第21話 我慢女子とわがまま男子

「珍しーね、ハシビロ君が購買って。」

 購買の列に一緒に並んだ狩谷さんが言う。普段、狩谷さんは数人の女子と一緒に購買に行って、そのままご飯を食べるというパターンが多い。どうしても一対一で話したかった俺は、三時間目に購買に一緒に行く約束を取り付け、こうして二人で並んでいる。

「めったに買わない。小遣いには限りがあるし、この並ぶ時間って言うのが嫌で。」

「ほへー。今日はどうして?お弁当忘れた?」

「ちょっと話がしたくて。…野摺さんにも聞かれたくないから、この時間しか無いと思って。」

 野摺さんの名前を出したことで、狩谷さんの表情が曇った。隈家、あるいは転校の事だと分かったのだろう。

 パンを買い終わり、二人で中庭に向かった。教室棟と体育館の間にあり、芝生とベンチが二、三ある。卒業記念に植えられた木々が並び、夏は木陰になって秋は紅葉が綺麗なので、お昼をここで食べる生徒も多い。俺達はその一つに腰かけた。

「……。」

 話って何だろう、という不安がくっきり顔に現れている狩谷さん。俺はすぐに核心を口にした。

「狩谷さんが転校したいかどうか、そこを聞きに来たんだ。」

「え。」

「だって、もうすぐ月末だから。」

 狩谷さんが一瞬暗い顔になったが、すぐ笑顔にもどる。

「私は転校するよ。だって、決まった事だし、安全の為だもん。私だけじゃなくて、皆と、それからお父さんのためにもね。」

…駄目だ。「したい」ではなく「するべきだ」で答えてる。俺は言葉を選びながら、ゆっくり続けた。

「俺達の安全を考えてくれてるのは分かってる、ありがとう。でも、狩谷さんや野摺さんだけに任せるのは、筋が通って無いと思う。」

「だって、私のそばにいたから怪我をしたんだし、だからみんなは巻き込まれたんだし…」

「でも、一度襲われた以上もう当事者だ。狩谷さんに全部押し付けるんじゃなくて、俺達も出来る事をやりたいんだ。」

「出来る事なんて…無いよ。」狩谷さんの笑顔が少し揺らいだ。「だって…隈家はすっごい危険なんだよ。それに、ずーっとお父さん追いかけてる。ベテランのストーカーだよ。」

「ベテランて…。」

「ほ、ほんとの事だからっ!」狩谷さんが強い口調で言った。「だから、お兄ちゃんたちに任せておいて!そもそも、私がここからいなくなれば―」

「駄目だ!」

 大声になってしまった。周りにいた生徒がびっくりしてこちらを見ているし、狩谷さんは目が点になっている。俺は一つせきばらいをした。

「それは駄目。何の解決にもならない。」

「なるよ。だって―」

「結局時間稼ぎじゃないか。ここ以外の場所に行っても、隈家はまた突き止めて追ってくる。今までだってそうだったんだろ。」

 いけない、詰問するような感じになってしまった。狩谷さんが下を向いた。

「ごめん。」

 違う。こんなことを言いにきたのではない。俺が言いたいのは、聞きたいのは。

「……俺は、怪我もしたくない。まして死ぬのも嫌だ。隈家は、怖いよ。」

「……から」狩谷さんが小さくつぶやいた。「私が転校すれば、あいつらもここには」

「でも!」かき消すように言った。「狩谷さんが、転校するのも、俺は、嫌だ。」

 狩谷さんがぱっと顔を上げた。驚き、戸惑い、不安。そして、それを隠さんとする笑顔。

「て、転校してもラインとかがあるし。今どきどこだってつながるよ?」

「そうかな。『敵に情報が洩れるかもしれないから』って言われれば、スマホの番号だって変えられかねないでしょ。今だって、転校先をもらさないために本人にすら伝えないんだから。」

「………!」

「安全の為だって言えば、何だって出来る。我慢させられる。狩谷さんの人生なのに、何一つ自分で決めさせてもらってない。」

「やめてよ!」

 狩谷さんが立ち上がった。目が涙でいっぱいだ。肩を震わせて、両手がぎゅっと結ばれている。

「今日、ハシビロ君変だよ。そんな、なんで…」

 最後の方は小さくて何を言ってるのか聞き取れない。ただ、怒っているのは分かる。

「俺は、狩谷さんに転校して欲しくない。」

 俺はまっすぐ狩谷さんを見て言った。「でも、狩谷さんが転校したいって言うなら、強制はしたくない。それは、今狩谷さんの周りの大人がしていることと同じだ。それは嫌だ。」

