第6話 努力苦手男子と親戚
狩谷さんは部活の日以外は毎日空を飛ぶ練習をした。でも、たった二十分の道のりでも迷子になるので、俺と田口、どちらか予定が空いている方が付きそっている。カミングアウトの後は、宮川も助けてくれるようになった。
「何でそんなに練習するんだ?」
俺がそう尋ねたのも、珍しく三人全員で狩谷さんに付き合った時だ。今の練習法は危険だ。体のあちこちに打ち身が出来るし、過去には骨折したり、気絶して二日意識が戻らなかった事もあるらしい。そこまで命がけで練習する理由が知りたかった。
「え?好きだもん。」
俺の想像以上に、狩谷さんの答えはシンプルだった。驚く俺に狩谷さんは続けた。
「お父さんは何の役にも立たないっていうけど、別にそれでもいいの。好きな事だから、やりたいの。」
凄いね、と言えなかった。狩谷さんの努力は、素直に尊敬する。ほぼ毎日練習を欠かさないのだから。でも、努力する事自体、果たして意味があるのだろうかと俺は思ってしまった。俺はいくら好きな事でも、将来何の役にも立たないなら熱心に打ち込めない。あと三年で二十歳、さらに数年したら働くようになると思うと、将来必要な力の為に時間を割きたい。将来見返りがあると思うと安心して打ち込める。逆に、狩谷さんの飛行練習は上達しても自己満足だけで終わってしまう。いや、上手くならない可能性だってある。俺なら練習が全て徒労に終わるのではないかと不安になってやめるだろう。そして今、練習に付き合っている俺の時間も、ただの浪費になるのではないかと思った。思ってから、我ながら自己中だなあと自己嫌悪になる。
「でも、練習に無駄が多いですね。」
宮川の言葉に、一瞬俺は心を読まれたかとどきりとした。
「姿勢一つとっても、正しいかどうかすら分からないんでしょう。間違ったままで続けても成果は出ないかと。」
「でも、今までもこうしてやってきて、飛べてるんだろ?」
今度は田口が言う。「それに、狩谷さん以上に俺達は飛び方なんて分からないし…。」
田口の言葉を聞いて俺は思い出した。狩谷さんのこの力は、お父さんの血筋の力だ。だったら、その親戚筋を当たれば教わる事が出来るんじゃないか?
「いやあ…。それは無理なんだよねえ。」
聞けば、お父さんの実家には忍術書が伝わっていて、空の飛び方も載っているらしい。普通は、それを読んで一族は飛ぶ練習をする。ただ、当のお父さんは実家とほぼ絶縁状態で近寄らないそうだ。こうなると、正しい飛び方を誰かから教わるというのは絶望的だ。だから独学になったのだろう。
「…別のアプローチを考えるしかないか。」
俺がそう呟くと、狩谷さんがまん丸な目でこっちを見た。
「ハシビロ君…まさか飛べるの?」
「飛べないよ?むしろなぜそう思った?」
「いや別の方法があるって…。」
「人に聞いて駄目だから、他のものを頼ろうって意味だよ。」
その日はそこで切り上げ、俺達は家路についた。
翌日、まだ朝のホームルームが始まる前、俺は図書室に居た。手当たり次第に本を手に取り、机に広げて読み漁る。この時間にわざわざ図書室に来る人は俺ぐらいだ。机一杯に本を広げていても問題は無し。なんだか独占した様でいい気分。
「こんなに早くから、感心だねえ。」
「おおうっ!?ぶ、部長?」
…勿論、例外もある。ぬぅらっと俺の背後に現れたのは、我らが文芸部最恐権力者、三ツ輪文子部長。宝塚の男役みたいな声と笑顔、そして明智小五郎みたいな口調で、全身が凍てつくダメ出しをしてくる。初めて出した原稿をコテンパンに言われた日は昨日の事のように思い出せる…。
「ハハハ。随分と店開きをしているが、もう文化祭の部誌の準備かい?」
「いえ…個人的な調べものです。」
俺が答えると、部長はあごに手を当て微笑んだ。「おい、君。鳥の飛び方を調べるならば、いい本があるよ。」
「え!何で分かったんですか?」
部長はそれには答えず本棚に歩いていく。ほどなくして数冊の本を持ってきて俺の目の前に積み上げた。
「これは飛ぶ仕組みに特化した図鑑。こちらは少し古いがかなり詳しい猛禽類図鑑。で、これはVRアプリを使った映像付き―」
一冊一冊丁寧に本の紹介をする部長。鳥の図鑑なんて、高校生になってからはそんなに読まないと思うんだけどな。部長は鳥好きなのか?疑問は尽きないが選書は見事に俺の欲しいものを当てていた。部長には何度もお礼を言い、俺は時間の許す限りそれを読み込んだ。
今日は俺以外全員部活があるので、飛行練習は無しだ。俺は自習室で今日の宿題を終えた後、再び図書室で本を読み漁った。練習に付き合うのは時間の浪費だと言いつつ、そう思ってしまう自分が恥ずかしい。田口や宮川に狩谷さんのお守りを任せきりにするのも気が引ける。そういうわけで、せめて練習自体の無駄を省こうというわけだ。
「腕を上下させて飛ぶって事は、翼の役割をしてるって事かな。」
そうなると、鳥が飛ぶ仕組みが参考になるんじゃないかと思った。鳥が体を水平にして飛ぶように、狩谷さんも立った姿勢では空中に居られない。風の強い日はあおられてコントロールを失う。魔法使いが箒で飛ぶような原理ならお手上げだが、鳥と同じならやりようはある。
「お、やべ。」
つい夢中になって、図書室が閉まる時間ギリギリになってしまった。渋々始めた調べ事だけど、読むと意外と面白い。部長の選書が良かったのかな。ぼんやりそんな事を考えながら自転車を走らせ、国道で信号待ちをしていた時だ。
――ぼっすーん!
