じで放っておいてくれる。
ところが、あいにくと言うか、こういう時に限って話しかけて来る者があるのだ。
「スミマセン、ニホンゴ、オシエテクダサイ……」
見ると、馬面のコーカソイド青年。その手には「マンガで学ぶ日本語」という本が握られていた。ドイツ人男性にはアニメやマンガで日本語をマスターする者が少なくない。
「ゲ、あんたオタク? キモ!」
「オタク……ナンデダメ?」
「日本の女子はだいたい虫とオタクが嫌いなの。モテたかったらそういうの、やめときな」
「ヘンケンデス。オタク、ニホンノホコリ」
若菜はめんどくさくなった。頼んだビールにはほとんど口をつけないまま代金を置いて店を出た。
ところが先ほどの馬面青年がいつまでもついて来る。
「もうあっち行ってよ! 警察呼ぶわよ!」
「ワタシ、ニホンゴオシエテ、イッタ。アナタ、マダ、ヘンジシナイ」
「ああもう、わかったわよ! じゃあ、そこのカフェで!」
そう言って若菜はすぐそこのカフェに入った。馬面青年はその後について行った。
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