第17話 無駄嫌いと本音男子
昨日までの自分をぶん殴りたい。顔の形が変わってしまうくらいに。帰りの電車に揺られながら、俺は奥歯をぎりりっと噛みしめてそう思った。デートなんて少しでも考えた自分はアホか。事務作業だなんて思考を放棄した自分は馬鹿か。何より、狩谷さんは嘘が下手で、感情がすぐ顔に出るタイプだと思っていた自分は大馬鹿だ。楽しみだった文化祭に出られない、もうこの学校にいられない。友達にお別れも言えない。行先も分からない。不安で寂しくて悲しいはずの感情に蓋をして、俺達と笑顔で普通に学校生活を送っていた狩谷さん。なんて嘘が上手なんだろう。俺は何て鈍感なんだろう。
「……!」
目がかゆいふりをして、熱いものがこぼれそうになる眼を覆う。狩谷さんが今日会ってくれなかったら、俺は何にも気づかないまま、突然別れを迎えていたんだ。転校、とは言いつつ、本人すらどこの学校かは知らない。そんなの、拉致も同然じゃないか。隈家、鷹野家のせいで、友達がどこか遠くへ連れて行かれる。そして、おそらく一生会えない。ラインやメールもあるけど、「安全の為」とか言われてしまえば、メアドやアカウントだって丸っと変えられてしまうかもしれない。何と言っても、危険から逃げるために行方を眩ませないといけないんだから。俺達は、友達を奪われようとしている。そう思うと、ますますはらわたが煮えくり返る。
このままでいいのか?いつ来るか分からないお別れを気にしながら、素知らぬ顔でまた来週から学校に通うのか?きっと狩谷さんはいつも通りの笑顔で登校して来るぞ。家ではきっと目を腫らしているだろうに。それを放っておく?あり得ない。今だってやり場のない怒りを歯ぎしりで抑えてるところなのに。怒りなんて平穏の対局、最も忌み避けるべきものだ。平穏第一の俺にとっては、見逃せない事態だ。
しかし俺に何が出来るって言うんだ?隈家を止めれるって言うのか?プロの殺し屋だぞ。宮川が言ってた通り、助かったのはまぐれだ。次は無いかもしれない。転校だって、大人が決めてしまった事。ご両親も了承の上だろう。赤の他人である俺にどうこう出来るか?始める前から分かる。今狩谷さんを引き留めても、結果なんて出ない。引き留めは失敗し、狩谷さんや登尾さん達に迷惑をかけて終了だ。下手に混乱を起こせば、隈家がつけいる隙を作るかも…。百害あって一利なしもまた、俺の目指す平穏の敵だ。
「どうすれば良いんだ…。」
かすれた声が出た。情けない声だ。いつも平穏第一で動いて来たのに、今は平穏のへの字も無い。どうすれば成果が出て、何をすれば無駄が無いのか皆目見当がつかない。そういう時、俺は答えが出るまで粘った。あるいは時間の解決を待った。でも、今回はまともに思考すら出来ない。どうしたらいいのか分からない。時間が無いのは確かなのに。狩谷さんの転校は迫っているのに!
「……無駄か。」
そうだ、狩谷さんを引き留める事自体、無駄なのだ。止める事は出来ないし、仮に留まって危険な目に遭うのは、最悪のシナリオ。つまり、平穏のためには「黙って今まで通り学校生活を送る」が正解だ。転校するまで心は乱れるだろうが、転校して、時間が経てば別れの悲しみも癒えるだろう。
「……馬鹿か!」
思わず声が出てしまい、車内の視線が集まった。だが気にしていられない。すぐに俺はラインを一斉に送信。既読が付かないなら電話をかける。(車内だと迷惑だしつながりにくいので駅に着いてから!)
