第8話 飛びたい女子とブレブレの心

 翌日俺が教室に来ると、宮川が狩谷さんと話していた。狩谷さんが必死に何やら説明しているが、宮川の顔は険しい。

「宮川、具合大丈夫か?」

「あ、ハッシー。ありがとう、おかげさまで、体調は良くなりましたよ。」

 宮川の顔色は良さそうだ。

「ところでどうした朝から?昨日の事?」

宮川の顔が青ざめる。まあ友人が不審者(実は親戚なんだけど)に襲われたらそりゃ青ざめもする―

「やっぱり、狩谷さん家に辿り着けなかったんですか?!」

 そっちかーー!

「大丈夫だったんだってば!」狩谷さんが必死になって訴えているが、宮川には届いていない。いかに普段迷子になっているかだな…。

「宮川。大丈夫だよ、家には辿り着いてた。」

「ハッシーが見ていてくれたんですか?」

「見ていた、っていうか巻き込まれた。」

「は?」

「おっすー、皆揃ってんな。」

 丁度田口がやって来たので、俺は昨日の一連の出来事を話した。

「げえ!?大変だったな狩谷さん。」

「本当に、無事に帰れて良かったですね。」

「狩谷さん」俺は念のため聞いてみる。「やぱり警察には言わない?」

「意味無いしねー。それに、自力で撃退するし!」

 嘘だろ、って顔をしている宮川たちを横目に狩谷さんはお茶を飲む。

「これからも一緒に帰った方が良さそうだよな。」

 田口が言った。「橋本の話だと、一人でいる時が危険なんだろ。」

「私が昨日二人に連絡していれば…。ごめんなさいね。」

「志保ちゃんが謝る事じゃないよ!」

 狩谷さんがブンブ手を振る。俺もそれには同意だが、実際一人にすると誘拐と迷子という二つの危険がある。当番制で、俺達三人の誰かが一緒に下校する方が良さそうだ。昨日みたいに欠席や早退の時はお互いに連絡を取り合って、狩谷さんをとにかく一人にしないようにしよう。

「そういえば朝は?」

「私が一緒に登校しています。」

 と宮川。「水曜日と金曜日は朝練もありますからね。」

「でも二人だけだろ。朝は三人で登校した方が良くね?」

「そこまでしてもらうのは…。」と狩谷さんは遠慮したが、宮川は「あなたを一人にする方がよほど心臓に悪いのです。」とスッパリ言い切った。

「私、そんなに迷子に」

「なってます。」

 今度は全員に断言され、狩谷さんはしおしおとうなだれた。

結局、朝も誰か二人は一緒に登校出来るよう当番を決める事にした。そして、早速今日の下校から俺達の狩谷さん見守り活動が始まった。今日は田口が部活、宮川も部活は無いが委員会で動けないので、俺が見守り担当。ところが狩谷さんは飛行練習がしたいと言い出した。

