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なんでも
相手の目を見ない——ではなく。
相手に目を見せないこと。それによって、会話をしにくい状況を作り出し、長時間の会話を避ける狙いだとか。
あと、本当の一人称は『おら』らしいです。
僕は一度も耳にしていませんが、葉隠さんが教えてくれました。
ちなみにボクサーなのかは不明です。質問していないので、あしからずです。
ここまでの情報を得るために要した時間は、およそ一時間。葉隠さんが苦手とするなかなかのトークタイムですが、しかし
ま、まあ、人間誰しも間違いはあるものです。僕だって人類ですので、例外ではありません。僕が男だと証明できましたし、謝罪はし尽くしたので(ごめんなさいごめんなさい、靴とか舐めたら許してもらえますか、って土下座しました)、結果オーライとしましょう。
「……それで、葉隠さんは、どうして辞めたいんです?」
切り替えた僕は、ようやっと本題に突入です。思えば一時間も使ってする質問ではないように思えますが、一時間使ったことにより、
「さっき……言った……。じ、自分は、レズじゃ、ない……って」
コミュニケーションが取れても、こんな感じですが——そこは気にせず、気になる点、着目すべき発言に焦点を当ててみましょう。
「
耳にするだけならまだしも、自分でくちにするのはなんだか抵抗がありますね、レズって。
僕の認識では、たしか差別用語だった気がするんですが(『ビアン、って言ったほうが良いらしいぜ、兄貴ちゃん』って、女子からモテる
「ちょ、直接は、言ってねえ……ない。けんども……けれども」
「あのー、話しやすい話し方で大丈夫ですよ?」
聞き取れるでしょうし。たぶん。
「でも……、恥ずかしか……」
「葉隠さんが気にするほど、発音にうるさい人は居ないと思いますよ?」
「そ、そ……うだっぺか……?」
「はい。そりゃあ、アナウンサーとかでしたら注意されるでしょうけど、高校生でうるさい人なんて、僕は知りませんもん」
「笑われねえ……ない?」
「笑われませんよ。もちろん僕も笑いません」
恥ずかしい発音なんて、ありませんよね。
恥ずかしいのは発音ではなく発言でしょう。
発音にとやかく発言するほうが、よっぽど恥ずかしいことだ——と。僕はそう思います。
「それに、発音で笑われるのは、普段標準語で話している人が、ふとしたタイミングで意図せず
「そう……なんだっぺか?」
「はい。そうなんですよ。地元で笑われないのに、ここで笑われる必要がありませんよ」
僕の言葉に、葉隠さんは、ふっ——と。小さく笑みを漏らし、
「優しかね。おめさ」
ありがとおね——と。
「ずっと、男もんの制服さ着てっぺから、べっぴんさんだけんど、こりゃとんでもねえ変態だと思っとったんけんども、蓋を開けてみりゃあ優しい
「いま、
「……気のせいだべ。おら、
「思ってはいるんですね」
それ言ってます。一言多いです。
思うだけにとどめてください。内緒にしてて。
せっかく良いこと言ったかな、僕、って。
そんな感じでしたのに、無闇に僕を落ち込ませないで。しょぼーん。
「わ、悪気はねえんだよ? しょんぼりさせちまったなら、謝んべ。こんとおり、赤べこみてえに頭さ下げっぺよ。ごめんよお」
「……いえ、大丈夫です。平気です。慣れてますので、赤べこみたいに頭を下げないでください」
慣れてます、慣れてます。
ええ。慣れてますよーだ。
ふーんだ。慣れていても、ダメージはありますし、いくら慣れようとも、赤べこみたいにぺこっとされても、いじけるんですから。でも僕は大人の紳士なので、何があろうとも決して、態度には出しませんけど——と。僕が密かに内心むくれていると、
「長いわよ」
いつまでレディを待たせるつもり——と。気がつけば、一時間半が過ぎていてシビレを切らした
てか、廊下でずっと暇を持て余していたのでしょうか。なかなかの忍耐力に脱帽しちゃいますね。
