第15話 文化祭と気づかぬ男子

「どうしました?まさか、隈家の事ですか?」

「いえ、襲われたとかじゃないんですけど…。」

 俺は野摺さんに連絡して、ピロティに来てもらった。いつも購買のおばちゃんがやって来る場所の脇、自販機が並んでいる休憩スペースだ。田口は部活前にいつもここでスポーツドリンクを買うので、もしやと思って来てみたが、当ては外れてしまった。

「実は…。」

俺はそこにあるベンチに腰かけて、今日の委員会の事を話した。もっとも、田口が野摺さんに不信感を抱いている事は伏せたけど。

「なるほど…。そうなると、今日は一緒に下校しないかもしれないと?」

「そうなんです…。」

 俺がうなずくと、野摺さんはちょっと困った顔になる。

「一応、僕以外にも隠れて見張ってくれている人はいますが、やはりバラバラになるのは危険です。出来れば一緒に帰りたいのですが…。その様子だと、宮川さんともちょっときまずいムードですね。」

「はい…。でも、一人になるのはやっぱりまずいんで、今から会って説得しようかと。」

「では、その間に僕は待機している仲間に連絡して、学校の周りを固めてもらいます。田口君が校外に出たら、そのまま尾行して、何かあった時に備えますね。」

 お願いします、と俺は頭を下げた。

「それにしても、文化祭の中止ですか…。」

 野摺さんがつぶやいた。「間違いなく僕らのせいですね。申し訳ない。」

「い、いえ。悪いのは、隈家ですし…。」

「僕も探しますよ。何かあってからでは遅いですからね。」

「ありがとうございます。今日、一応サッカー部も練習があるはずなんで、まずそっち当たろうかなって」

「え。ですが、田口君はもう練習には参加していないのでは?」

「え?」

 俺が目を丸くしたのを見て、野摺さんはしまったという顔をしたが、やがて観念したように話し始めた。

「僕の友人にもサッカー部がいて、田口君を知ってて。お見舞いにも行ったそうです、部活の仲間たちで。」

 確かに、俺達が見舞いに行った時には既にいくつかお菓子やお花が置いてあったな。

「その時に、田口君が言ってたそうです。『日常生活なら大丈夫だけど、もうプレーするのは難しいって言われた。』と。」

「……。」

「後輩たちの前では明るく振る舞っていたんですが、部長であるその友人と二人きりになったタイミングで『もうサッカー出来ないんだ』って泣いていたと…。」

 俺達が見舞いに行った時の田口を思い出す。痛々しい姿でも笑顔で、冗談を言って自分を責めている狩谷さんを必死に元気づけようとしていた。宮川が足の具合を聞いたときも「大丈夫。」と言ってた。…待てよ。もしかして宮川は気づいてたんじゃないか?委員会の時に何か言いかけて止めてたのは、この事だったんじゃないか?

「これももとはと言えばうちのせいです。」野摺さんはバツが悪そうにうつむいた。「僕らのせいで、さらにケガをさせるわけには…。」

  これ以上あいつらのせいで自分のやりたい事が出来なくなるのはまっぴらなんだ。

 委員会で田口が吐き捨てた言葉を思い出した。

「外に待機している仲間からです。」野摺さんがスマホを手に言った。「田口君はまだ校外には出ていないみたいです。僕は教室の方を見てきますよ。」

「わ、分かりました。俺は、えっと、管理棟行きます。」やっとの事でそう答える。でも、野摺さんが駆けて行っても、俺はしばらく動けなかった。

「田口…。」

 やはり、俺は分かっていなかったのだ。進路希望調査の時に味わったショックがまた俺を襲った。友達の事なのに、俺は何も知らなかった。田口は俺が思っている以上に周りの事を考えていた。周りの事ばかり考えていた。お見舞いの時だってそうだし、隈家に襲われた時だって、冗談を言って恐怖が少しでもやわらぐようにしてくれた。何より―あのケガをしたのだって、元は狩谷さんをかばったからだ。そして、それを狩谷さんが気に病まないように「大したこと無かった」と今でも言い張っているのだ。本当は大好きなサッカーが出来なくなって辛いのに。

「……。」

 俺は他人の事には興味がない。田口にも言われた事だけど、友達は別だ。気の置けない友達が数人いればいい。だからその友達だけは大事にしていると思っていた。とんだ間違いだった。

