第4話 何も知らない男子と練習の河川敷
うちのクラスに入ってすぐ、狩谷さんは人気者になった。モデルみたいな美女で天真爛漫、運動神経抜群の狩谷さんはなるべくして人気者になったという感じがする。狩谷さんの周りには常に陽キャが集まるようになり、コミュ障陰キャの俺は居心地が悪いので田口の席に避難する事が増えた。
「まだいるみたいだな、お前がカツアゲしてるって思ってるやつ。」
田口が心配そうに俺にそう言った。「お前も訂正しないから広まってるんじゃね?」
「元々無口な俺がべらべら喋ったらかえって怪しいよ。」
それに、俺は口下手だ。ここはだんまりを決め込み、時が経つのを待つ方が楽だし確実。人の噂も七十五日だ。幸い…と言うべきなのか、この学校の生徒は人づきあいが「あっさり」している。他人に必要以上に干渉しないのだ。だから、団結力はやや緩いけど、その代わり集団で誰かをイジメる事も無い。
「他人にそこまで興味が無いじゃん、皆。だから、そのうち消えるよ。俺のカツアゲ疑惑も。」
「うーん。」
「ハシビロ君―!」
いきなり名前を呼ばれて、俺はちょっと驚いて振り返った。
「今日、放課後空いてる?」
「え?まあ部活は無いけど…。」
「良かった!」狩谷さんがぱっと笑顔になる。「あの、ちょっと付き合って欲しいんだ。」
「え!?」
声を上げたのは俺ではなく田口。「は、橋本、お前まさかもう―」
「……?いやいや何考えてる田口誤解だぞ田口!」
俺が強く否定するほど、田口の目は見開かれ「そうか、そうなのか…。」とうわごとのように繰り返した。あれ、クラスの視線も集まってる気がする…。
「いや、付き合うってそういう意味じゃねえから!」
俺は大声でそう言った。かえって怪しかった。
「おおー!いい立地だね!」
河川敷をぐるりと見回した狩谷さんが上機嫌な声で言う。俺が連れてきたのは、学校から駅とは逆方向に二十分ほど歩いた河川敷。グラウンドゴルフ場や遊具が整備されたエリアと、ただ広い芝生と小さな休憩場があるだけのエリアとがある。狩谷さんの目的は芝生のエリアらしい。
「昨日一人で来ようとしたんだけど、道に迷って来れなかったんだー。」
「ああだから付き合ってって…。」
やっぱり方向音痴なんじゃないかな。言わないけど。
「河川敷下りるの初めてだなあ。走り込みで通ることはあるけど。」
独り言を言っているのは田口。「田口君も来る?」と狩谷さんに誘われて、ホイホイついて来てしまった。本人は「橋本に新たな疑惑が付かないように俺が見張る。」とか言ってたけど、変な誤解をしたのはお前だぞ。
「二人ともありがと!お礼に今度は―そう、ナゲットおごるね!」
またおごってもらう約束が増えてしまった。河川敷まで案内して先に帰ろうかとも思ったけど、狩谷さんを置いていくのは危険だ。ちゃんとおうちに帰るまで見守ろう…。
「ところで」田口が狩谷さんの方を見る。「ここで何するんだ?」
「練習だよ!空を飛ぶ練習!」
高らかに宣言する狩谷さん、きょとんとしている田口。そして青ざめる俺。
「ちょ、ちょ!田口の前でそれ言うの止め!」
「なんでー?」
なんでって、と抗議しようとして気づく。初めて学校に飛んだ時も、俺が止めるまで普通に人目に付く場所に着地しようとしたし、今でもしょっちゅう購買に飛んで行こうとする人だ。見られたら騒ぎになるとか、周りがへんな目で見るとか全く気にしないのだろう。
「な、なあ橋本。飛ぶって?」
置いてけぼりになっていた田口が俺の肩を叩く。こうなったら、白状するしかない。
「あのな田口。眉に唾しっかりつけて聞いてくれ。」