「もしもし?はしも―」
「田口!ちゃんとライン読めよ!」
「うえ!?え、えっと…。」
思えば昨日の今日で、田口とは現在不穏な関係だった。でも、不機嫌そうな田口の声も、俺の圧におされて元に戻る。
「田口、悪いけど、この後すぐグループ通話させろ。」
「は?な、なんで。」
「言わなきゃいけない事があるんだよ!宮川にも連絡したから。絶対、絶対繋げよ!」
言うだけ言って電話を切り、改札を飛び出して家へ帰る。正しいかどうか分からない。何ならかなり不正解寄りかもしれない。方法だって思いついていないし、きっと考えつく方法もかなりコスパの悪い方法だ。だが、
「くそくらえ、くそくらえ!」
それがなんだ。正誤は後回しだ。
「橋本!いきなり電話しといてあれはねえだろ!何怒ってたんだ!」
グループ通話を始めて早々、田口が口を尖らせた。「ライン読まねえの、お前しょっちゅうじゃん。」
「すまん。ちょっと気が立ってたんだ。狩谷さんの事で。」
「は?狩谷さん?」
「そこで狩谷さんが出てくるのですか?」
遅れて通話がつながった宮川が首を傾げた。全員と無事つながったところで、俺はすぐに本題に入る。
「さっき本人から聞いたんだけど、狩谷さんは今月中に転校する。」
二人から小さく声がもれた。俺は狩谷さんが話してくれたことをそのまま二人にも伝えた。
「一応言っとくけど、狩谷さんは俺以外にこの事を話してない。だから、俺が二人に言ったって事も内緒だ。野摺さん達にも。」
「分かりました。しかし…。」
「…っはあ。」田口が力なくイスにもたれかかるのが画面越しに見える。「文化祭、参加出来ねえんだ…。修学旅行も、卒業も…。」
「転校する正確な日付も分からないんですよね…。」宮川が顔を覆ってうつむくのが画面に映る。
「橋本、何で俺達にその話したんだ。」田口は少しいじけたような声を出した。「そりゃさ、知らずにバイバイよりはいいけどさ……。」
「狩谷さんの転校を止めたいからだよ。」
宮川と田口が固まった。回線が止まったかと思うような静止っぷりだ。
「そのためには、隈家をどうにかするしかない。だから」
「ハッシー、私昨日言いましたよね?」復活した宮川の怒った顔が画面いっぱいに表示される。「私達がケガだけで済んだのはラッキーだっただけ。死ぬ可能性だってあるんですよ。相手はプロの殺し屋なんです!」
「橋本。何か隈家を倒す考えでもあるのか?」
「……ない。」
「いや無いんか!!!」
田口が画面越しにビンタする。「俺に文化祭は安全がどうこうとか言っといてノープランか!怒る通り越して笑えてきたぞ!」
「でも、狩谷さんは今までああして襲われて、そのたびに撃退してきた。全くやりようが無いって事は無いと思うんだ。」
「それは、狩谷さんが飛べるからじゃね?」
「田口、マルセーの近くで襲われた時は狩谷さん飛んでないよ。地上から撃ち落としてた。」
以前二人で逃げた時、狩谷さんの鞄からはとにかく色んなグッズが出てきた。手に入りやすいものばかりだったし、特殊な技術だって要らない。
「それに、俺達にはデータがある。」
「データ?」画面越しの二人の声がシンクロする。
「狩谷さんと一緒に練習した事だよ。前も言っただろ、狩谷さんも隈家も飛ぶ仕組みは同じなんだ。飛び方が鳥に似てるのも分かってるし、動画も残ってる。だったら、もう一度動画を見直せば、弱点も見つかるかもしれない。」
「敵を知るのは攻略の基本ではあるな。」田口がうなずいた。他方、宮川はまだ渋い顔をしている。
「前回を思い出して下さい。完全な不意打ちでしたよ。こちらが反撃に出る余地なんてありませんでした。田口君はケガをして入院までする事になったんですよ。またあんな事になったら―」
宮川がそこで言葉に詰まった。田口が少しうろたえている。
「えと、俺。ひとまず前回のケガは完治してるからな、ホント大丈夫だからな。」
「……分かっていますよ。ですが、次もそうとは言い切れないでしょう。」ぴしゃり、と田口に宮川は言い放つ。「それに、野摺さん達に私達は守ってもらっている状態です。勝手な行動をして迷惑をかけてはいけませんよ。」