「せめて、ケガだけはさせないように…。」

 俺は管理棟に走った。


「田口君、いないんですか。」

 部活が終わって校門前にやって来た宮川がつぶやいた。

「ごめん、野摺さんも説得してくれたんだけど。」 

 俺は頭を下げる。あの後、田口を見つける事は出来たのだが、「署名活動の作戦を練る」とか言って他の委員と一緒に先に帰ってしまった。俺は口下手なりに必死に止めたのだが、田口には「もう登校するときも一緒は止める」と言われてしまった。野摺さんのおかげで、分家の人達がこっそり警備についてくれているので、ひとまず何かあればすぐ分かる状態ではある。

「今はマックにいるようですね。しばらく、そっとしておいた方がいいでしょう。」

「田口君何かあった?」

 首を傾げる狩谷さんに俺はことのあらましを説明。ケガの事は黙っておいた。

「そっか…。文化祭、私のせいだね。」

「違いますよ。」と宮川が慌てた様子でなぐさめた。「命を狙われている方が後ろめたさを感じる必要はありません。」

「でも、私田口君に合わせる顔無いよ。」すっかり落ち込んだ声で狩谷さんが言う。「文化祭、中止になっちゃったら田口君悲しむよね…。」

「まだ決定じゃないよ。だから田口だって署名やるっていってるんだし。」

「……でも、濃厚でしょ?」

 狩谷さんの一言に、俺も宮川も黙り込む。

「…この学校は生徒の自主性を重んじるそうだよ。近隣の方にも開催を望む声があるし、すぐに中止とはならないと思うよ。」

 野摺さんがそう答えるが、狩谷さんはうつむいた。

「私は、例えばだよ、文化祭ダメって言われても別に我慢できるけど…。他の皆まで我慢させるのはさ、なんていうか、違うと思うの……。」

狩谷さんがすんなりと、自分は我慢できる、と答えている事に俺はなんとも言えない気持ちを抱いた。つい先週まであんなに楽しみにしていたのに、そんなに簡単に気持ちが切り替えられるものなのだろうか。でも、文化祭に参加した経験が無いというは、こういうふうに諦めるのが当たり前になっているのかもしれない。「残念だけど、いつもの事」という程度なのだろうか。

「あー…。田口君になんて話せばいいんだろう。」

 ただ、自分のせいで他の人まで巻き込む事をかなり申し訳なく思っているし、責任は感じているようだ。宮川が「田口君も、狩谷さんのせいだとは思っていませんよ。」と言っても、「うーん…。」とうなってそのまま黙ってしまった。

「いつも通り、話していいと思う。」俺は言った。「狩谷さんが落ち込んでたらさ、田口も心配すると思うんだ。」

「うーん…。」

「それに…。俺や宮川はその、署名に慎重だったから気まずい感じになったけど、狩谷さんとは何にも無いし。休みもはさむから、多分田口の方から普通に話しかけてくると思うよ。それこそ『文化祭開催に協力求む!』とか言って。」

「そう、かな…。」

「そうだよ。だから、気にしなくて良いよ。」

 俺はそう言って、半ば強引にこの話を終わらせた。ただ、何か違う話題を持ち出して、話を上手く逸らすようなスキルは持っていなかったので、その後は駅まで黙ったまま帰ることになった。

 家に着いてから、むしろ何を話せばいいんだろうと思っているのは俺の方だと思った。このまま何もしなかったら、友達でなくなってしまう気がする。そうなれば、例え文化祭が決行されても、その三日間は耐えがたいものになるだろう。

「文化祭か…。」

 安全とか一切抜きにすれば、勿論やりたい。狩谷さんにとっては初めての文化祭だろうし、そういう意味でも実現出来たらなあとは思う。けど、田口のケガを思い出すと、やっぱり怖い。そうして思考が堂々巡りになって、まとまらずに放棄する。この常に悶々としなければならない不穏な状況は、俺にとってかなりのストレスになっていた。何度考えても結論が出ず疲れるだけのこの悩みのせいで、俺はベッドでごろごろする以外何も手に付かないという、最も非生産的で後から苦しみや焦りが襲ってくる状況に陥っていた。生徒の自由度が高いのがうちの学校の良いところだとは思うけど、今回だけは中止にしろ開催にしろ、はっきり決めて欲しかった。

