第9話 鳥の羽と無知男子

 初めは面倒くさく思っていた見守りもはや二週間。慣れてしまえば何も感じない。それどころか、狩谷さんが上手に飛べると、俺達三人も一緒になって喜ぶようになっていった。

 あるとき、珍しく三人揃って練習に付き合った時には、大発見があった。

「あ!」田口が叫んだ。「あるぞ、翼!」

 飛ぶ仕組みが鳥に似ているのなら、翼の役割をする腕に何か秘密があるのではないか―。そう思った俺達は、腕を重点的に調べることにした。そして、ある時「見えない翼でもあるんじゃね?」という田口の冗談を真に受けた宮川が、「じゃあそれ塗りましょう。」と水彩絵の具を持って来た。すると、これが大当たりだったのだ。

「おおー、結構デカいな。」

狩谷さんに両腕を広げてもらい、そこに具をのばしていく。すると、腕の下の、何もないはずの場所に絵の具が付いた。絵筆で伸ばしていくと、羽毛が腰のあたりまで生えていた。指先からも羽が生えている。

「ええと…翼を広げた長さは三メートルです。」

 メジャーを持った宮川が言う。「腕を広げた長さより長いですね。」

 翼に色が付いた狩谷さんの姿は、サーフボードを二枚抱えているように見える。その位、胴体に対して翼が大きい。だから、

「おおーこんな風になってたんだ!」

「ぶっ!?」

「あ、ごめんねハシビロ君!」

腕は避けても翼までよけきれずに俺はふっ飛ばされた。羽は本物の鳥よりもずっと硬かった。でも、狩谷さんは楽しそうに腕をぶんぶん振ってるから、強度の割には軽いのだろう。

「うん?しっぽがあったぞ。」

「田口、それ尾羽。」

 狩谷さんのお尻の少し下あたり、何もないはずの場所に水色の絵の具が付き、地面スレスレまで伸びた尾が見えてきた。

「凄い。」思わず俺は声が出た。飛ぶ時だけ、見えない羽毛を一本一本生やして翼を作っているのか。一体どんな術なのだろう。試しに本人に聞くが

「んー、分かんない!」

笑顔で狩谷さんが言い切った。…まあ、答えが得られるとは思ってなかったけど。原理が分かんないまま出来るこの人、ある意味天才かもしれない。世が戦国時代なら凄く重宝される忍びだろうな。

「でもよー、尾羽っているか?」と田口。

「普通の鳥と同じなら、方向転換や旋回の時に使うはずだ。」

「おおーハシビロ君詳しい!」

「橋本、お前まさか―」

「飛べないからね?」

 どうも田口は狩谷さんに毒されやすい。俺はノートを見返しながら説明する。

「指先から生えてるこの大きい羽の列が初列風切。これが前に進む力を生み出す。で、その次に生えてるのが次列風切。こっちは揚力を生み出すためのもの。つまり、鳥が浮かび続けるために必要な羽。」

「なるほどー!」狩谷さんがふんふんと頷いた。翼の持ち主に翼の仕組みを解説するというのはなんだか妙な気分だ。

「狩谷さん。」宮川がその風切り羽を触りながら言う。「今、触られているという感触はありますか?」

「え?んー…びみょ~だなあ。自分が持ってる長い棒の先を触られてるって感じ。」

 という事は、この羽は自分の体って感触は無いんだ。でも、宮川がどうしてそんな事を気にしたのかがちょっと気になった。

「翼が壊れたらどうなるのかと思ったのです。その…親戚が翼に攻撃して来ないとも言えないでしょう。」

「あー、確かに体よりずっとでけえもんな。」

 田口がうなずく。「もしかして、羽が硬いのも防御のためじゃね?元忍びならさ、下から狙撃もされるわけじゃん?」

 なるほど。でも逆に言えば向こうも同じ仕組みで飛んでいるのだ。狩谷さんの飛び方についてもっと知る事が出来れば、親戚から逃げ切る手段も増やせるかもしれない。

「よっし!そのためにももっと練習だ!」

 ところが、そこで思わぬストップが宮川からかかった。

「ひとまず、今週はここまでにした方が良いかと思いますよ。」

「え?なんで?」

 意外な人物からの忠言に、狩谷さんが首を傾げる。すると、宮川はメガネをいじながら、凄みを利かせた声でこう言った。

「狩谷さん。次の期末テストで赤点にならない自信は?」

「……。」

 そもそも、今日こうして四人がそろったのは、期末テストを十日後に控え、全ての部活動が停止する時期に入ったからだ。

「追試になりますと、演劇部の練習にかなり支障が出ます。何せ人数がギリギリですから、一人欠けると練習出来る場面が減ります。大会に向け最後の調整に入った、この時期に。」