「分かってる。それも考えた。でも…」
俺が反論するより先に、宮川はさらに畳みかけた。
「敵を知るのが攻略の基本なら、野摺さん達は私たち以上によく知っています。半端に知識の付いた私達が下手に動くのはかえって邪魔でしょう。」そこで一つせき払い。「いいですか、二人とも。」
「えっ俺も含まれてる?」田口のつぶやきはかろうじてスマホのマイクが拾ってくれた。
「そもそも、狩谷さんを抜きにこの話をしている時点でこの話し合いは無駄なんです。狩谷さんはハッシーを呼んで、わざわざお別れを言ったんです。つまり、もう狩谷さんの気持ちは決まっている。私達がいくら行かないでと言っても無駄ですし、言う資格もありません。」
「……。」
「本人が転校すると決めたんです。私達の安全だって考えてくれた上で。それを、今蒸し返すのは狩谷さんのためでは無く我々のわがまま、あるいはエゴです。」
宮川は俺に口を挟む隙を与えず、しかも往復ビンタの様に確実にダメージを蓄積。俺が反論しようとする気力をどんどん打ち砕く。巻き込まれた田口は既にノックアウト。
「私だって狩谷さんと文化祭やりたいですよ。舞台だってもっとたくさんやりたいです。ですが、それは混乱を招いて狩谷さんを困らせるだけです。新たにケガをする人が出たら…私は次こそ耐えられません。」
宮川は何かをこらえながら話しているように見えた。俺も田口も黙りこくる。
「友達としては、せめて残りの学校生活を一緒に楽しく送るべきですよ。」
そう言って、先に通話を切ってしまった。
「………。」
しばらく、俺も田口も口がきけなかった。さすが宮川だ、と場違いな尊敬の念が湧く。まあ、冷静になってみれば、気持ちばかり先走って、準備を一切せずに通話を始めた俺が宮川を説得できるわけがない。だいたい、俺だって電車の中で「俺に何が出来るんだろう」って悩んでたばかりだ。そこが詰んだままで、二人に「隈家どうにかしようよ」と話を持ち掛けるのは、納得させる方が無理ってものだ。
「は、橋本。」
「ん。ああ、ごめん。」
「大丈夫か。急にヘラヘラ笑い出して…。」
「え?俺笑ってた?」
「笑ってる。ちょっときもいわ。」
きもいって。ストレートに言う田口に俺はまた笑ってしまった。
「いや。さすが宮川だなあって。見事に論破されたなあってしみじみしてさ。」
「……なんか橋本、今日マジで変だぞ。宮川怒ってるのに感心してるって。…まあ、俺は昨日から怒らせ中だけどさ…。」
「田口の事、怒ってはいなかったよ。泣いてはいたけど。」
「えっ!?泣いた?!」
田口は大声を上げて画面に突っ込む勢いで前のめりになった。おかげでこちらの画面委は田口の目しか映っていない。
「田口、近すぎ。」
「だ、だって泣いたって…。え、ホントにか?」
「自分も言い方が荒れてたって後悔して泣いてたよ。田口を引き留めれなかったから。」
俺がそう説明すると、田口がゆっくり画面から引き、しおしおとイスにへたり込んだ。
「いや、その…。俺、俺だって結構言い過ぎたと言うか。あの、別に宮川の事が嫌いになったわけではなく!」
「た、田口落ち着け。それ俺に言われても困る。」
「何ならクラス合同ですっげー楽しみだったんだよ!それがさ、隈家―学校と全然関係ねーやつのせいで中止とかふざけんなって思って!俺からサッカーも文化祭も盗る気かあって!」
そこまで言って田口が「あっ」という顔をして、手を画面で覆った。「ナシ、今の無し。」
「ばっちり聞こえたけどな。あと宮川も薄々感づいてたと思う。」
「まじでえ…。」
手が画面から離れ、いすから垂れ下がっている田口が映った。「いつ?」
「多分だけど…委員会の時には。なあ、ケガ、どのくらいひどいんだ。」
俺が聞くと、観念したように田口が言った。
「じん帯をやったんだ。苦無で切ったんじゃなくて、俺が無理な体勢で倒れたから。」
「狩谷さんをかばった時か。」