「のぎゃああ!?」
目の前に降って来た黒い塊、そして自転車全体に走る衝撃。何とか両足で踏ん張って自転車が倒れるのを阻止し、黒い何かの正体を確かめる。自転車の籠にある俺の鞄の上に、もう一つ学生鞄が鎮座していた。どこから?と俺が空を見上げると、
「…狩谷さんか。」
さては足に括った荷物を落としたな、と思ったら、狩谷さんはそのまま飛び去った。そして、その人影を追う二つの影があった。
「…えっ。」
雷に打たれたような、とはこういう気持ちを言うのだろう。狩谷さん以外に空を飛ぶ人影を、俺は見てしまったのだ。
「…………。」
自分で見たものが信じられず、俺はしばし固まった。それでも目線は狩谷さん達を追っていた。そして、狩谷さんの高度が徐々に下がり、ふらつき始めたのに気付いた。あのままじゃ、また墜落する!
「あーっもう!」
信号が青になるや俺は全速力で自転車を漕いだ。狩谷さんは駅方面から大きく東に逸れていく。そして、他の人影もそれを追う。俺は何度も見間違いじゃないかと思ったが、どれだけ近づいても、ハングライダーやパラグライダーが見当たらない。となると、まさか狩谷さんと同じ血筋の人?でも、親戚とはほとんど会ってないって言ってたはずだ。
何より奇妙なのは人影の飛び方だ。一人は狩谷さんの後ろにぴったりつき、もう一人はあおり運転みたいに横に寄せてきたり前に出て急に減速したりする。狩谷さんはそれから逃げようとして、駅からどんどん遠ざかり、飛び方も不安定に。あ!落ちる!
「うがああああーーーー!」
雄叫びを上げて、俺はペダルがもげるんじゃないかという勢いで自転車を漕いだ。今までこんなに酷使された事がないチェーンがギリギリと悲鳴を上げる。小さく遠かった狩谷さんがどんどん近づき、はっきり見えてくる。あと三十メートル、二十、十…
「間に合えええええ!」
ずっずずずずずざーーー!ガシャン!
「……。」
腹に食い込むサドル。ひりひりと痛む腕と脛。すぐ目の前にあるへこんだ籠とその先に転がる鞄。そして、背中に重いものがいる感触。体が全く動かせないけど、俺は目的を達成した事を確認した。
「…ぎゃああああああハシビロ君ーー!」
自分がクッションになる事で、どうにか狩谷さんが地面に激突するのを防げたのだ。大の字になって動けない俺を狩谷さんが抱き起してくれた。
「だだだ大丈夫?!わああ血が出てる!」
「大丈夫、平気です…。狩谷さんは―」
「!」
ガガッ、ガッ、カァン!
