第3話 話聞かない系女子と錦の風景


昼休みの後も気が抜けなかった。全く、授業の合間にあるたった十五分の休み時間すら飛ぼうとするんだから気が気じゃない。

「コンビニってどっち?」

「とりあえず玄関に行って靴履こうね。」

 そして放課後、約束通りコンビニに行くことになったのだが、またしても窓から直接行こうとする。困ったものだ。

「いつも飛ぶときは裸足だから、つい忘れた。」

狩谷さんは恥ずかしそうに笑った。今日は俺をマフラーで固定したけど、普通は足で肩を掴んで運ぶらしい。猛禽類が獲物を運ぶときの方法じゃん。

「あ!ついたね!」

二人で十分ほど歩くとコンビニに到着。狩谷さんは意気揚々と入ったが、カツサンドは残念ながら売り切れ。どうしてもおごるという狩谷さんもすごいけど、ここまで手に入らないという状況も凄い。ある意味持ってるのかな。

「ごめんねハシビロ君…。」

 顔のパーツ一つ一つが全力で笑顔を作る狩谷さんが消沈するとすごい落差だ。この世の終わりみたいな悲しみ方してる。見ているこっちまで悲しくなってきた。

「いいって。狩谷さんだって盗ったのはわざとじゃないんだし…。」

 俺がそう慰めても、狩谷さんの周りは空気が重くどよんとしている。俺はたまらず話題を変えた。

「それより、狩谷さん帰り遅くならない?」

「ん?」

「ほら、電車通学とかだったら時間を気にしてないと。」

「ああ、私市内だから。駅の南側だもん。ハシビロ君は?」

「電車。一駅だけど。」

「あ、という事は!」狩谷さんがはっとした顔になった。「駅まで歩きになっちゃんだ、ごめんね!」

「い、いやいいよ…。遅刻はせずに済んだから。ありがとう。」

 思えば俺はただ狩谷さんにぶら下がってただけだから、全く疲れず登校出来たし、時間も結構余裕があった。心には無かったけど。

「今さらだけど、狩谷さんは疲れなかった?俺ガタイがいい方じゃないけど、重かったんじゃないか?」

「いいの!これも上手に飛ぶ練習だと思えば!」

 練習…?え、飛ぶのは完璧じゃなかったの?今朝の墜落は今日だけ失敗したとかじゃなく、技術不足だったって事?

「え、じゃあ俺が飛んだのってかなり危―」

「大丈夫大丈夫!」明らかに慌てた様子で手をブンブン振る狩谷さん。「さて、カツサンドも無かった事だし、このまま一緒に帰ろ!」

 俺の返事は聞かず、俺の手を引っ張る狩谷さん。ま、待って、そっち駅と逆方向!

「あれ?そうだっけ。」

「狩谷さん、もしかして方向音痴?」

「そ、そんな事ないもん!」

 頬を膨らませて抗議する狩谷さん。うん、図星っぽいな。

「引っ越してきたばかりだからだもん!高い所から見れば分ーかーるー!」

 幼児退行した怒り方のまま、俺をぐいぐい引っ張っていった先にあったのは、三階建ての学習塾。建物の側面にくっついている螺旋階段を上り、一番上の屋上へ。

「あ!見えた、あっちね。」

「ちょい待った!まさか飛ぶんじゃないよな!?」

「え?」

 勿論飛びますよって顔でこっち見るな!

「だって、私のせいで自転車が今日は無いんでしょ。だったら送って行くよ。」

「車の送迎と同じノリで言うな!」

「大丈夫!風向き良いし、十分で着くよ。」

「俺落っこちるリスクがあるんだろ!?」

「大丈夫!今までお米とか水の入ったペットボトルで練習したもん!七十キロまでなら大丈夫!」

 男子の中では俺は小柄な方だ。体重も七十は無い。今日ほど自分がチビで良かったと思った日は無い―待て、これ体重オーバーしてたら断れたんじゃないか。あああなんで俺は背が伸びなかったんだ畜生!

「さーあ!テイクオォーーーフ!」

「まだ心の準備ぃいいいいいい!」

 体がぐうううっと地球に引っ張られ、その後風にぐいいいと持ち上げられる。服ははためき、顔に五月の強くも心地の良い風が吹きつける。高所恐怖症にとって高い場所から下を見るほど怖いものはないのだが、体を水平にして飛ぶ狩谷さんの足に括られている俺は朝と同じ理由で下を向かざるを得ない。