 言葉尻は丁寧だが、つまり「この大切な時期に追試などというもので練習時間を削るんじゃない。これは部長命令だ。」という事だ。狩谷さんの頬をツツーっと汗が伝う。

「―私でよければ、力になります。」

「明日から勉強教えて下さいっ!」

狩谷さんだけでなく俺達三人みんな頭を下げた。五教科成績トップクラスの宮川に教わる機会が得られた事は、狩谷さんに感謝しなくちゃいけないなと俺はひそかに思った。

そして、期末テストと同じ時期に行われるのが、進路希望調査。要は、今現在の志望校のアンケートだ。勿論就職という道もあるけど、うちの学校ではほとんど皆進学を選択する。

「そういえば、進路希望出した?」

 翌日、自習室でテスト勉強をしている時、俺は三人に尋ねてみた。皆がどんな学校に進むのか、ちょっと興味があったから。が、

「忘れていました!」

宮川がガタンと音を立てて立ち上がった。進路希望の締め切りはテストの最終日。皆テストに必死でつい忘れがちだが、宮川が忘れていたのは意外だ。いつも抜け目なくて、忘れ物なんてしないのに。

「大丈夫だよ、まだ締め切り先だから。」俺は慌ててそう言うと、宮川はほっとしたように座り直した。

「失礼しました。前回も締め切りを忘れて、翌日に出したものですから。」

「意外だ…。」田口がつぶやいた。「宮川が、二回も忘れるっていうのが。」

「書くために家で出して、そのまま鞄に入れ忘れるのですよ。」宮川がため息をついた。「ハッシーはもう出したのですか。」

「一応。地元の公立と私立を書いといた。下宿は金かかるしさ。」

 俺は公務員志望だ。だから学科は政治学系か経済学系。まあ、どっちも俺の学力だとちょっと厳しいが、調査票は埋まる。ひとまず出すことが肝心だ。

「へー、ハシビロ君役場で働くの?」

「可能なら。同じ公務員でも、教員とかはちょっと向いてないけど。」

「志保ちゃんは向いてそうだね。」狩谷さんが笑った。「だって、今教えてもらってるテスト勉強も分かりやすいし。」

「確かにな。」田口もうなずいた。当の宮川はと言えば

「教え方への賛辞はありがたく頂戴しますが、私自身は教師になるつもりはありません。」

「じゃ、どこ行くんだ?」と田口。「今理系コースだから、大学もそっち系?」

「そうですね…。候補の一つは農学部です。祖父母が農家なので。」

「へー!」狩谷さんが目を真ん丸にした。

「ただ、一言に農学部と言っても結構幅広いのです。私達のイメージする、いわゆる農業以外にも、バイオテクノロジー、環境保全、国際開発農学。」

どうしよう、分からない言葉がたくさん出てきた。隣りを見た。あ、俺だけじゃないや。

「とにかく、候補がいくつかあって絞り切れていないのが現状ですね。それで悩むうちに出し忘れてしまうのですが。」

 と答えた。田口が「どこ行っても受かりそうだよな。」と笑う。俺も、宮川なら多分志望校にも現役で入ってしまうだろうなと思った。

「田口は?やっぱサッカーの強い大学か?西大とか…。」

俺がそう聞くと、けらけらっと田口が笑った。

「ハシビロよく知ってんなー。でも、うちの高校から西大は無理だよ。あそこはエリートの入るとこ。高校サッカーの強豪高校から、スポーツ推薦で入るとこだ。」

「そ、そうか…。」

「それに俺、大学でサッカーやんないから。」

「えええええ!?」

 俺だけじゃなくて狩谷さんも宮川も声を上げた。それを見た田口は「俺どんだけサッカーだけだと思われてるの。」と、けらけら笑った。

「いやサッカーは好きだよ勿論。でも、サークルだとエンジョイ勢が増えるって聞いたんだ。勝ち負けこだわらず楽しみたいってのは、それはそれでいいと思う。でも俺は必死こいて練習して、勝ったーっていうあの感じが好きだからさ。」