「ん?」

 スマホの着信音に、俺はずるずるとベッドから這い出た。ラインやメールなら後から読めるからベッドから出なかっただろう。一応スマホを取らなきゃと思えたのは、それが電話だったからだ。

「も、もしもし?」

『ハシビロ君、今いいかな?』

 狩谷さんだった。

「珍しいね、電話かけてくるって…。」

『うーんまあ…。元気かなって。』

「えー…と。」

 思わず笑ってしまった。今日会ったばっかりでそれはおかしい。まあ、田口の事で沈んでたのは事実だけど。

「ありがとう。一応元気です。」

『そっか。……明日、空いてる?』

「明日?」

 つまり土曜日、休日だ。特に予定は無いけれど。

『良かった。じゃあ、明日カツサンド食べに行こうよ。』

「カツサンド?何で明日?」

『いやあ…。今まで学校帰りとか、逆に行くときにお店に寄って、売り切れだったでしょ。だから、それ以外の時間に行けば買えるかな?と思って。』

 確かに、今まで何度か色んなお店にカツサンドを奢ってもらいにつれていかれたが、悉く売り切れだった。唯一あったのがコメダだったが、その時は既にシロノワールを食べた後で、俺のお腹は定員オーバーだった。奢ろうとする狩谷さんを必死に止めたっけ。

『だから、今度こそ、ね?』

「別に急いで食べる事も無いのに…。」

『とにかくお願い!明日じゃないと駄目!』

 駄目なの!?うーん、確かに予定は無いから、断る必要も無いんだけど…。よほど狩谷さん忙しいのかな。それとも、野摺さん達警備する側の都合が悪いとか?

「はあ。じゃあ分かった。明日コメダに行こうか。」

『良かった!』久しぶりに狩谷さんの弾んだ声を聴いた。『えっと、じゃあお昼にする?』

「うーん。それだと混むだろうから…。」

 時間を決め、駅で落ち合う事に決めた。通り道だから、狩谷さんの家で合流すればいいだろうに、「駅の店に用事があるから」と狩谷さんは譲らなかった。

「田口達も誘った?」

『ううん。』

「あれ?そうなの?」てっきり仲直りのために皆を誘うのかと…。いや、そもそも狩谷さんとは喧嘩して無いか。

『いやあ…。』しばらく沈黙があってから、狩谷さんがもじもじと続けた。『そのう…これはね、私がオトシマエを付けるためだから。』

「急に物騒な響きになったな。」

『一対一で、ハシビロ君には、しかと私が責任を果たすところを見て欲しいの。』

「重たっ!?別にいいよ?三百円ちょいのコンビニのカツサンドにそんな重い責任感じなくても!?」

 結局、狩谷さんに押し切られる形で約束してしまった。電話を切ってから、狩谷さんと二人きりでお茶をするという約束だったことに気付く。……これは

「でーと?」

 口に出してからしまったと思ったが、体中の熱が一気に顔から吹き出し、俺は再びベッドにもぐりこんだ。無いない無いないありえない!そりゃ、俺は(何度だって言うが)空から降って来た狩谷さんを普通の女子高生とは見れないが、一応彼女のポジションは「クラス一の美女」「人気者」「演劇部のエース」だ。そんな女子と、自ら進んで立木ポジションを得た俺がデートなど、あるわけがない!だけど…でも…

「やっぱり、田口―」

 スマホを持ったが、止める。今田口にラインや電話をしても、おそらく無視されるだろう。もう少し時間を置いてならともかく、今日はだめだ。

「宮川―」

 いや待てよ。そもそも、もう約束をした後なのに、そこに相手に断りもせず別の友達を連れて行くというのはマナーとしていかがなものか?いくら宮川と狩谷さんが友達同士とはいえ、これはやっぱり良くないのでは?それに…何かわけがあるのかもしれない。狩谷さんは「一対一」にこだわってた。やはり、オトシマエ…貸し借りを無くすという優雅なデートとは程遠い理由のために、友人を巻き込むのは、良くない。そうだ、これはデートではない。

「そうだ、あり得ないんだ。いいか橋本亮。これは、単に貸し借りを無くすための事務作業だ。事務のために、友の手を煩わせてはいけないぞ。」

 俺はやっと心を鎮め、ベッドから起き上がった。先ほどとは別の理由で、結局宿題は手に付かなかった。

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