第16話 デートと幸せ女子
「いやーごめんごめん!」
翌日、駅のロータリー近くでカチコチになっている俺の所に、狩谷さんが駆けてきた。手にはエコバッグ。
「駅の中にあるスーパーね、ちょっと高いけど面白いのがいっぱい売ってるから!たまに来るんだ!」
「ソウナンダ。」
相づちを打っただけなのに声が裏返った。全く、これはデートじゃ無いって言ってるのに。しかし、目の前の狩谷さんがいつもの制服姿でなく、花柄のワンピースにちょっと透ける白のカーディガンを羽織っているのを見ると、やはり意識してしまう。
「あそこさ」狩谷さんがロータリーの花壇を指さす。「私が落っこちたとこだよね。」
「あー。そうだね。」
「懐かしいなー。」狩谷さんがニコニコしながら言う。「で、あっちから学校飛んだんだよね。」
「あのビルね。」
狩谷さんが指さす雑居ビルを見ながら、俺はうなずいた。なんかだいぶ昔のように感じるけど、実際にはまだ三か月だ。
「今飛んだら、どんな風なのかな。」
俺に言った、というより、口からぽろっとこぼれたような言葉だった。「―よっし、じゃあ早速行こうか!」
「狩谷さん逆方向!」
こういう所はいつも通りだった。
時刻は午前十時過ぎ。外はすでに暑い。いや「熱い」の字の方が正しいんじゃないかって思うほど、アスファルトからの照り返しはきつかった。涼を求めてコメダに逃げ込むと、俺はカツサンドとコーヒーを頼み、狩谷さんはエビカツサンドとコーヒーの他に、またシロノワールを頼んでいた。こんなに食べきれるのかな。
「そのために、ちゃんと朝ご飯抜いて来た!」
「外暑いのに、空腹で倒れるよ?」
ほどなくして料理が運ばれて来た。いつものことだけど、ここはメニューの写真より実物の方がはるかに大きい。頼みすぎ厳禁だ。
「じゃあ、狩谷さん、ごちそうになります。」
「うんうん!」
ようやっとオトシマエを付ける事が出来て狩谷さんは満足げにうなずいた。そして、自分のサンドイッチにかじりつく。
「しっかり味わって食べなきゃ。」口についたマヨネーズをぬぐいながら狩谷さんが言った。でも、味わうとは言いつつもすごいスピードでサンドイッチが小さくなっていってる。結構なサイズだと思うんだけど、大丈夫かな。
「大丈夫大丈夫。」そう言って今度はコーヒーを一口。「んー美味しい!」
俺の方がペースが遅いくらいかもしれない。待たせては悪いなと思いつつも、正直追いつけそうにない。「ゆっくりでいいからね!」と狩谷さんは笑った。
「私一口が大きいってよく言われるからさ。ハシビロ君のカツサンドも丸のみだったし。」
「そういえばカツだけ器用にまるっと食べたよね…。」
「いやーごめんね。でも、あそこでハシビロ君に会わなかったら、多分あの日学校にたどり着けてなかったよ。」
狩谷さんがそこでサンドイッチを置いてペコっと頭を下げた。「ホント、ありがとねハシビロ君。感謝してます。」
「いいよそんな。改まって言わなくても。」
「だめ。この町で隈家に初めて襲われた時も、ハシビロ君に助けてもらったし。あと、飛行練習もね。鳥を手本にするって発想すごいよ。私の技術、十年分は進んだ!今までの転校先で一番楽しかった。」
……おかしい。なんだこの回想録を読み上げるような会話は。そう言えば、駅で待ち合わせた時もそんな感じだった。思い出を一個一個辿って、お礼言われて。まるでお別れ会みたいじゃないか。
「…あのね。ハシビロ君。」狩谷さんがぽつりと言った。
「私ね、二週間後に、転校することになった。」
沈黙。
「文化祭…一緒には出れない。私が引き金で文化祭が中止になりそうなのに、元凶の私が勝手にどっか転校しちゃうのは申し訳ないけど、でも、ケガする人をもう出したくないから。」
「……。」
「転校は、登尾おじさんも言ってたから、皆も知ってると思うけど…。思ってたより早く準備が出来たんだ。行先は、私も知らない。隈家にバレたら大変だからって。」
狩谷さんにはいずれ転校してもらう。確かに聞いていた。でも、まだ先だと思っていた。卒業は無理でも、せめて文化祭ぐらいは一緒に出来ると思ってた。
「いつ…決まったの?」
「二週間前かな。」
そんなに前から?じゃあ、転校して参加出来ないって知ってたうえで俺達と文化祭の話をしてたの?文化祭のために、ペースが上がった授業にヒイヒイ言って食らいついてた時も、企画が通らなかったらどうしようかと心配もしていた時も。
良かった。皆楽しんでくれると良いよね!