「ちょっと分かるかも。」

 狩谷さんが頷く。「私もヘットヘトになるまで練習して、もうヤダーってなっても、そこで、飛べた!って成果が出たらまた必死に練習するもん。」

 あ、部活の話じゃなかった。飛行練習の方だった。

「ただ何かしらスポーツには関わってたいんだよな。で、俺応援も好きだから、インストラクターとか目指してみようかなって。俺がエリートじゃなくても、俺が応援して、指導した生徒がそれこそ西大入ったら、絶対嬉しいし。だから、そういう学科のある大学書いといた。まあ、学力ピンチだし、結構ハードだけどな!」

 言葉を失う俺の横で、狩谷さんと宮川が拍手していた。

「確かに田口君は励ますのも応援するのも得意ですし、適任かと思います。」

「そうそう!で、いつかテレビで『天才ストライカーを育てた名将!』とかって紹介されるんだね!」

「え~!狩谷さん気が早いなあ~ハハ。」

 照れる田口に、「じゃ、教え子に一言」とインタビューアーの真似をする狩谷さん。

「ハシビロー?何ぼーっとしてんだ、大丈夫か?」

「いや。田口がマジに進路考えてるのに驚いてた。」

「それどーいう意味だよ!?」

 迫って来る田口に「いやいやいや」と俺ははぐらかす。田口は茶化されたと思っているみたいだけど、俺は実際かなり衝撃を受けているんだ。「田口みたいなやつが、意外。」という意味じゃない。「自分のやりたい事」がはっきりしてて凄いと思ったんだ。正直羨ましいとも思った。田口の「インストラクターになりたい」と、俺の「公務員になりたい」は根本的に違う。田口は、スポーツの応援が好きだから、好きなサッカーに関わっていたいからインストラクターを選んだ。他のどれでもなく、それがいいと。俺は、単に「苦労したくないから」それを選んだ。好みではなく「その方が良さそうだから」選んだ。何があるか分からない将来、好きや理想だけで仕事や大学を選んで苦労したくない。好きな気持ちだけでは、空腹や痛みは乗り越えられない。……でも、目の前にいる田口は、「ハードだ」と言いつつ苦労も乗り越えられそうな笑顔をしている。他方、熱意の無い進路を選んだ俺に、直近の苦労である受験を超えられるのだろうか。

「……。」

 俺は、自習室を見回した。テスト前という事もあって多くの生徒が机に向かって黙々とペンを動かしている。―皆、「やりたいこと」は既に見つけたのだろうか。だから、こんなに一心不乱に勉強が出来るのだろうか。もしや、ここにいる中で「やりたいこと」が見つかっていないのは俺だけでは無いか。そんなはずは、と頭で別の声がするが、少なくとも田口に俺は置いて行かれている。宮川は絞り切れていないと言う。しかし、すでに進みたい方向は見えているのだ。二人は道を示すコンパスも、それに向かって走るエンジンも持っている。―一年と半年後、俺はこの二人と同じように卒業して、前に進めるのか?なぜだろう、エアコンが効いているのに汗がふき出してきた。

「狩谷さんは、大学はどうするんです?」

 不安と寂寥感と焦りを顔に出さないように物思いにふけっている俺の耳に、宮川の声が入ってきた。

「私?私は京都以外の大学ならどこでもいいんだ。」

「京都は、だめなのですか?」

「うん!だって、鷹野家が住んでるのが京都だから!危ないもん!」

 …………。

「なるほど、進学に安全確保は絶対条件ですね。」

「宮川、そこ普通に流すところじゃ無いと思うよ。」

 思わず突っ込んでしまった。同時に、四人なのに一人であることの焦りに目をつぶった。

「おっと、時間ですね。」宮川が腕時計を見て言った。期末テスト前は、部活動は全て停止になる。だから、今日は四人でそろって下校出来る。

「ああー夏休みまだかなあ。」

「田口気が早いな、まだ二週間弱あるのに。」

「テストの事ばっか考えるとめげるからよー。」田口は悲しみとぼやきの混じった声で言った。「だから、先にある楽しみを時々確認しねーと。あ、演劇部また見に行くな。」

「いつもありがとうございます。」

 宮川が頭を下げる。え、田口、いっつも見に行ってるの?

