3


「う……う……あぐ……えっぐ……」


 わあああああああん!


 マッチが売れません!


「うう……」


 号泣です号泣。寝支度を済ませ、ベッドで涙涙涙ですとも。わ〜ん。


 初めてきちんと読みましたが、こんなにもマッチが売れないなんて、思ってもみませんでした。なんで買ってあげないですか。買ってあげてください。僕だったら、少女がパンを買えるくらいのマッチを買いますのに……。


 ずぴー。


「あうあう……はう」


 鼻をかみました。


 あう……まさかまさか、こんなにも心をえぐって来ますとは……さすがです。アンデルセン、さすがです。さすがのアンデルセンと言わざるを得ませんね。


 思いのほか、あられもないほどに号泣してしまい、男として恥ずかしいくらいに涙ちょちょぎれちゃいましたが、こんなところを妹の軌柞きいすちゃんに見られたら——なんて思うだけで、この涙も渇いてしまいそうです。


「兄貴ちゃん、うるせえよ」


「ぎゃー!」


「だからうるせえって」


 涙蒸発。じゅわ〜。


「ど、どうしているの!? 軌柞ちゃんどうしているの!?」


「その質問は、兄貴ちゃん。俺の存在理由を問いただしてんのか?」


「そんなスケールで『どうして』って言わないからね、僕」


「はっ! どうしてと問われたなら、すでに言ったじゃねえか。うるせえよって」


「……あー、ごめんね」


「たくっ。何時だと思ってんだよ。寝ようと思ったら兄貴ちゃんの部屋から怪しげな声が聞こえてきたから、これはいよいよ兄貴ちゃんがエロいことしてんのか、って思って、こっそりドア開けてスマホムービー構えてたのに、んだよ! 本読んでただけかよっ! とんだ期待外れだってんだよ!」


「そういう期待を僕に望まないでね?」


 時刻は十一時ちょっと過ぎ。中三にしては、そこそこ早寝しようとするんですね。僕の妹。


 早寝は良いですが、勘違いの内容は良くないです。僕は健全ですので。


 健全な僕とは真逆のような妹ですよ、まったく。


 お兄ちゃんがそんなことをしてる、と勝手に勘違いして、スマホ持って盗撮してた妹よりは、よっぽど健全なんだからさ、僕。


「そうは言ってもよー、兄貴ちゃん。泣き声が喘ぎ声だったぜ? 勘違いしない方が難しいって感じで、兄貴ちゃん喘いでたぜ?」


 なんならムービー見るか? と。軌柞ちゃんは入室して来ました。


 録画はしてたのですか……。最近買ってもらったばかりのおニューのスマホで録画してたんですか。


「4Kで撮ったんだぜー?」


「4Kで撮らないでよ。僕の感動を……」


「まあ見てみろよ」


「……………………」


 うわあ。泣いてる僕を僕が見るの恥ずかしい。


 なんの罰ゲームなんです? これ?


 あとたしかに、なんかエッチな声っぽく聞こえますね……僕の泣き声。


「これが兄貴ちゃんの泣き声。な? 鳴き声みてえだろ?」


「わかりにくい言い回ししないで」


 まったく。兄妹だから伝わったものの、普通でしたら会話で漢字の違いなんてわからないんですから。兄妹だから伝わりますが。


「もうムービー止めてよ……」


「こっからがエロい声だぜ?」


「おっ、じゃあもう少し見よう! って言うわけないでしょ! いいから止めて!」


「わかったよ。つまんねえなー。てか兄貴ちゃん、なんの本読んでたんだ? 本当はエロ本読んでたんだろ?」


「エロくないよ。めちゃくちゃ健全な本で、めちゃくちゃ素晴らしい一冊だよ」


「どれ?」


「これ」


「あー、へえ。『マッチ売りの少女』か」


「軌柞ちゃん、読んだことあるの?」


「ねえよ。でも貧乏人の話だろ?」


「言い方! 語弊があるよそれ!」


「売り物のマッチを一個も売らねえで、あろうことか大事な商品に、一本一本火をつけて、思いをせる、ヤンデレ火遊び女の話だろ?」


「だから言い方!」


 台無しだよその言い方……。アンデルセンに土下座しても足りないよ……。


 そもそもヤンデレじゃないですし。


「ヤンデレをなんだと思ってるの、軌柞ちゃん……」


「竜宮城のお姫様みてえな女だろ?」


「ちょっと待って。突っ込みたいところはたくさんあるんだけど、スルーして——竜宮城のお姫様がどうしてヤンデレなの?」


「浦島太郎を地上に帰すとき、玉手箱渡しただろ? あれってつまり——私の元から去るなら、じゃあこの玉手箱を渡して、絶対に開けないでくださいって言えば開けちゃう人間心理を逆手にとり、開けたら老いさせることによって、去ったことを後悔させながら、残り少ない人生を後悔と一緒に楽しみなさい、ってことじゃん? ほらやべえ女の話だろうよ? な? 病んでるだろ、竜宮城のお姫様」


