御供と浜本 その1

 教誨室で浜本を待っている間、御供は教誨師の奉仕を引き受けたことを後悔した。御供も新聞で浜本淳一の悪行についてはすでに知っていた。御供は思ったことが顔に出てしまう方だ。浜本を見れば嫌悪感が顔に出てしまうかもしれない。……いや、キリスト教の個人教誨を願い出るくらいだから心を入れ替えているだろう、などと淡い期待を胸に抱いている頃、刑務官が浜本を連れて来た。

 浜本を一目見て、御供は自分がにわかに抱いていた淡い期待が吹き去ったのを感じた。御供の直感は、相手が自分にとって最も苦手とするタイプの人間であることを示した。

(この目……あいつらの目と同じだ)


 生来気の小さかった御供は、小中高といじめの対象となっていた。そして中学時代は姓をもじったというニックネームで呼ばれていた。

「おーい、!」番長格の荒川竜二あらかわりゅうじが大声で呼ぶと、周りの取り巻きたちも、ニタニタと卑劣な笑いを浮かべている。逆らうことの出来ない御供は、のこのこと不良少年たちの輪の中に入る。すると荒川が大量の吸殻を、御供の頭からブッかけた。

「ナンマイダー、ナンマイダー」

 不良少年たちは、手を合わせて御供を拝みだした。周りのクラスメイトたちは、気まずそうにチラチラと見ながら、見てみぬふりをする。彼らはそれぞれに色々な目をしていた。意地の悪い目、哀れむ目、見たくないものから逸らす目……しかしそのどれにも共通していたのは、見下す目だった。中学生特有の不安定な心を、彼らは御供を見下すことで少しでも安堵させようとしたのだ。


 浜本は好戦的に御供を見下ろすと、だらしなく着座した。

 ひるんではいけない、そう思いながらも御供は萎縮してしまう。客観的に見れば御供の方が社会的には圧倒的有利な立場であった筈である。しかし、御供の心中はまるで蛇に睨まれた蛙の如く凝り固まってしまった。

「あ、あの、キリスト教をご希望されたとのことですが、何かそう思われた動機などはあったのでしょうか?」

「動機?」

 ふん、と浜本は鼻で笑う。「俺に言わせりゃ、宗教なんてのは考える努力の放棄だ。何も考えずにお祈りさえしてりゃいいと思ってる。ずっとそうやって自分を甘やかしているうちに、やがてダメなクズ人間になっていくんだ」

 他人のことをクズ人間などと言えた義理か、と御供は腹立たしい気持ちで聞いていたが、自分を押し殺した。その様子を見て浜本は愉快そうに言う。

「御供君だっけ? あんたもそのクチだろ。見るからに弱っちいもんな。学校でいじめられて、うずくまってお祈りして現実逃避してたんだろ。それで何か解決したか?」

「ええ。信仰を持つことで、相手を許すことが出来ました。だからいじめられても心に平安がありました」

「へええ、じゃあさ、今、あんたを殴ってもいい?」

「……え?」

「俺もあんたの言う平安とやらをこの目で見てみたいんだよ。聖書に書いてあんだろ、右の頬を殴られたら左の頬も差し出せと。出来るよなあ、聖書に書いてあるんだから」

 そう言ったかと思うと、浜本は立ち上がって右手を振り上げた。御供が思わず避けようとしたが、その前に「浜本っ!」と叫んだ刑務官に取り押さえられた。

「へっへへ、冗談だよ。じゃあ、これからもよろしく頼むぜ、生臭坊主君」

 その日の教誨はそれで終わりとなった。刑務官に引き摺られるように退出する浜本を見ながら、御供は足がガタガタ震えているのを感じた。

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