第5話 演劇女子と魔法の言葉
「橋本君、あと田口君っていますか。」
突然名前を呼ばれた俺達は振り向いた。クラスのドアの前に立っている女子を見て、俺は目を見張った。
「えっ宮川?」
宮川志保は、俺が喋る事が出来る数少ない女子だ。家が近所で、小中学校も同じ。元々は宮川のお兄さんによく遊んでもらっていて、そこから宮川とも話すようになった。ショートの黒髪に銀縁のメガネで、つり上がった目つき。さらに淡々とした口調とハスキーな声から、いつも怒っていると思われがちだ。
「ごめんなさい。急に呼び出しまして。」
だが実際は礼儀正しく真面目な優等生タイプだ。ある一点を除けばサバサバしているので、俺としては話しやすい相手だ。
「いいっていいって!どうしたよ?」
田口がにっと笑った。田口も宮川とは顔見知りだ。宮川が部長を務める演劇部はサッカー部の練習場の近くで発声練習をしていて、話す機会も多いらしい。ちなみに、なぜ二年生の宮川が部長かと言えば、演劇部に三年生がいないからだそうだ。
「ハッシー達に聞きたい事があったものですから。」宮川は昔から俺を「ハッシー」と呼ぶ。「狩谷さんの事で。」
「え?宮川って狩谷さんと知り合い?」
俺が聞き返すと、田口が目を丸くした。
「知らねえの?狩谷さんも演劇部だよ。」
「あ、そうなのか。」
「ええ。狩谷さんは、演劇初心者だそうですが、演技がかなり上手です。」
宮川から情報が補足された。「で、その狩谷さんの事でちょっと気になる事があったのですが…。」
宮川はどこか言いづらそうにしている。本人に聞きづらい事なんだろうか。それにしてもなぜ俺達に聞くのかは分からないけど。
「いえ、ここは単刀直入に聞きます。…狩谷さんは、空を飛べるんですか?」
俺は卒倒しそうになった。何で宮川がそれを知ってるんだ?昨日田口と内密にしようと言ったそばからこれだ。まさかと横を見たら田口も俺同様、卒倒寸前だ。
「荒唐無稽だと思ったでしょう。」
俺達が黙りこくったのを見て宮川は謝った。呆れられていると思ったのかもしれない。
「私自身、おかしな事言ってるとは思います。ただ、昨日二人が狩谷さんと河川敷にいるのを見かけたので…。」
「え。」やっと俺は声が出せた。「み、宮川も河川敷にいたの?」
「自主練です。昨日は部室が使えないので、外で発声練習をしていました。」
「ああ、ミュージカル部と部室兼用だもんな。」田口が納得した様に言った。
この学校は部活動や同好会が非常に多い。好きなものへの熱意やこだわりが強い、いい意味でマニア気質な生徒が多いからだろう。新しい部も毎年のように生まれている。おかげで教室が足りなくなり、全ての部活が他の部と部室を兼用で使っている。ちなみに俺は文芸部だが、部室のコンピュータ室はプログラミング部と映画研究会とで兼用だ。
「そう。それで、発声をしてる最中に二人の叫び声が聞こえて、声のする方を見たら狩谷さんらしき人影が落ちてくるところで…。」
つまり、あの練習を見られたって事か。
「声をかけようと思ったのですが、目の前で起こった事が信じられなくて…。」
「そりゃそうだ。」と田口。「俺だって初めびっくりして固まったしな。橋本から説明された時も信じられなかったし。」
「説明?」
宮川がメガネのつるを触った。気になる事があったり質問しようとするときにメガネを触るのは宮川の癖だった。昔から納得いかない事や疑問に思ったことはとことん追及しないと気が済まない性格なのだ。…まあ、そんな宮川が追及を忘れてしまうくらい、やっぱり人が飛んでいるって光景はショッキングだったんだなあと一人しみじみ思った。
「ハッシー。何か知ってるんですか?」
「…え?ああ、えーっと」
俺は田口にしたのと同じ説明を宮川にも話した。その上で、田口が昨日撮った狩谷さんが飛ぶ映像を見せてあげた。勿論、周りの皆には見えないように。
「見間違いじゃなかった…。」
見終わった宮川が息を呑んだ。「ありがとうございます。ああ、すっきりしました。」
「言っても信じてもらえねーだろし、とりあえず内緒にするかって橋本と話してたんだ。」
「前は教室の窓から飛ぼうとしてたんだ。危なっかしくて。」俺は思わず愚痴っぽくなる。
「今は学校ではやらないみたいだけど。」
「いえ…。実は部室で」
俺達二人は言葉を失った。宮川が続ける。
「…演劇部の部室は知ってますよね?」
「『鳥かご』だろ?教務棟と特別棟の間にある。」と俺は答える。正式名じゃないんだけど、鳥かごのような形をした別棟だからそう呼んでいる。一階は茶道部などが使う和室と給湯室、二階は自習室、そして三階のドーム状になった部分が演劇部の部室のはず。
「そうです。その三階の窓に、足をかけて身を乗り出していたのを、後輩が見かけまして。」
「……。」
「教室と違って、あそこの窓は小さいんですよ。かなり屈まないと通れないあの窓に、身をよじって外に出ようとする狩谷さんを、慌てて引っ張り戻して…。」
「その時、狩谷さん何て?」
分かってはいたが、俺は一応聞く。
「『大丈夫、私飛べるから!』って…。」
全く…。こうなれば、宮川にもあの魔法の言葉を教えるしかないな。俺からも狩谷さんに注意しておこう。
後日、宮川からお礼を言われた。やはり「校則」という言葉は強い。
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