第26話 情報工作とすり減った衛兵
すり足の音と、上履きの音、そしてドアの開く音がした。段々と足音が遠のき、聞こえなくなっても俺はまだ不安で、しばらく動かなかった。
「……ハシビロ君。」
「!?な、なに?」
「もう、大丈夫。何も聞こえない、ホントに行っちゃったよ。」
狩谷さんがとても小さな声で、でも確信を持った声で言った。それを聞いた俺は、そうっとロッカーを開ける。たてつけの悪いロッカーがガタ、と音を立てて開いた。
「シーっ!」
俺は思わずロッカーに向かって人差し指を立てた。はたと我に返ってちょっと恥ずかしくなる。ものすごくビビりだな俺。どれだけパニクってるんだ。ロッカーに沈黙を求めるって。横で狩谷さんがちょっと笑った。
「ご、ごめんハシビロ君。」
「い、いいよ。それよりも…やる事が山積みだ。」
落ち着け俺、やるべきことを整理だ。
「お兄ちゃんを助けなきゃ。」と狩谷さん。「ええと、美術準備室ってこの下の突き当り?」部長と隈家は今この棟にはいない。助けるなら今がチャンスだ。
「行こう、ハシビロ君。」
狩谷さんの目には不安は無かった。やるしかない、という覚悟が見える。俺達は手をつなぎ、階段を駆け下りて美術準備室を目指す。それから、田口に電話。
「もしもし田口?」
「どうしたハシビロ!?なんかあったか!」
「なんかあったけど無事だよ!あのな」
「あ、待って。」狩谷さんがスマホを取り出した。「!志保ちゃんだ。」
「待ってて田口。通話切り替えて。」
グループ通話に切り替えて、俺は田口と宮川二人にさっき起こった事を話した。
「マジか俺らの行動筒抜けかよ!」
「トイレから戻らないから気になっていましたが…。ハッシーと合流出来て良かったです。」
「今から野摺さんを助けに行く。田口はピロティには行かずにこっちへ…」
「駄目だ。」田口がきつい声で言う。「俺がピロティに来なかったら絶対探しにやって来る。そっち行ったら一網打尽にされる。」
さりとて、ピロティに行けば結局隈家に捕まるだろう。こちらが隈家の動きに気付いたとバレるのは時間の問題だが、その時間は何とか稼ぎたい。
「田口、お前今どこ?運動場か?」
「おう。企画の場所に居る。」
「なら―」
俺が作戦を説明する。ちょっと稚拙かもしれないが、あれこれ悩む暇がとにかくない。
「ようし、分かった。何とか逃げ切る!」
「私もそのように動きます。野摺さんは任せましたよ。」
「了解。そろそろ切るぞ。」
そう言って、俺はスマホをしまい、念のため階段の壁に背中をくっつけ、二階の廊下を見やる。廊下に人はいなかった。ここで企画をしているのは落語研究会や映画研究会などで、今はまさに上映中の時間だから入り口は閉め切られてる。この隙を狙えば、野摺さんを人目に付かず閉じ込めるのも容易だっただろう。足音を立てぬように早歩きでドアの前に来てから気付いた。鍵がない!一度下に降りて職員室に行って、鍵を借りて戻ってこないといけない。でも、もしその間に部長が戻ってきたら…。
がちゃり
「えぅっ!?」
俺達の後ろで鍵の開く音。つまり、美術準備室のドアが開く音がした。そして
「……あず?!」
「野摺さん!」
野摺さんは教室から出ようとしてよろけ、ドア枠にもたれかかってそのまま座り込んだ。
「すみません、まだ薬が…。」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
野摺さんの手首にはロープが食い込んだ痕が紫色になって残り、さらに切り傷が沢山あって血も出ていた。準備室にあった彫刻刀で無理矢理ロープを切ったらしい。俺が持っていた救急キットで応急処置をしようとすると、
「僕はいいです。それよりあの、田口君にすぐ―」
「大丈夫です、田口はピロティには行きません。」
俺と狩谷さんは文芸部の掃除箱で聞いた話を野摺さんに説明し、その上で俺達が考えた作戦を話した。
「野摺さんのスマホは、三ツ輪部長が取り上げたって言ってました。つまり、相手もこのメッセージを受け取ってます。」 俺はそう言って、自分のスマホを見せた。そこにはグループ通話をして十分後、田口から送られて来たラインのメッセージが表示されていた。あて先は、俺達三人と野摺さん。
『なんか寒気するし、吐きそう。すまんけど、帰る(´・ω・`)』