堂々のログインを果たした熊猫さんは、待たされたイライラを足音に乗せ、ずかずか。リアル熊さんみたいな、どかどかリズムでずしずしと、こちらに接近して、言いました。
「辞めるの? 辞めないの? どっち」
なんて真っ直ぐな質問でしょうか。普段からそれくらいストレートに言えば良いのに感が否めない直球です。
「それは……その、おら……自分は、その」
唐突に答えを求められて、葉隠さんは混乱しているみたいです。無理もありません。身長は
人見知りがログインしてくるほど、シビレを切らしたのですね。
勝手に待っていたくせに——なんて言ったものなら、八つ裂きにされそうなので、もちろん黙っている賢い僕です。
我関せずのつもりはありませんが、我発せずではあります。お
「辞めるなら、わたし。あなたの発音を一生笑うわよ。ふふふ」
うわ、外道です……。やめてくださいよ。
僕の言葉を——笑う人なんていませんよ発言を——、全否定するの、よしてくださいよ……。
間接的に僕を嘘つきにしないで欲しいです。
が——熊猫さんの追撃は止まりません。むしろ加速しました。不機嫌なのに、ご機嫌に見えるくらいアクセル踏んでます。
「はーおかし。愉快な言語で話すものだから、廊下で笑ってしまったじゃない。このわたしを笑わせるなんて、どうしてくれるのよ。重罪よ」
その発言のほうが重罪です。
悪ですよ悪。
「わたしに一生笑われたいのなら、期待に応えてあげることはやぶさかではないけれど、どうかしら。あなたがわたしに、生涯笑いものものにされる覚悟があるなら、わたしは期待を裏切らない女よ。うふふ」
極悪です。悪い笑いかたがすごく似合っています。僕にスカートくらい似合ってます(自虐です)。履いたことはありません。念のため。
履かされたことはあります。念のため。
「自分……おらは……っ!」
僕が場ではなく自分を
「笑わせねえべっ!」
「そう。なら、答えは一択よ」
「ああ
あれ……?
険悪なバチバチムードのまま、なんだか話がまとまりそう?
あれあれ。不思議な展開になってしまいましたよ。おかしいな……なら、僕の一時間半はなんだったのでしょうか。
おかしな話、もといおかしな展開になってしまいましたが、しかしシチュエーションに頭を悩ませる僕をおいてけぼりにして、熊猫さんは言いました。
「ようこそ我が演劇同好会——改め、わたしの演劇部へ」
歓迎するわよ——と。偉そうに。一体いつから、『我が』なんて言える立場になったのかわかりませんし、『わたしの演劇部』と言えるずぶとい神経に疑問です。そもそも入部届けだって、さっき(と、言っても一時間半経っていますが)書いたばかりなのに、なぜそうも堂々としていられるのです? なんですその自信?
わかりません。わかりませんわかりません。
わかりません——が、どうやらお二人の険悪ムードは終わったようで、ちょっと目を離したら、いつの間にか、お互いの手を結んでいました。ハンドシェイクです。
悪手かと思われた熊猫さんの行動は、握手まで成立させちゃいました(わーい! 上手く言えましたあ!)。
なんか、すごいです。意味がわからないことの方が多いのですが、熊猫さんすごいです。
わからないことが多くとも、僕が言うべきことはわかりますので、じゃあ、僕も一言。
「よろしくです、葉隠さん」
「……うん、よろしくだべな、斎姫さん」
ふと、そういえば——生まれてから一度も斎姫『くん』って呼ばれないなあ、と。そんなことも思いましたが、しかし今は
長い前髪から覗く葉隠さんの顔が、とても嬉しそうでしたので。軸梨先輩がどうのこうの、って話、そういえば途中でしたが、気にならないくらいの笑顔でした。
まあ軸梨先輩のそれは、のちほど
あと、笑顔が見えて判明したのですが、葉隠さん、結構な美人でした。
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