「言うなよ?絶対気にするから。」田口は語気を強めた。「前も言ったけど、俺は大学ではもうサッカーやんないから、選手生命がどうとか無いし。ただ、高校でめいっぱいプレーして、やり切った、ってなってから辞めたかったってだけで…。」
そこまで言って、田口は口をつぐんだ。
「だから、文化祭だけはやろうってなったんだな。ごめん、俺結構頭ごなしに否定してたと思う。」
「いや。俺もさ、昨日橋本達と別れて、ちょっと時間たったら頭冷えてきてさ。」はあああと、田口は今日イチ長いため息をついた。「すまん。カーっとなってて。昨日も勝手に帰っちゃったし…。」
「いいって。文化祭、俺もやりたいしな。」
俺がそう言うと、田口がちょっと驚いた顔をする。
「橋本って、あんまり学校行事とか気にしないタイプっつーか、めんどくさがるタイプだと思ってた。」
…まあ、当たってるな。別に学校行事が嫌なわけじゃないけど、中止になってもそこまで残念がらなかったと思う。今までは。
「何て言うか…。文化祭の中止も狩谷さんの転校も『安全のためにはしょうがない』ってなるのが嫌になってさ。当事者の狩谷さん抜きで、何も聞いてもらえずに、大人がどんどん話進めて…。」
「分かる。」田口が深くうなずいた。
「狩谷さん…昨日もう十分楽しかったとか、今は幸せだとか言って、残りの学校生活もよろしくねって言って。でも、言いながらすっごい泣いてた。絶対感極まったとかそういうプラスの意味で泣いてるんじゃないんだよ、どう見たって。で、これ以上我がまま言っちゃ罰当たるって言ったんだ。でもさ、罰が当たらなきゃいけないのは隈家だろ?何で狩谷さんが責任感じる必要あるんだって!そう思ったらさ何もしないってのは無しだって。隈家どうにかして、転校も文化祭の中止も絶対」
「は、橋本。」田口が口を挟んだ。「分かった、お前の熱意は分かった。ちょっと早口過ぎ。」
喋っているうちにまた怒りが再燃してきて、知らず知らず語気が荒っぽくかつ早口になっていたらしい。深呼吸して、一旦冷静になろう。
「落ちついたかー?」
田口が尋ねてきたので、俺はうなずいた。
「よしよし。お前があんな熱くなるっていうのはちょっと驚いた。」
「まあ…確かに今までになく怒ってるかもしれない。目の前で狩谷さんが泣いてるの見たっていうのが大きいのかな。」
俺がそう答えると、田口が何やらニヤニヤしている。何だ?俺変な事言ったか。
「いや……やっぱさあ。俺は知ってたけどね?橋本、そんだけ必死になるって、やっぱ狩谷さんの事好きだろ?」
「………はあ?」
しばらく何を言われたか分からなくて固まってしまった。その間に、田口は「やっぱりかあ、やっぱりかあ。」と一人頷いている。
「そもそも出会いからして運命的だったもんなア。大体、橋本が女子と普通にしゃべるっていう事自体も珍しかったし。」
「あのなあ。宮川とも喋るし、部長だって女子だぞ。」
「いやー、でも、今だって狩谷さん狩谷さんってずーっと言ってるじゃん。登場回数が違いすぎるって。」
「それを言うなら田口だって、さっきから宮川しか言ってないぞ。」
「はああああ!?そんなことねえぞ!」
今日イチの大声が田口の口から飛び出す。……やっぱりかあ、やっぱりかあ。
「同じクラスの狩谷さんより宮川の方がお前が口にする回数はずっと多いし、さっきだって宮川が委員会で怒ってなかったか随分心配してたしなー。」
「ちげーよ!それを言うならお前だって狩谷さんをー」
柄にもなく大声で田口と激しく言いあった。もっとも、ケンカと言うより中学生みたいな照れ隠しのしょーもない罵りあい。ヒートアップしてきたところで突然、ブツン!とスマホが音を立て、画面も真っ白に。
「え?!た、田口?!」
びっくりしてスマホを持ち上げて、取りこぼした。ものすっごく熱くなっている。そして、画面に「充電してください」の文字。
「……。」
スマホに、「いい加減にしろ聞くに耐えん」と言われた気分だった。
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