「うん?」
俺は狩谷さんが転校してきた初日に自分の身に起こった事を説明した。話し終えた後、田口は口を開けたまましばらく固まっていた。まあ、信じられるわけないよなあ…。
「実際に見てもらえば分かるよ!」
元凶は既にスカートの下にジャージを履いて準備体操をしている。「まあ、地べたから飛ぶのは苦手なんだけどね!」
そういえば、空に連れ去られた時はいつも高い建物に一旦上ってから滑空してたな。
「だから、どこからでも飛べるように練習するの。」
準備体操を終え、狩谷さんが手をピンと真横に伸ばす。
「え、飛ぶってマジなの?」
半信半疑、というか九割疑ってる田口の声。俺はとりあえず見ていようと小声で答えた。
狩谷さんが手を広げたまま走りだす。加速するごとに、脇で見ている俺達の方にまで風が吹いて来た。
「ふっ!」
狩谷さんが地面を思いきり蹴った。砂ぼこりが巻き上がり、芝生が揺れる。ピンと伸びた足が地面から数センチ、数十センチ離れ宙に浮いていく。狩谷さんが腕を上下させるほど、体が前進しながら浮き上がる。
「すっげえホントに飛んでる!」
と、田口が興奮した声を上げた。そうしている間にも狩谷さんはぐんぐん上昇。橋の欄干をゆうに超え、さらに前へ上へと飛ぶ。が、
「んにゃああ!」
と悲鳴を上げながら狩谷さんの体が大きく傾いて、頭が真下をむいた。あ、危ない!と思った時には、既に狩谷さんは重力のままに落ちはじめ、ぼす!と音を立てて頭から土手に墜落した。
「え…ええええええーーーー!?」
目の前で起きた事が理解できず、俺達は一瞬フリーズ。狩谷さんが全く声も上げず起き上がりもしないので、ようやく俺達は我に返った。
「ははは橋本、きゅきゅしゃ!」
「え、あえと、110?119?」
あわあわしながら俺達が駆け寄ったところで、ガバっと狩谷さんが起き上がった。目を見開いたまま、こちらを向く。
「か、狩谷さん…。」俺はおずおずと声をかけた。「大丈夫?立てる?」
「……駄目だあ~~~っ!」
「泣いたーーー!?」
狩谷さんはすぐ突っ伏しておいおい泣き出した。泣くほどどこか痛いのか、と俺達が再び慌てだすと
「あ…怪我は、無いの。へいき…」
全然平気じゃない声で答えた。見た目には顔の擦り傷以外怪我は無いけど、全身を強く打ったはずだ。一応病院に行った方がいい気がする。でも、狩谷さんは平気だと言い張り、すっく、と何事も無かったように立ち上がった。
「あの高さでよく無事だったなあ…。」
田口がホッとしたように言うが、狩谷さんは首を横に振る。
「大した高さじゃなかったでしょ?ジャンプの範囲内だよ。」
滞空時間約三分、飛距離二十メートル。これをジャンプと呼ぶなら走り幅跳びの概念が変わってしまう。
「あれはフライだぜ、ジャンプじゃなく。道具も何にもないのに、どうやってるんだ?」
俺がまさに聞きたいと思っていた事を田口が先に口に出した。
「う~ん…。しいて言えば、遺伝であり忍術?」
「遺伝?」と田口が言い、
「忍術?」俺が言った。
「私のお父さんの一族は、体一つで宙に浮く能力が遺伝するんだって。全員じゃないけどね。」
それって、一族全員超能力者みたいなこと!?
「で、その能力を生かして自由に飛んだり飛んだまま戦ったりする忍法を先祖代々伝授してるんだ。」
「忍法って事は、狩谷さんの家は忍者なの?」
「違うよ!」
俺の問いに笑って答える狩谷さん。「忍者なのは、お父さんの実家。私達は家を出てるから。」
忍者の家って実在するんだ…。まあ戦国武将の子孫とかと同じと思えばなくも無い…?