俺の言葉が終わるより先に狩谷さんが俺を思いきり突き飛ばした。と、同時に金属同士がぶつかるような音が三回。アスファルトに打ち付けられてじんじん痛む頭をどうにか持ち上げて見えたのは、自転車に突き刺さった苦無三本。
「―来て!」
自転車も鞄も放ったまま、俺は狩谷さんに引っ張られて走り出す。国道から離れて脇道に入り、くねくねと無茶苦茶に走った。ひとまず逃げなければ危険だ。それだけは分かったので、足をとにかく動かす。ここまで全速力で自転車を漕ぎ、今は自分よりずっと足が速い狩谷さんに引っ張られている。ついて行くのがやっとだ。
まだ人影は追ってくるのだろうか。上を見る余裕はなく、足をもつれさせないよう必死に動かす。今どっちを向いているのかすっかり分からなくなり、疲れで頭もぼーっとして来た頃に、俺達は業務用スーパーに飛び込んだ。店の中でも走って、一番奥まで来た時にやっと狩谷さんは足を止めた。
「ここまで、来れば…ふぅ。」
狩谷さんも俺も肩で息をしながら、ワゴン売り場にもたれかかった。
「大丈夫ハシビロ君?あと、ありがとう。おかげで頭から激突しなかったよ。」
狩谷さんがそう言って背中をさすってくれるが、俺はただガクガクと頷くことしか出来ない。運動神経抜群の狩谷さんに対し、運動が苦手で体力もない俺は口もきけないほど息が苦しかった。
「待って、今お茶―」と狩谷さんが言いかけて止まる。「そうか、荷物落した…。」
「俺が、拾った。」
「え!?ホントに?」
「それで、狩谷さんが追われてるの、気付いたから…。」
どうにか話せる程度には呼吸が落ち着いて来た。だが、何から話したものだろう…。
「あ、足怪我してる。」狩谷さんがハンカチで傷口を縛ってくれた。「あのバカ従兄弟。次来たら絶対落っことす!」
「従兄弟。」
「あ、はとこか?んー分かんない。」
「…とにかく、人影は、狩谷さんの、親戚なんだ?」
「うん。お父さんの一族…鷹野家の人。私もお父さんも何度もストーカーに遭ってて。迷惑だよ。」
ストーカーに遭って何でそんな平然としてられるの!?
「もう慣れちゃった。」
「慣れた!?」
「友達も襲われたのは初めてだけど。本当にごめんね。」
狩谷さんは申し訳なさそうな声で俺に頭を下げた。「もっと上手く飛べたら、一人残らず撃退出来るんだけどな…。」
「いやいや、まず逃げよう?」
どうして狩谷さんは戦う気満々なんだ?相手は凶器を持っていたのに!自転車に突き刺さった苦無を見たよね?あれが自分めがけて飛んでくるんだよ?三十六計逃げるにしかずだ!
「おおー、恰好いい言葉だね!」狩谷さんは拍手する。いやそのリアクションおかしい。
「引っ越しとかホテル暮らしとか、色んな手を使って逃げてきたけど、あいつらは追ってくるの。絶対諦めない。だから、攻勢に出て、相手の士気をくじかないと。」
「まさか、ここに転校してきたのも、あの人達から逃げるため?」
「うん。友達にも転校先は言わないし、あちこちのホテルを転々としてから次の引っ越し先に行くようにするし。車もレンタカーにして、ナンバーを覚えられないようにして。」
そこまで徹底しているのか。そしてそれでも執拗に親戚は追いかけてくるのか。
「なんでそんなに追われるの?」
「それは…」と言いかけた狩谷さんがはっとした顔になる。何、まさかまた追手?!
「違う違う!お財布、置いて来た!」
「財布?ああ、自転車も荷物も放り出して逃げて来たもんな…。」
「探さなきゃ!行こうハシビロ君!」
言うが早いか狩谷さんは俺の手を引っ張って立ち上がらせ、そのままスーパーの出口へダッシュ!だが、外に出て走りだす狩谷さんを見た俺は慌てて追いついて、ようやく止まってもらえた。
「あ、ごめん。まだしんどい?」
「違う!あのね、逃げてきた方はこっちだから!」
日が傾いて暗くなると、通りの雰囲気は随分変わる。国道沿いも、一本道を奥に入れば街灯がぐっと減る。慣れていない人が入りこめば今自分がどこにいるか分からなくなるだろう。まして狩谷さんなら…。
「俺案内するから、ね?ついて来て。」
というわけで、うろ覚えな記憶を頼りに自転車を放置した場所を探す。本当に合っているのかと不安を抱えながらぐるぐる歩くのはしんどかったが、どうにか見つける事が出来た。幸い、何も盗られていなかった。
「はー良かった!」狩谷さんも笑顔で自分の鞄を拾い上げる。
「あの、それで、何で追われてるの?」
「うーん。」狩谷さんは少し悩んでから、ぽんと手を打った。「待って。コメダ行こ!立ち話もなんだし。」
絶対お腹空いただけだろーー!
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