「いや危ないだろ。」

俺は呆れて狩谷さんを止めた。昨日誘拐されたばかりで、しかも犯人は野放し。まだ近くに潜伏しているかもしれないのに、何でわざわざ目立つような事をするんだろう。

「空を飛べたら逃げる手段が増えるでしょ。」

 そしてなぜこの人はあっけらかんとこう答えるのだろう。

「昨日だって、落っこちたからハシビロ君にも迷惑かけたんだもん。私がもっと上手に飛べてたら相手を振り切れたと思うんだ!」

「始めから下を歩いて、いざとなれば建物に逃げ込めば良かったと思うんだけど。」

 俺が淡々と言い返すと、狩谷さんはしばらくうなって、はっと思い出したように口を開いた。

「でもでも!私、走って追いかけられた事あるよ。中学校、かな。行き止まりに追い込まれて大ピンチだったんだから!」

「その時はどうしたの?」

「塀を登ろうとしたところで捕まって―」

捕まったんだ!?ピンチどころか、アウトじゃん。

「で、そのままどっか飛んで行こうとしたから、足に紙ヤスリかけた上からタバスコ―」

「ちょっと待った何言ってるか分かんない。」

 どうやら粗めのサンドペーパーで足につけた細かい傷口に塩よりさらにキツイ香辛料を塗りこんだらしい。相手はたまらず狩谷さんを落っことしたそうだ。

「でもその時も上手に飛べずに田んぼに落ちて三日ぐらい目が覚めなくて。」

「……。」

「だからね、やっぱ飛行練習は大事!というわけで行こう。」

「…じゃあ、一つ約束してくれ。」

俺は作戦を変えることにした。狩谷さんは空を飛ぶのが楽しくて仕方ない人だ。今だってなんだかんだ理屈をこねていたが、要は飛びたいだけ。無理に止めても止まらないし、後から不満を爆発させるかもしれない。だから、飛ぶ事は止めないようにしよう。その代わり、短い時間で済ましてもらう。

「練習は一日一時間まで。日が暮れたら危ないし、悪いけど電車の時間もあるから。」

「分かった!私以外、皆市外だもんね。」

「そうそう。」

そして、短くても満足出来るよう、次の一手。

「あと、俺なりに飛行術の事を調べてみたんだけど。」

「え!」

 狩谷さんの目が見開かれ、漫画みたいにパアァ…と輝く。

「ハシビロ君、そんなに調べてくれるって、やっぱり飛べ―」

「ません。」

 ボケでもなく茶化してるでもなくマジでそう思っているっぽい狩谷さんが怖い。ここは少し冷たく突き放すぐらいで丁度いいだろう。多分。

 河川敷にあるベンチに一旦腰を下ろし、俺はノートを広げる。先日部長から勧められた本を一通り読んで調べたことをメモしたものだ。

「前言っただろ。違うアプローチを考えるって。」

「あ、言ってたね。わーすっごい密度!」

 俺のノートを見た狩谷さんが声を上げる。「こんなに調べてくれたの!?」

「まちょっと難しい本も多かったから、文字数が増えちゃっただけだよ。」

「でも凄いよ!細かいし写真のコピー?とかも貼ってある!」

 あれもこれもと書いたりコピーを貼ったりするうちにノートの余白が無くなっただけなのだが、何度も凄い凄いと、目を真ん丸にして驚かれると、まんざらでもない気持ちになる。

「調べたのは、鳥の飛び方だよ。」

「鳥?」

「ピーターパンは分かる?」

 狩谷さんは一瞬キョトンとした顔になるが、ふんと頷いた。

「ピーターパンは、腕を振らないし助走もしないけど飛べるだろ。魔法の粉、だったっけ。でも、狩谷さんそれ出来る?」

「無理無理!」狩谷さんが首をブンブン振った。「手でこう―羽ばたかないと!」

「羽ばたく、って事は鳥が飛ぶしくみに近い方法で飛んでるって事だよね。」

俺は、より鳥の飛び方に近い方法で飛んでもらうよう、ノートに書いた事を元にまずは地上で姿勢を確認した。

「飛び立つ時は翼、つまり腕を強く下に振り下ろす。真上には飛ばない。こう、前進しながら段々浮いていく感じで。」

「う、うん?」

「で、一度浮き上がったら―」

 鳥は種類によって飛び方も大きく異なる。今参考にしているのは猛禽類の飛び方だ。部長の選書が猛禽類の本だったからなのだが、あまり羽ばたかず滑空する狩谷さんの飛び方には合ってる気がする。

「なるほど!じゃ早速飛んでみるね!」

「じゃあ撮影するよ。」

「ありがとう!」狩谷さんがぱっと笑った。「えへぇ、手伝ってもらえるなんて初めてだなあ。にやけちゃう。」

 そう言われると少し罪悪感がある。実際には全力で協力しているわけじゃないし、むしろ短く練習を終えたくて動いているし。ただ、飛び方へのアプローチが合っていたかどうかは確かめたい。もしこれで飛び方が改善したら、俺の苦労も報われる。

