制裁

 叱責というものにも才能がいる。些細なこともナアナアで済まさない厳しさも必要だし、何より叱っても相手が怖いと思わなければ何の意味もない。

 そういう意味では、第二営業課の課長・蟹沢蛤次は天才だった。もともとが無茶なノルマであるから、部下への叱責も日課のようなものだ。それを嫌な顔一つせず……いや、キチンと嫌な顔を作って倦まず弛まず叱りつけるのだから、常軌を逸している。

 草野のいる福田班は、毎日のように蟹沢の罵詈雑言を浴びていた。特に成績の芳しくない草野は目をつけられていて、ある日とうとう〝個人指導〟を受けることになった。

 会議室で福田班のメンバーが横一列に並ぶと、竹刀を持った蟹沢が叫んだ。

「草野ぉーっ! 前に出ろ!」

「はい……」

 しげしげと前に出ていく草野を蟹沢は壁に向かって立たせた。

「そのままズボンとパンツ脱げ!」

 草野は一瞬耳を疑った。他のメンバーもザワザワしだしたので、「静かにしろっ! 草野も早く脱げ!」と怒鳴った。仕方なく草野はズボンとパンツを下ろす。その時女子社員は「キャッ」と悲鳴を上げて顔を覆った。ところが蟹沢は「ちゃんと見んかい!」と、その手をどけた。そして蟹沢は竹刀で草野の尻を思い切り打ち叩いた。

「ぎゃーっ!」

「バカやろう、軍隊のしごきはこんなもんじゃねえぞ! しっかり歯をくいしばってこらえろ!」

 ビシッ バシッ

 会議室の中を不気味な音がこだまする。何度も叩かれて、草野は痛みのあまり倒れそうになったが、そうすると陰部を曝け出すことになるので、必死で堪えた。蟹沢の制裁が終わると、草野は一気に崩れ落ちた。蟹沢が出て行った後も草野は動くことが出来ず、女子社員たちのすすり泣く声をただボーッと聞いていた。


 どうにか動けるようになると、草野は外に出た。これ以上会社の中にいるとロクなことがなさそうだと思ったのである。社屋を出たところで、「よぉ、少年!」と声をかけられた。振り向くと、カスタマーセンターの田辺だった。初出勤の日に出会った寺尾聡似の男だ。

「どうも……」

「聞いたで。蟹沢にどつき回されたそうやな」

 もう噂が広まっているとは……草野はあまり良い気分ではなかった。

「僕は急ぎますので、これで」

 立ち去ろうとする草野の肩を田辺が掴んだ。

「まあ、待ちいや。その顔で営業するつもりか?」

 言われてみれば、まだ鏡を見ていないが相当酷い顔をしているに違いない。「ええから、ついて来いや」

 田辺が手招きするので、草野はついていった。そして着いたのはカスタマーセンターのガレージだった。そこには750CCナナハンのバイクが一台あった。田辺はヘルメットを二つ手に取ると、一つを草野に渡した。

「……乗れや」

「すごい、これ、田辺さんのですか?」

「アホ、こんなたっかいモン買えるかい。修理品返しに行くんや」

「修理品の返却って、トラックに載せて行かないんですか?」

「試乗も兼ねて行くんや。それで文句ないやろ」

「そんなむちゃくちゃな……」

「むちゃくちゃなんはおまえの上司やろ。あれはほとんどビョーキや。ほな行くで」

 そう言って田辺はさっさとナナハンに跨った。草野もヘルメットを被り、その背後に座る。初めて乗るナナハンの轟音は凄まじかった。産業道路を茨木方面へ向かい、左折して中央環状線に乗る。

「少年、これからがナナハンの本領発揮やで」

 田辺はスロットルをグンと回し、バイクは急加速で発進した。

「うわぁーっ!」

 あまりの凄まじいGに草野は思わず叫び声を上げた。そしてバイクはグングン速度を上げて時速百キロを超過した。

「田辺さん、ここ制限速度六十キロですよ!」

 草野は出来るだけ大声で叫んでみたが、まるで聞こえていないかのように高速走行を続けた。そして草野の言い知れぬ不安は、突如現実のものとなった。

「ピイーーーン」

 甲高いサイレンの音。白バイだ。

「そこのバイク、止まりなさい!」

 拡声器の声に従って田辺が路肩にバイクを止めた。白バイもその背後に停車し、白バイ隊員がツカツカとやって来た。

「はい、スピード違反です。免許出して」

 ところが、田辺は白バイ隊員を見下ろして言った。

「兄ちゃん、えらい若いけど、白バイ乗り出したん最近やろ?」

「……それが何か?」

「ちゃんと規則通り追尾したんかなと思てな。あの山田の入口で張ってたんやろ。そこから出発して、きっちり三十メートルの距離を保って俺を追尾しても、そんなに走られへん筈や。つまり不当な取締りっちゅうことやな」

「何言ってるんですか、キップ切りますよ!」

「ふん、赤キップやな。簡易裁判所で不服申し立てるけど、そしたらあんたは不当な取締りをしたっちゅうことで処罰されるわ」

「……」

 白バイ隊員が言いくるめられているのが、草野には信じられない光景だった。

「あんた、ノルマこなさなあかんのやろ。せやったら、こんなところでしょーもないオッサンの相手してんと、原付の一台や二台でも捕まえた方がええんちゃうか。トロい若もんやったら素直に切符切らせてくれるで」

 白バイ隊員はしばらく忌々しそうに田辺を睨んだが、やがて「今日のところは忠告だけにします。これからは安全運転でお願いします」と言って白バイを再び走らせた。

 ポカンとしている草野に、田辺はさも愉快そうに語った。

「……全部ハッタリや。そやけど、あいつノルマがこなせんと焦ってて、わけわからんくなっとんねん。ええか、少年。蟹沢から何言われても、ノルマなんか気にしとったらおかしくなるで」

「でも、蟹沢課長が怖いですし……」

「しゃあないな、蟹沢を恐れんですむ方法、教えたるわ」

 そうして田辺は草野を載せたナナハンはまた爆音を立てた。

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