聖子ちゃんカット

 草野は沼田班に替わってから、また契約が取れなくなっていた。月末が近づくと、蟹沢だけでなく沼田からも檄が飛んで来るようになった。いや、草野をどこか警戒している蟹沢よりも、沼田の方が遥かに高圧的で、事あるごとに辛く当たって来た。

「契約も取れんと、生きてる価値あるんかい、ボケ! おまえと同じ空気吸ってるだけで胸糞悪うなるわ、いっぺん死ねや!」

 最近蟹沢の暴言には慣れてきたと思っていた草野だったが、タイプの異なる沼田の罵詈雑言はキツかった。邪道とは思いつつ、また田辺に相談してみる。

「……沼田さんの弱味、ご存知ないですか?」

「いや、俺も沼田のことはよう知らんなあ。そやけどなあ、蟹沢の時は俺も協力したったけど、今回は自分の力で解決してみ。つまり仕事で成果上げるんや」

「福田班の時は蟹沢課長が怖くなくなったことで気持ちに余裕が出て、仕事も上手くいったんです。でも、沼田班になって気持ちが萎縮してしまって仕事もうまくいかないんですよ……」

「少年、営業側の気持ちなったことあるか?」

「……と言いますと?」

「売上好調、仕事バリバリの営業マンは確かに会社から見たらありがたい存在や。そやけど、客から見たら口八丁手八丁の押し売りや。そんな営業に来て欲しいと思うか?」

「それは……商売上手じゃなくても誠実に対応してくれる人の方がいいですね」

「せやろ。おまえはどっちかと言えば後者のタイプや。長い目でみたら、強引に押して売りよる沼田よりも、おまえの方が会社の利益に繋がる筈や。沼田なんか、何も恐れることあれへんで」

「はい、……何か少し勇気が湧いた気がします」

 草野は相談して良かったと思った。

「それからな、誰にでも他の人間にない長所言うもんがあるんや。それを見つけて仕事に生かせる奴は強いで」

 そう言われて、自分には他の人間にない長所があるだろうか、と自問自答する。第二営業課を見渡してみる。自分は……この中で誰よりも口下手で気が弱く、また営業が苦手だ。こんな自分に長所なんか……

 そう思った時、あることが閃いた。

(そうだ、第二営業課ここのメンバーが持っていなくて僕が持っているもの……これがあるじゃないか!)


 草野は翌日、大量の荷物を詰め込んだリュックサックを背負い、愛車ステップで枚方に向かった。目的地は澤村自転車だった。しかし、たどり着いてみると店はシャッターを下ろしていた。

(残念、無駄足か……)

 そう思っていると、上階からピアノの音が聞こえて来た。娘は在宅なのだ。そこで草野は住居の呼び鈴を鳴らした。すぐにピアノの音が止み、しばらくするとドアが開いた。

「……どちら様ですか?」

 中から顔を覗かせたのは、高校生くらいの少女だった。髪はその頃流行り出した聖子ちゃんカットだったが、総じて真面目な印象だった。

「ミヤケの草野と申しますが、今日はピアノの調律に参りました」

 あえて〝モータース〟の部分はカットしたが、聖子ちゃんカットの娘は疑わしい目で見ている。

「今日調律なんて聞いていませんけど、父が頼んだんですか?」

「そ、そうなんですよ! ご両親はいらっしゃらないんですか?」

「母は家におりません……父も銀行に行くと言って先ほど出かけました。……一応名刺か何か見せてもらえますか?」

 本当に調律師かどうか確かめるためだろう。両親の不在中に見知らぬ人間を上げるわけにはいかないから当然だ。草野はこうなることも見越して、調律師時代の名刺を準備していた。

「……わかりました。あと少しで父も帰って来ると思いますので、先に調律していて下さい」

 娘は草野を中に入れ、ピアノのところまで案内した。

「……すみません、調律に来るって知らなかったので、ピアノの上に色々載せたままになって……」

「ああ、いいですよ、こちらでやりますので。……どこかおかしいところはありますか?」

「とにかく酷く狂ってるのが気になります。あと、鍵盤が上がりにくいところが数箇所……」

「わかりました、直しておきます」

 草野はしめた、と思った。鍵盤など機械部分が動かなくなるスティックという症状は直すのが易しい上に客受けも良い。とりわけ今回のように半信半疑の相手を信用させるには大変都合が良い。

 一時間半ほどかけて調律は終わり、問題なく弾ける状態になった。娘に試弾してもらうと、彼女はとても喜んだ。

「うわあ、調律しているとやっぱり気持ちいいですね。鍵盤の動きも良くなっています、ありがとうございました……でも、お金預かっていないんですけど……」

「ああ、いや、いいですよ」

 と草野が言いかけた時、「ただいま……」という澤村の声がした。そして、草野の姿を見て目を丸くした。

「あんた……この前のミヤケの人やんか。こんなところで何してんのや!?」

「あ、いや、その……」

 草野がしどろもどろな様子を見た娘が言った。

「え? お父ちゃん、この人に調律頼んだんちゃうの!?」

「あほ、ウチに調律する金なんかないて前から言うとるやろ、あんた、何勝手なことしてくれとんのや!」

「あ、いえ、この前来た時調律が狂ってるのを聞いて気になってしまって……僕が勝手にやったことですからお代は結構……」

 と言いかけた草野の左頬に拳骨が飛んで来た。娘は悲鳴を上げたが、澤村は怒りが収まらない。

「人の留守中に勝手に上がり込んで、それで気ぃ引いて契約取ろうと思たんかい! アホか! 俺はそういうやり方が大嫌いなんや、とっととね!」

 草野は身支度もそこそこに、澤村家から追い出されてしまった。作戦は大失敗だった。

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