「…………。」

「こうした方がいい、じゃなくて、狩谷さんがどうしたいのか。俺はそれが聞きたくてここにいるんだ。わがままをちゃんと言って欲しい。手伝いたいから。」

「…………。」

 狩谷さんの肩の震えが大きくなった。涙があふれて頬をつたう。歯をぐうっと食いしばって、俺の方を見ている。俺はその目をじっと見た。待った。やがて、歯の隙間から漏れていた息がすすり泣きに変わる。口が勝手に開こうとする。それを食い止めるように、狩谷さんは今度はぎゅうっと唇を結んだ。そうしてしばらく、また俺の顔をにらんでいた。俺もじっと見つめ返した。

「……。」

「…………。」

やがて、狩谷さんの唇がぶるぶると震えだし、小さな声がもれ始めた。

「ひどいよぉ……!」

そして、とうとう崩壊した。狩谷さんはわああーーっと膝からくずれて泣き出した。

「考えないようにしてたのに!見ないようにしてたのに!なんで、なんで思い出させるの!やっと…やっと心の準備が出来たと思ったのに!」

「……。」

 肩に手を置くと、狩谷さんは俺にしがみついて一層大きな声で泣き出した。

「ああ楽しかったって!思い出いっぱいで満足したって……。そう、言い聞かせてたのに…!」

「……。」

「行ぎだく、えぐっ、なくなっ、ぢゃっだぁあ……。寂しいよぉ…ハシビロ君たちと別れだぐないよぉお……転校っ、しだぐ、ないぃああああああああーーー!」

 幼稚園児みたいに泣きじゃくる狩谷さんの頭を撫でた。赤ん坊をあやすみたいに、背中を軽くたたいた。転校して来てから―あるいは今までの中でずっとせき止めていた全ての感情が決壊し、彼女の全身から全て流れ出るまで、俺はそうしていた。そうして、空っぽのダムを抱えた狩谷さんは真っ赤に目を腫らし、少し疲れた顔をしていた。

「…戻ろうか。」

 俺がそう言うと、こくんと頷いて立ち上がった。でも、足元がおぼつかない。手を貸し、歩幅を合わせて歩きだす。

「……ハシビロ君。」

「ん?」

「ありがとう。」かすれた声だったが、表情は穏やかだった。「顔、洗ってきて良い?」

「どうぞ。トイレはそこ入って右ね。」

 その位分かる、とちょっと怒ったように言って、トイレに駆けて行った。


「おー帰って来た。」

 クラスに二人で戻ると、田口が教室で一人待っていた。「遅えからちょっと心配したぞ。次生物講義室だから、急げ。」

「しまった、移動しないと。」

 バタバタと教科書やノートを抱え、教室を飛び出す。狩谷さんも一緒だ。

「で?」田口が俺を見た。「返事は?どうだった?」

「返事?」と狩谷さん。

「うん、転校したくないってハッキリ聞けたよ。」

「はあはははハシビロ君―――――!!!!」

「ごめん、宮川と田口にはもう話してあるんだ。」

 口をパクパクする狩谷さんと、「テヘペロ」って感じの田口。

「バイバイも言わせずに転校ってそりゃ黙っていられねーよ。まあ、簡単な話じゃ無いのは分かってるけどさ。」

「だから、三人で自分なりに自衛策を考えているんだ。」

「自分達で…?」狩谷さんが口をぽかんと開ける。「でも、そんなことって」

「出来るよ。俺も宮川も、過去に農民が鷹野家を負かした事件を見つけたんだ。空をとべない、ごく普通の人でもあいつらを倒す方法がある。」

「隈家を止める事は、これすなわち文化祭の開催にもつながるからな。」鼻息荒く田口が言う。「一文化委員としても、これは重大な任務だ。」

「あくまで、俺達が勝手にやってる事。野摺さん達には内緒なんだ。これは、俺達のわがままだ。自分のわがままには責任を持つ。危険は承知の上だ。その上で…狩谷さんも一緒にやってくれないかなって。」

 狩谷さんは口を開けたまま固まっている。だが、まだ腫れぼったいその赤銅色の目に光が灯った。

「やる。私、戦う。」

「……いよっし。」田口がノートにはさんだ紙を渡した。「じゃあこれ。秘密のハザードマップ。俺達お手製だ。」

「おわあ…。」

 宝の地図でも見るような目で狩谷さんはそれを見つめた。

「今日家帰ったら、四人でラインしよう。」俺は言った。「今後の作戦について、ね。」

 狩谷さんが満面の笑みで頷いた。

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