「とぉおおおお!」

 狩谷さんが走り出し、地を蹴る。体は徐々に上へ、そして前へ進む。今のところは順調だ。おいて行かれないよう、俺はカメラを向けながら必死に走ってついて行く。

「はっ、速い。」

 前回田口と見た時よりスピードが出てるんじゃないか?距離もそれなりに伸びている。あ、三分越した。これは前回よりいい記録が出そうだ。まだ体の向きも安定している。

「ってことは、やっぱり鳥と同じ仕組み…?」

 少なくとも、自然法則を完全に無視したピーターパンの様には飛べない事がこれで確かになった。でも、やはり飛ぶ仕組みは完全には分からない。今の狩谷さんは腕を翼がわりにしているが、体を支えるにはあれではあまりに小さい。本によれば、鳥は胴体に対して大きな翼を持っているから飛べるらしい。翼に生えた羽によって下から浮き上がる力と前へ進む力を得るのだ。当然、狩谷さんに羽毛は無い。

「そこは忍法って事なのかな…。今の科学じゃ説明つかないような―」

「ふぎょおおおおおおお!」

 しまった。考え事をしていたら、狩谷さんと離れてしまっていた。しかも、落下し始めている。

「この前を思い出してーー!足を出せーー!」

 顔面直撃だけはさけて欲しくて俺は叫んだ。そのおかげかは分からないが、狩谷さんの体は左右にぐらつきこそすれ、頭が下になることは無く、足がのびたままの姿勢で落ちていった。

「大丈夫ー?」

「平気だよー!」

 姿は確認できないが、元気な声が前方から聞こえる。やがて、狩谷さんがとたとたと前から小走りでやって来た。

「怪我は?」

「無いない!」ニカっと歯を見せて笑う狩谷さん。今日は顔をすりむいていない。どうやら本当に大丈夫らしい。

「なんか、すっごくスィーって飛べた!」

「じゃあ、鳥の飛び方を手本にしてこれからは練習すればいいね。」

 俺がそういうと、満足げに頷く狩谷さん。俺としても、調べた成果が出たので気分は晴れた。

「そうだ、動画は?見せて!」

「あ、最後の方撮れてないんだ、ごめん。」

 スマホで撮った動画を再生し、前回田口が撮ったものと比べてみる。

「うん、上昇するスピードが上がってるし、体のぐらつきも減ってる。」

「すっごいね!こんなに変わった!」

 スローにしたり一時停止にしたりして何度も見直しながら、狩谷さんが興奮気味に話す。

「嬉しー!自分で上手になった、って実感がわくの久しぶりだもん。ありがとね、ハシビロ君。」

 美女が満面の笑みでこちらを見つめてくると、やはり恥ずかしい。うっかり気を良くして、「次回もサポートするよ。」なんて言いそうになる。我ながら、ちょっと情けない。

「ふぅ…。」

 狩谷さんがふいにため息をもらしたので、俺はちょっと気になってそっちを見た。

「いや、今までで一番長く飛んだからー、ちょっと疲れちゃった。」

 照れくさそうに狩谷さんが言った。「これからはスタミナも鍛えた方がいいかなあ。」

「筋肉もあった方がいいと思うよ。ありすぎると体が重くなるけど…。」

「なるほど、確かに腕もだるいなあ。」狩谷さんが腕を伸ばしてストレッチしている。でも、もし鳥と同じ仕組みなら、鍛えるべき場所はそこでは無い。

「鳥は翼を胸筋で動かしているんだけど…。」

「え?胸って事?」

「だから、鳥の胸肉って大きいだろ。」

「ほええ、あれ筋肉だったの!」

 何を食べていると思っていたんだろう。

「よーし、じゃあ今日から筋トレもやっちゃお。これなら雨の日だって出来るしね!」

 新たな目標が出来たからか、ニコニコわくわくしている狩谷さん。

「バッキバキのマッチョになってやる!」

 俺の頭に、逆三角形体型のゴリゴリになった狩谷さんが浮かぶ。

「あの、ほどほどにね?筋肉で太ったら、重くて飛ぶの大変になるから。」

 俺は自分で言い出しておきながら、狩谷さんにそう言い聞かせるのだった。

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