北川と古川 その6

 浜本の刑が執行され、担当の御供も磯原拘置所には寄り付かなくなった。そのことで、北川は何か取り残されたような感覚にとらわれた。そして、死刑囚にとって死は現実であること、いや、生きている限りやがて迎えるものであることを実感せずにはいられない。

 先日、白城美紀から「今すぐ会いたい」とねだられた。

「急に言われても予定あるし……」

 と断ろうとすると、

「嫌よ、絶対に会いたい。会わないと死んじゃう!」

 そこまで言われて、北川は結局何とか予定をやりくりして美紀と会った。何の話かと思えば、友人関係の愚痴だ。何も死ぬほどの問題じゃないだろう……と思うと同時に、美紀の「死んじゃう」と言う言葉の中に、死が絶対に訪れてはならないものという自明の理が表れていることに驚いた。いや、本来驚くことではない。誰もがそうだし、北川自身もかつてはそれが当たり前のことだった。しかし、こうして死刑囚たちを目の前にしていると、むしろ死を迎えることが必然で、それにどう立ち向かうか考えるのが当たり前という感覚になる。


「古川さん、あなたも死刑囚だ。人間誰しも死を迎えるものですが、あなたは確実に死ななくてはならない。そのことについてどう思いますか」

 北川は時々刑務官に気遣いながら、この微妙なテーマについて問いかけた。いつ止められるやもしれない。

 その問いかけに、古川はいつものように、訥々と答える。

「僕、新しく生まれた。ヒュドールプニューマで。僕、死んだ?」

「そ、そうですね。それは自我がキリストにあって死んだと神学的には解釈出来ますね」

「死ぬの、いい。新しく生まれるから」

 この辿々しい言葉は、北川には鋭く突き刺さるように感じられた。そして自らを落ち着かせるように聖書を開いた。

「マタイの福音書19章24節『また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい』……文脈として、この前に金持ちが出て来ているので富んでいる者とは直接的には金持ちです。しかし、それ以外にもあらゆる意味で心が満足し、もはや神などいらないと言う者は、すべてこれに当てはまるでしょう。あと蛇足ですが、聖書の言語でらくだカメーロンという単語はイエスが話していたアラム語ではガムラー、これには太い綱という意味もあります。つまり、本来細い糸しか通らない針の穴に、太い綱は通せないでしょう、ということです」

「金持ち、神の国、行けない?」

「え? まあ……」

「金持ち……かわいそう……」

 そうして古川は沈痛な面持ちになった。やっかみでなく、心から金持ちを憐れむ古川にまたもや衝撃を受けた。

「金がないのは首がないのと同じ」など言われるように、世の中で金がないほど哀れなことはない。金銭に富んでいることが必ずしも幸福には結びつかないが、金がないことは確実に不幸に結びつく……それは北川がこれまでの人生で痛切に感じて来たことだった。

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