「でも、」田口が首をひねる。「浮くだけじゃなくて飛べるのは、父ちゃんとか親戚に伝授されたからじゃ―」
「あ、お父さんは教えてくれない。」
狩谷さんはブンブン手を振った。そういえば初めて空に連れ去られた時も言ってたような。
「私が飛ぶのも凄く嫌がるの。目立つし怪しまれるだけで利益が無いからって。」
お父さんは飛ぶ事の重大さを分かっているっぽい。間違っても自転車と同じノリでは考えて無さそうだ。狩谷さんと違って。
「だから練習は内緒、独学でやってる。」
「へえー。一人でやって飛べるってすげえな。」
田口が大層感心したように言うので、狩谷さんがちょっと得意げになる。が、すぐに泣きそうな顔に戻った。
「でも、ビルから飛んだ時より上手くいかないんだよねえ…。浮くだけで飛べてはいないっていうかー。で、今みたいにバランス崩して落ちちゃう。」
「せめて安全に着地出来るようにしたいね。」
俺は切にそう思った。さっきみたいに頭から落ちては、打ちどころによっては命の危険もある。
「頭は駄目だよな。」と田口も言う。「せめてお尻からとか。」
「でも、初めて狩谷さんと飛んだ日、着地した時にお尻をすっごいぶった。」
「え!?そうだった?」
あの時は体をVの字みたいにしてお尻に重心をかけて落下する感じだった。頭は無事だったけど、スピードをあまり緩めず地面にお尻が激突したからかなり痛かった。家でお風呂に入ったらあざが出来てたし。
「おおう…。ごめんねハシビロ君。」
「いや、いいよ。あの時はお互い急いでたしね。」
ますます泣きそうな顔になる狩谷さんを見た俺はいたたまれなくて、柄にもなくフォローする。
「だから、俺は足から行くのが良いと思う。飛び方見てると走り幅跳びみたいだから、着地もそのイメージで。」
「なるほどー。ちょっとやってみる!」
狩谷さんは先ほど飛び立った地点に戻り、再び両手を広げた。田口が横でスマホを取り出す。
「何してんだ田口?」
「いや、撮っとこうと思って。大丈夫、見せないから。」
俺の顔に書いてあったのか、田口が先に答えた。「フォーム見直し用だよ。」
「いよっし、いっくぞー!」
狩谷さんが再び走り出し、地面を蹴った。ふわっと体が宙に浮くと同時に、狩谷さんの両手が空を漕ぐ。徐々に体は上へ前へと進む。ここまではいい感じだ。
「そろそろさっき落ちた辺りだな。」
田口がそう言ったとき、案の定狩谷さんの姿勢が歪み始め、高度も下がって来た。必死に飛び続けようと両手を動かすが、持ち直すどころかますます体勢が崩れる。
「駄目だ狩谷さん!」俺は叫んだ。「もう着地姿勢に入って!」
「足伸ばせ!頭下げるな!」田口も叫びながら落ちていく狩谷さんを全速力で追う。狩谷さんは二十メートルほど先に消え、じゃじゃあ!と地面を擦る音がした。息を切らしてそこに着くと、今度は仰向けで大の字になっている狩谷さんがいた。
「……。」
放心状態なんだろうか。狩谷さんはマネキンみたいな顔で真上を見つめたまま、口をぽかんと開けて動かない。もしや、着地の時にどこか打っただろうか。田口と俺の頭に、最悪のケースがよぎる。
「か、狩谷さん?」
「……た。」
「へ?」
「やったよぉおおおおお!」
いきなり起き上がって俺の肩をぐわしっと掴む。俺は痛みのあまりぎゃああーと叫び、田口がそれを見て真っ蒼になっている。
「着地してもどこも痛くないよ!しりもちはお尻がじんじんするし、顔の時は擦りむいてヒリヒリするし…。でも今日は!どこも!痛くない!」
「ソ、ソウデスカ。ヨカッタ、デス…。」
「橋本ぉ!しっかりしろー!」
田口が俺の肩をさすってくれた。狩谷さんは顔から落ちなくて済んだようだし、怪我も無さそうだ。俺の肩の方が重傷では。
「ありがと!今日は大きな一歩を踏み出せたよ!」
狩谷さんは喜びが溢れて止まらないのか、トイプードルみたいに辺りをぴょんぴょん跳ねまわって何度もターンして、芝生に寝転がった。そして、大きな口を開けて笑っていた。
「お、やべえ。もう六時過ぎだぞ。」
田口がはっとした顔でスマホを見た。田口の通学はハードだ。まず自転車で駅に行き、電車を降りたら一分でバスに乗り換え。逃したら次は一時間後だ。そのバスに四十分揺られて、やっと家に着く。
「わっ、そうなの!?ゴメンね急がなきゃ。」
狩谷さんは慌てて立ち上がり、鞄を手に取った。俺達も自転車に自分の荷物を載せる。狩谷さんだけは自転車が無い。いつものごとく飛行通学だ。でも、地べたから飛ぶのはまだ危ないから、一度高い建物を探さなくては。
「学校戻るのが一番近いし高いぞ。」
俺が考えるより先に田口が言った。
「ねえ、学校ってあっち?」
狩谷さんは真逆を指さしている。…俺達は狩谷さんを学校までちゃんと送り届けてから、猛ダッシュで駅に走った。
「飛行術の事は内緒で。」
帰りの電車の中で俺がそう言うと、田口は苦笑いしながら頷いた。
「確かにあれは話しても信じられねーわ。分かった、内緒な。」
「ありがとう。」
「飛べるようになったら、俺も空に連れてってもらいてーな。」
怖いし危ないよと言ってから、俺は狩谷さんと見た、あの田畑と空を思い出した。空からしか見えない光景、狩谷さんしか見えない光景を、俺はあの時見せてもらった。勿論墜落するかもしれないから田口にお薦めするわけにはいかないけど、あれを他の人にも見て欲しいという狩谷さんの気持ちが、少し分かる気がした。
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