戦地へ

 草野たちの班は、〝福田班〟と命名された。無論それは班長に任命された福田靖雄ふくだやすおに因んでのことだ。福田は入社三年目で班の中では最も社歴が長いが、草野と同じ平社員である。

「蟹沢課長からも話があったように、私たち福田班のテリトリーは豊中市の新千里各町で、ターゲットとなるのは自転車屋です」

 すると、新人の一人から質問があった。

「私たちの取り扱い商品はバイクだと聞いていますが、何故自転車屋さんなのですか?」

「新発売のミニバイク『ステップ』はノンキック、ノンステップで、自転車感覚で乗れるのがセールスポイントなのです。価格も七万円以下ということで、自転車購入をお考えのお客様もターゲットになるからです」

 福田はそう言うが、自転車とオートバイではメンテナンスの方法が全く違う。今でこそ自転車とバイクの同店舗の共存は珍しくないが、当時はあまり見られなかった。「初めてでは戸惑うと思うので、今日は各班から優秀な営業マンを派遣してもらい、一人ずつついて同行営業します。今日中にそのノウハウをしっかり学びとるように」


 草野がついたのは、朝倉泉あさくらいずみ……先ほど事務所で会った、ワンレングスの女性だった。

 〝戦地〟までは国電(今のJR電車)で新大阪まで行き、そこから千里中央行きの地下鉄に乗り換える。そして桃山台駅で下車したあたりが新千里南町である。行きの電車の中で草野は朝倉に尋ねてみる。

「……ウチの職場、何だか随分軍隊じみている気がするんですけど、第二営業課ここはいつもこんな感じなんですか?」

 すると朝倉は目を細めて横目で睨んだ。「軍隊じみている……?」

 草野は少し怯みながら続けた。

「ええ、あの寺尾聡に似た人が僕に『赤紙もらったのか』と言ったので、何のことかと思ったんですけど、蟹沢課長の話を聞いてなるほど、と思ったんです」

 草野が言うと、朝倉は初めて少しだけ笑みを見せた。

「ふふふ、カスタマーセンターの田辺和彦たなべかずひこさんね。たしかに寺尾聡に似てるわ。そう、あの人が〝赤紙〟なんて言ったの……」

 朝倉は再び真面目な顔をして続けた。「あなた、何も知らないみたいだから教えてあげるわね。私たちは戦争に巻き込まれているのよ」

「戦争!?」

「あら、その顔は〝戦争〟と私が言ったのは単なる比喩だと思ってるわね」

「……違うんですか?」

 草野は恐る恐る聞き返した。まさか、会社が武器を製造して、イランやイラクかアフガニスタンにでも調達しているわけではあるまい。

「もちろん、軍服を着て銃を撃ち合ったりしているわけじゃない。でも、その破壊性と悲惨さは本物の戦争に匹敵すると言って過言ではないのよ。……世間では、MM戦争なんて呼んでるわ。一つ目のMはもちろんミヤケ、そしてもう一つはモチダよ」

「つまり、戦争と言うのは、ミヤケとモチダの商戦のことですか」

「商戦……平和な言葉ね。繰り返すけど、そんな生易しいものじゃないわ。これまで血が流れたこともあるし、命を落とした人だっている。私たちがいるのは、いつ銃弾が飛んで来るか、いつ地雷を踏むかわからない戦場よ。それくらいの覚悟はした方がいいわよ」

「もしそれが本当なら……どうして朝倉さんは辞めないんですか?」

「自分の国で戦争が起こったからと言って、よその国に逃げる人がいる? 逃げられたとしても簡単じゃない。特に私たち女性はね、自己都合で会社を辞めると、好条件で採ってくれる会社なんてないのよ」

 当時、女性の社会的立場は現在と比べると弱かった。朝倉のように、理不尽な境遇にも甘んじなくてはならない女性は少なくなかったのである。ともあれ、朝倉がそれきり口を噤んでしまったので、草野はそれ以上その話題について尋ねることは出来なかった。

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