「解釈が酷いよ……?」


「そう言われても、童話とか昔話って、結構やべえ男女しか出てこねえからなあ」


「ま、まあ……」


 認めたくはありませんが、一理あります。


「竹取物語のじーちゃんだってよ、光る竹を迷いなく切ってんだぜ? 信じられねえだろ。光る竹だぜ? あの時代背景じゃ、そんな竹見つけたら『神様じゃあ神様じゃあ! ありがたやー』とか言ってあがめそうなものなのに、切ってんだぜ?」


「……………………」


「じーちゃん正気とは思えねえよな。昔話なら、あとあれもな。鶴の恩返し。あの鶴もちょっとイカれてるだろ」


「鶴をイカれてるって言っちゃダメだよ!」


「いいやイカれてるね。俺はイカれてるって言っちゃうね。だってよ兄貴ちゃん。あの鶴、生命を救われてるくせに、その恩人を騙すんだぜ? なに女にけてんだよ。見栄張ってんじゃねえ。本当に恩を返したいなら、鶴のままで来やがれってんだよなー」


「軌柞ちゃんの感想、鬼すぎるって……」


「鬼といえば、桃太郎な。あれはあれで危険だろ」


「悪い鬼を退治するために少年が旅立つ王道ダークファンタジーのどこが危険なの……?」


「少年だったか桃太郎? あと王道ダークファンタジーって言えんのか?」


「まあ、そこは僕の個人的な解釈だから」


「ならこれも俺の個人的な解釈だけどよ、きびだんご——あれ、洗脳薬だろ?」


「おい。色々おいだよ軌柞ちゃん」


「ひょっとしたら、あのばーさん、とんでもねえ違法薬師だったのかもしれねえな。そんな裏設定があるのかもしれねえな」


「ないでしょ……」


「でも俺は、桃太郎はすげえと思ってんだぜ?」


「どのへんが? 一応聞くけど、どのへんが?」


「あのチート力」


「桃太郎にチートな部分あったかなあ……」


「鬼を無双してんだぜ? 桃太郎のパーティ編成で、鬼退治成し遂げてんだぜ? 猿とキジと犬の洗脳パーティで、鬼を無双とか、どう考えてもおれつえー系だろ。おれつえー系の元祖だろ、桃太郎」


「鬼無双って言えるかなあ……」


「たしかに描写は見たことねえけど、ワンパンだと思ってるぜ、俺は」


「見たことないんだ」


「読んだこともねえ」


「その割に詳しいね、いろんな物語に」


「まーな。俺は文系だからよ! 理系には見えねえだろ?」


「うん」


 文系にも見えないけどね。


「桃から産まれるなんて、破天荒過ぎるぜ桃太郎」


「軌柞ちゃん、桃太郎好きだったの?」


「別に好きじゃねえよ? 桃太郎はリスペクトしてるだけだ。だったら、俺が好きな昔話は、かさ地蔵だぜ」


「なぜかさ地蔵?」


「良いじゃんか、あの地蔵。あの地蔵は見栄も張らねえし」


「見栄を張るのが、嫌いなの? 軌柞ちゃんは見栄っ張りが嫌いなの?」


「いや、見栄っつーより、嘘が嫌いなんだと思うぜ。鶴の恩返しに戻るけどよ、鶴の手口は詐欺みてえなもんだろ? ついでに生命のお礼が布って。しかもその布、羽で織った布だろ。生命の恩人の気持ちにもなれってんだよ。せっかく救った生命からの押し売り自己犠牲で布貰っても喜べねえだろ。あとぜってえ鳥くせえよな! あはは! ウケんぜ!」


「もうやめてあげて!?」


 もう鶴を許してあげて!


 鶴もう息してないですから!


「つーか、そもそもよ。羽で布なんて織れるのか疑問だぜ。あの鶴は錬金術師なのかもしれねえな」


「……………………」


「ん? どうした兄貴ちゃん? おしっこ漏らしたみてえな顔して、どうした?」


「……いや、漏らしてないし、漏らしたみたいな顔はしてないよ?」


「そっかー。まあ元気だせよ!」


 僕の感動を返してほしいです。


 蒸発した涙、かむばっくです。

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