「え?そうだけど。」田口が目を丸くして俺の方を見た。「むしろ、橋本。お前宮川の舞台見た事ねぇの!?」

「え。うん。」

「マジかよ!?幼なじみ出てるんだぞ、応援しねえフツー?」

 えっ、そういうものなのか?俺、あんまり友達の試合とか応援に行ったことないからな…。思えば田口の試合だって見に行ったことが無い。

「田口君は毎回来てくれてるんだよー。志保ちゃんから聞いた。」

「え!?そうなのか?」

「俺、知り合いの舞台とか試合は欠かさずチェックするんだ。」

 田口が見せたのはスマホのカレンダー機能。夏休みは予定がびっしり書き込まれているが、どれも運動部の大会や音楽系部活の演奏会。横に書いてあるのは友達の名前だ。でも、明らかにダブルブッキングがあるみたいだが。

「そこは、ダチが出る所だけ見るんだよ。演劇とかなら、時刻が分かるだろ。」

 成程、そこまで考えて予定を組んでいるのか…。こういう所が田口に友人が多い理由なんだろうなと納得する。

「去年の宮川すごかったぜ。不良の中学生の役だったんだけど、俺怖かったもん。猫背で、ガンつけて、声はドスきいてて。あ、こいつに話しかけたらボコられる、って思った。」

「マジか…。」

 驚いた。宮川とは真逆のキャラじゃないか。お芝居だとしてもまるで想像できない。

 いや待てよ。ふと俺は思った。俺は宮川のキャラを説明出来るほど、宮川を知らないんじゃないか。小学校からの付き合いだけど、それはとても親しく、よく喋る相手というわけではない。むしろ狩谷さんつながりで、高校生になってからの方が良く話すようになった。

―違う。他の人を説得したり、論破するのは見るけど、俺と話す時は専ら聞き手だった気がする。だから、宮川の話、宮川本人に関わる話を聞いた事がないんだ。演劇部に入ったと知ったのも、一年生の後期だったし。

「橋本さすがに他人に興味なさすぎだろ。」呆れた様子で田口が俺を見る。他方、宮川の方は「まあ、そういう所がハッシーらしい。」と、特に気にする様子も無い。

「元々、ハッシーは私ではなく私の兄と友達でしたから。私も小学校の時は兄を通じてハッシーと少し話すレベルでしたし。」

「ああーそういう事か。ハシビロに女子の友達がいるって意外だったんだよな。」

 田口がうなずくのを見ながら、俺は田口の事も詳しくは知らないのだなと思った。進路の話だって今日初めて聞いたし…。田口の言う通り、俺は他人を知らなすぎだ。

「…はあ。」

「ハシビロ君、大丈夫?」ため息を聞かれただろうか、狩谷さんがひょいと俺の顔をのぞいた。「空飛んどく?」

「……いやいや、何でそこで空を飛ぶが出るんだよ。」

「空飛んだら、嫌な事も全部忘れるよ!私はそうしてる!」

 狩谷さんの答えに、俺達は苦笑い。確かに、飛行練習では毎回にこにこしながら飛んでるから、理屈抜きに好きで楽しいんだって言うのは全員理解してるんだけど。ただ、確かに空を飛んだら頭はすっきりするだろうな、と俺はふと思った。今なら何が見えるだろう。抜けるような空とホイップクリームみたいな入道雲、まぶしく光をこちらに返す田んぼの水と、その上に青々とした葉を伸ばす稲。

「……遠慮しとく。」俺はそう答えた。

「えー。」

「えーじゃない。嫌な事も忘れるけど多分必要な事も全部忘れるから。今日勉強した事とか。」

「あ、それはいけない!赤点やだもんね!」

 狩谷さんが大真面目な顔で言うので、俺達の間にまた笑いが広がった。

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