御供浩之(みとも・ひろゆき)

「あとで教頭室に来て下さい」


 神学校卒業を直前に控えた御供浩之みともひろゆきは、教頭の五十嵐一郎に呼び出され、穏やかならぬ心持ちだった。

 全寮制で戒律も厳しいこの神学校で、御供はずば抜けて品行方正の模範生である。だから余程のことがなければ、御供が教師たちから叱責を受けることなどなかった。

 ところが、五十嵐教頭は人の本質を見抜く目があり、御供の生真面目さはむしろ彼自身の弱さから来ていることを見抜いていた……というのは御供の勝手な思い込みであるが、ともかく御供はどうもこの五十嵐教頭が苦手だったのである。


 重苦しい心持ちのまま、御供は教頭室の扉の前に立った。気を落ち着けるために深呼吸すると、新しく替えたカーペットの接着剤の匂いが肺いっぱいに立ち込めた。咳き込みそうな胸を左手で押さえながら、右手で扉をノックする。

「入って下さい」

 どこか威圧的な五十嵐教頭の声がドア越しに響く。

「失礼します……」

 御供は恭しく入室する。どこか堅苦しかったのか、五十嵐は笑顔を作ってみせた。

「まあ、そう固くならないで。……御供あには卒業後の進路を決めていましたか」

 むろん教頭の五十嵐が知らぬはずはない。知った上での布石だ。

「母教会の板垣先生のもとで副牧師を務め、その間に開拓伝道の準備をするつもりです」

「そうですか。……しかし、開拓ともなると色々厳しい環境に身を置くことになる。あなたはそれに耐えられますか?」

「難しいことは承知しています。でも神の御心みこころに従えば、自ずと道は開けると信じています」

「自ずと……ね」

 五十嵐教頭は少し皮肉を込めて相手の言葉を繰り返した。「もしそうなら、私が苦労のし通しだったのは、神の御心に従っていなかったせいかもしれませんね」

「い、いえそんな、滅相もありません!」

 慌てて打ち消す御共に、五十嵐はさらに質問を投げかける。

「……そう言えばこの間、連続幼女殺人事件がありましたよね。ニュースは見ましたか?」

「ええ、とても残念な事件だと思いました」

「では、あの犯人とあなたと、どちらが罪深いと思いますか?」

「……私もあの犯人と同じ罪人です」

 それを聞いて五十嵐教頭は肩をすくめた。

「模範解答ですね。でも、全然心に響かないんですよ。むしろ腹の底で自分は善人でございと言っている心の声が聞こえてきます。あなたが伝道する相手もきっとそう思うでしょうね」

 返す言葉がなかった。もともと御共は、人と議論したり言い返したりするのが苦手だった。

「……」

「少し意地悪過ぎましたかね。本当はこんな風にやり込めるつもりではなかったんですよ」

「……はい」

「それでは本題に入りますが……御供兄、教誨師のボランティアをしませんか?」

「教誨師って……囚人に伝道する人のことですよね?」

「そうです。教誨師をなさっている村山先生からオファーを受けましてね、若い伝道者を教誨師として派遣して欲しいと……」

 御供は怯んだ。人はみな罪人……教理として知っていても、犯罪者と向き合うのは恐怖が伴う。

「まあ、教誨師と聞けば怖くなるかもしれません。でも、獄中にこそ一般社会で平穏に暮らしている人々よりも、切実に福音を必要としている人々がいるのです。……板垣先生もあなたを推薦していましたよ」

「板垣先生が……ですか」

 御供がキリスト教に入信したきっかけは、家を訪ねてきた板垣牧師から『神様は君を特別な目的を持っておつくりになったんです。君にしか出来ないことが必ずあります』と言われたことだった。その板垣牧師が推薦するのだから……受けないわけにはいかない。

「わかりました。教誨師の件、引き受けます」

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