これに対し、俺と狩谷さんで「大丈夫?」「お大事に」と返事。宮川は「徒歩ではなく、ちゃんと親御さんに迎えにきてもらうように。」と送信し、田口が「大丈夫、セブンでポカリ買って待つわ。」と返信している。
「これは・・・。」
「嘘のラインです。田口がコンビニに行ったように見せかけるための。」
宮川と田口がわざわざやりとしたのは、学校から十五分ほど歩いた所にあるコンビニに田口のお迎えが来ると印象付けるため。ここの駐車場で、車を待つ生徒が意外と多くて、他のお客さんの迷惑になると苦情が来たこともあるんだけどね。
「実際には田口は更衣室裏のマンホールから地下に逃げてもらいます。」
「マンホール?」
俺達は校外のハザードマップに、マンホールの位置も書き入れていた。そして、その下に広がる地下空間の地図も。
「志保ちゃんのシフトもバレてるから、こっそり教室の非常口から外に逃げてもらう事にしたの。」狩谷さんが続ける。「で、二人は地下で合流するの。そのまま校外に出て逃げてって言ったんだけど…二人は『鳥かご』の裏に出てくるって。」
「狩谷さん置いていくのは論外だって。あと、マンホールに潜ると野摺さんの仲間からも見えないから、混乱させたらかえって危ない。」
「なるほど、考えましたね…。」野摺さんが驚きつつもほほ笑んだ。「…橋本君、君はすごいですね。」
「え?」
「こんな時になんですが、感服しましたよ。…これなら、本当に隈家を出し抜けるかもしれませんね。」
俺は、野摺さんの「笑顔」を初めて見た気がした。
「そして、教室棟に司令塔らしき人がいるのですね?」
「はい。『あの方』って呼ばれてたから、多分他の人より上の人だと思います。」
「教室棟に……その頭が…?」野摺さんが思い詰めたような顔で呟く。
「お兄ちゃん、一緒に逃げよ。分家の人のいるとこまで―」
「駄目です。」野摺さんがきっぱりと答えた。「僕ら分家の位置はバレている。三ツ輪も、特別棟に刺客を向かわせたでしょう。」
「それは…」
「だから、申し訳ないけど、橋本君と二人で逃げて。」
「えっ。」狩谷さんだけじゃなくて俺も声を漏らした。「野摺さん、俺達と―」
「いえ、僕は一人で行きます。まだ連中は僕が助けられた事を知りません。今なら、密かに近づいて取り押さえられます。」
「それって、お兄ちゃんが危ないよ!」
「言ったでしょう、僕は護衛なんです。『あの方』という指示役が無事な限り、この襲撃は終わらない。だったら、それを排除するのが役目です。」野摺さんは笑った。「危険の中に居るのが当たり前なんです。一緒に文化祭を楽しんでいたさっきの時間がおかしいんです。」
本家の犬ですから、怒る相手としては正しいですよ
僕に…その資格はありません
「―!」
「橋本君、頼みがあります。」
俺が口を開く前に、野摺さんが強い口調で言った。「親父さんに合流してください。今の話を聞く限り、味方でノーマークなのは親父さんだけです。あの人なら、守ってくれます。」
「だけど、場所が……。」
「ええ、僕らにも分かりません。―相手に悟られないよう、親父さんは誰にも居場所を教えなかったのです。ただ、屋外だとは思います。建物の中だと、袋小路に追い詰められますから。」
屋外は、今隈家の数が半分になっているはず。特別棟で野摺さんの仲間が戦ってる間に、何とか合流出来れば……。俺は黙ってうなずいた。
「頼みます。それとあず、親父さんにラインを送ってくれないか。敵は仏法僧を着たスカベンジャーだと。」
え?何かの暗号かな。鷹野家にしか分からないような。でも、隣の狩谷さんもぽかんとしているし……。
「さあ、三ツ輪が戻って来るかもしれない。二人とも、急いでここを離れて。」
野摺さんがそう言って俺達を回れ右させた。でも、狩谷さんは不安そうな顔で動こうとしない。俺も、動きたくなかった。野摺さんの目は赫いけど、光が無い。この人とここで別れてはいけないと本能的に思った。しかし、
「行け!早く!」
野摺さんががなった。「死にたくなかったら早くここを離れろ!」
僕はせめて、あずに命を全うして欲しいのです。
「……!」
俺は狩谷さんの手を取った。はっとした顔で狩谷さんがこちらを見る。
「行くよ。何としても逃げ延びよう。」
泣きそうになりながらも頷く狩谷さん。俺達は階段を下りていく。
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