「……あ。」
主語は「皆」だった。「楽しもうね」じゃなくて、「楽しんでくれるといいね」だった。…もう、諦めていたんだ。だから、昨日もあんなにあっさり、自分は我慢できるって…。
「ずっと黙っててごめんね。」狩谷さんの声が小さくなる。「でも、転校するって事自体、向こうに悟られないように、誰にも言っちゃ駄目だって言われて。」
「……。」
「でも、せめてハシビロ君には伝えようって…。約束もちゃんと果たしたかったし、この町で最初に出来た友達だし、一番、迷惑もかけたし……。」
声に嗚咽が混じりだし、狩谷さんはその先に言葉を紡げずにうつむいた。俺は何か言わねばと気持ちばかり焦ってのどからは何も出なかった。俺達二人の間に、すすり泣きだけが流れる。
「……正確な日付は、分からないの。何時転校するかもあいまいにしておくんだって。」
「えっ。じゃあ、朝来てみたら狩谷さんがクラスにいないって日が来るって事?」
そんなのありなのか。俺はこうして狩谷さんと最後のお別れが出来るが、宮川、田口、それにクラスのみんなはバイバイも言えずに狩谷さんと別れることになる。しかも、どこに転校するかも分からない。―分かってる、これは狩谷さんの命を守るためなんだ。命には代えられない。代えられないけど。
「おかしいだろ。」
口に出してしまった。狩谷さんが顔を上げる。
「こんなのおかしいだろ。いくら命を守るためって言ったって、本人にも行先を知らせないまま、友達にも日付も行先も言わずに転校って。そりゃ…あの、学校に隈家が入りこんでるかもって疑うのは、分かるけど。でも!」
俺は怒っていた。多分この怒りは転校を決めた大人たちに向いているんだろうけど、上手く言葉に出来ない。どうしてこんなに怒りが湧いて来るか、自分でも説明できない。登尾さんから転校の話が出た時は、仕方ない、危険な場所には居られない、と受け止めきれた。そう思っていたのに。
「ごめんね。」狩谷さんがまた謝った。「でも…もうこれ以上いたら、また誰か怪我するかもしれないから。―あとちょっとの学校生活だけど、仲良くしてね。」
そう言って、狩谷さんは笑顔で俺を見た。細めた目から涙がボロボロ出ていたし、顔は真っ赤。それでも、めいっぱい笑っていた。
「……狩谷さんは」
「ん?」
「文化祭、やりたくないの?」
残酷な質問だった。狩谷さんからふっと笑みが消え、涙と嗚咽がまたあふれ出す。それでも、顔をくしゃくしゃにしても、口はこう言葉を発した。
「いいの。もう十分、楽しい学校生活だったから。これ以上我がまま言ったら、バチ当たるよ。―わ、大変!シロノワールが」
ソフトクリームがほぼ溶けてしまったシロノワールにフォークを突き刺し、口いっぱいに頬張る狩谷さん。おいしい、おいしいとしきりに声に出しながら、もりもりと食べていく。それでも、目からあふれるものは止まっていない。
「私ね、空を飛ぶのだけは、我慢出来ないの。でも、今まで飛ぶの下手でさ。飛びたくても思うように飛べないみたいな。だからね、友達と一緒に練習して、一緒に飛べたのはね、凄く幸せなの。」
もごもごと、シロノワールでいっぱいの口で狩谷さんが言う。「もう、飛べなくなってもいいやってくらいには、幸せなの。」
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