小坂丸吉と高田慎吾

 北川はE県F市にある丸善中学校を尋ねた。すなわち、古川の母校であり、生徒だった高田慎吾や担任教師だった小坂丸吉の消息についてそこで尋ねるつもりであった。

「小坂先生はだいぶ前にここを辞めておられますよ」

 そう答えたのは、いかにもマンガに描かれそうな、メガネをかけたバーコード頭の教頭先生だった。「ちょうど私の赴任と入れ替わりのような形でしたね」

「……まだ教師を続けているんですか?」

「いや、教師は辞めて、駅前にある小西画廊に転職したと聞いていますよ」

 北川は自分が教誨師で、古川からの手紙を届ける旨を伝えた上で、小坂と高田の住所を教わった。


 しかし小坂は転居しており、教わった住所にはいなかった。たまたまそこに帰ってきた隣人に北川は尋ねた。

「あの、ここに小坂丸吉さんは住んでいませんでしたか?」

 するといかにも関西のおばちゃん風の隣人が答えた。

「小坂さんはもうだいぶ前に出ていかはりましたよ」

 そして顔を近づけて耳打ちした。「ここだけの話でっけど、離婚しはったんですわ」


 次に北川は駅前の小西画廊まで足を運んだ。大方予想はしていたが、小坂はここも辞めていた。

「小坂さんは鬱病になりましてね、仕事も続けられなくなったんですよ」

 店長はそう言いながら、小坂の現住所を北川に教えた。

 その教わった住所を訪ねてみると、そこは古い長屋建てのアパートだった。部屋の表札には「小坂丸吉」とあった。呼鈴を鳴らすと、ドア越しに「はい」という声が聞こえ、ガチャリとドアが開いた。顔をのぞかせたのはボサボサの髪の毛と無精ヒゲをはやした中年男性だった。長い間社会生活から遠ざかっていることがその風体から窺える。

「どちらさん?」

「磯原拘置所で教誨師をしている北川と申します。実は、あなたのかつての教え子だった古川晋也からこの手紙を預かっておりまして……」

 小坂は眉をひそめて手紙を受け取った。それは怪しんだというよりは、老眼のためらしい。

「それはご丁寧に。まあ、お上がんなさい」

 北川は一礼して家の中に入る。中は見事なほどに何もない部屋だった。椅子らしきものもなく、北川は床の上に正座する。その対面で小坂は胡座をかいて手紙を読んだ。

「ほう……こんなことがあったんですね」

「覚えてらっしゃらないですか?」

「生徒が教室の設備を壊したりすることは珍しくなかったですからね。鍵がなくなったことも、そんなことがあったなと言うくらいです。キツかったのは、そういう問題が起こる度に生活指導の先生に小言を喰らうことでしたよ。あの人は本当に性格がキツくて、今で言うパワハラですね。そのトバッチリが生徒にも向かってたなと、時々反省してましたよ」

「古川を疑ったりはしなかったですか?」

「いや、正直なところ古川のことはあんまり覚えとらんのですよ。どっちかと言えば自閉症の高田のことがいつも気がかりで、古川については印象が薄かったです。事件が報道されて、犯人が私の教え子だと言うことも、人から聞いて初めて気がついたくらいです。……それにしても、あの古川がこんな風に気に病んでいたとはつゆ知らず、つくづく私は教師失格でしたね」

 小坂は自嘲気味に苦笑した。北川はこの時、自分のここでの役目は果たしたと思い、暇を告げた。


 その次に北川は高田慎吾の自宅を訪ねた。しかし、

「慎吾は数年前に亡くなりました」と、その母親が語った。「二十歳を過ぎたころからてんかんの発作が多発しまして、その発作で転倒し脳挫傷を起こしてしまったのです」

「それは……ご愁傷様でした」

 北川は身分と用件を明かして古川の手紙を渡した。母親はそれをじっくりと読んだ。

「古川君のことはよく覚えています。慎吾は古川君のことが好きだったみたいですけど、こんな風に思っていらっしゃったなんて……。実は慎吾は中学校を卒業してから私と一緒に洗礼を受けているのです。古川君がそのようにキリストに導かれているのは、天国で息子が神様にお願いしているのかもしれませんね」

 母親は笑顔を浮かべながら涙を流した。北川も同意を示して頭を下げた。

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