「……。」

 怖いのなら、目を閉じれば良かった。しかし、俺は目を閉じる事も忘れて、ぼう然と眼下の光景に見とれた。カツサンドが無かったコンビニ、そこから伸びる細い道路を、窮屈そうに路線バスと学生の自転車が通って行くのが見えた。と思ったら突然眼下に広い道路。通学路と交わっている国道だ。ここから南、つまり駅方面は最近開発が進んで新しい店がどんどん出来ている。渋滞でいくつも連なる色とりどりの車をしり目に、俺達は国道のはるか上空を横断。さらに高度が増し、風にお腹を抱えられたように、俺の体は地面と水平になってますます体重を感じなくなる。眼下の人や物は小さく、光景は広くなる。街路樹の緑、整備された歩道のテラコッタ、中学校の白、製薬会社ビルの銀。ごちゃごちゃと色んな色が入り混じる駅付近。少し顔をずらすと、規則正しく区分けされた青い田んぼと畑の茶色が目に飛び込む。まるでパッチワークみたいで綺麗だ。―そう思った自分にちょっと驚いた。

「やっぱり空飛ぶと、田んぼや畑の方が綺麗だよね!」

「えっ?」

 声が上ずってしまった。狩谷さんの進路が段々と田畑に寄っていく。

「だってさ、きっちり四角で区切ってて、所々色が違ったりしてて。何か織物っぽくない?パッチワーク?っていうのかな。時期によっても違うし。秋だったらぜーんぶ金で!紅葉みたいな感じで、見てて楽しいんだよねー!」

「……ふうん。」

「それにね、ハシビロ君、前見て!」

「?」

 狩谷さんに言われた通り、頭をちょっと前に向ける。そこには

「下が畑で緑色の方が、上の空に似合うでしょ!」

 緑、茶色の絨毯の上にやや傾き始めた太陽。その周りは深い赤、朱。それが浅葱色の空と混ざってマーブル模様になっている。だが、少し上をむけば、そこにはまだ青が、そして藍が広がり、徐々に黒に近づいている。

「この時間の空、好きなんだー。」

 俺が口を開けたまま何も言えずにいるのを知ってか知らずか、狩谷さんが楽しそうな声で言った。

「今までもね、何人かの友達と空飛んだことがあるんだけど」

え、あるの?しかも複数?やっぱりこの人、飛ぶって事の特別さが全く分かってない。友達とサイクリングするノリで空に連れまわしてるんだ。

「でも、みんな目をつぶっちゃう。だから私がさ、綺麗とか言っても反応なくて。」

「それは…気絶してるんじゃないか?」

「ハシビロ君は気絶してないね!こうして話も出来るし。」

 俺だって初めての時は死を覚悟したよ。よく考えたら、気絶しなかった自分偉いと思う。今だってちゃんと目を開いている。まあ、それは俺の肝がすわっているからではなく、同級生の足にくっついて、こんな高さを飛んでるっていう非現実的状況を、俺の脳が処理できずショートしてるのが原因だと思うが。

「へへへ~。この光景、誰かとシェアしたかったんだー。」

 狩谷さんがちょっと気の緩んだ声を出す。楽しい、とか、嬉しいって気持ちがダダ洩れだ。表情を見なくても、今日知り合ったばかりの俺でも、声だけで気持ちが分かるくらい、この人は感情が表に出やすいらしい。

「高所恐怖症じゃない友達はいなかったのか?」

「んー……。二回飛んだのはハシビロ君が初めてだよ。皆一回飛んだらもう満足って。」

 それは満足ではなく、もうこりごり、という事だろう。俺だって自分の意思で飛んでるわけじゃないからね?狩谷さん分かってる?

「でもここは今まで飛んだ中でもなかなかかな!飛びやすい高い建物も、ひたすら田んぼと畑ってエリアも両方あるもん!」

「地上から見たら、何の面白味もない、何もない田舎の典型だけどね。」

「空からみたら、視界を遮るものの無い、絶景ポイントだよ。」

ここは国道からも市街地からも離れているから、田畑の他はせいぜい民家がぽつ、ぽつとあるレベル。展望台もビルもありはしない。狩谷さんの言う通り、確かに上から見ればいい風景かもしれない。しかし、田畑のタペストリーも、それと空が織りなすコントラストも、狩谷さんしか見れない。そういう意味では、ある意味では

「特等席だ。」

「ふえ?」

 しまった、思わず声に出た。

「何々!?ハシビロ君今なんて!?」

「待って待って揺れるな落ちる!今朝みたいにバランス崩すー!」

 だが、狩谷さんの体はふるふると震えている。気のせいか、高度も下がってる。俺は血の気がすうううーと引くのを感じた。ここで言葉を濁すのは危険だ、命に関わる!

「いや、これを見れるのは、空飛べる狩谷さんだけだろ。だから、特等席だなあって。」

「…………。」

 揺れは、止んだ。高度も安定している。だが、狩谷さんの返事がない。あれ、気分悪くなったかな。

「なーるーほーどー!そういう考えもあるか!」

「うわあああ!?」

 狩谷さんの体が上下に大きく揺れたので、俺は情けなく悲鳴を上げた。

「特等席かあ!それいいたとえ!私だけの席かあ…。はー!そう言われると、独り占めも悪くない気はするなあー。」

「…気に入っていただけてヨカッタデス。」

死んだ心地がした俺は、そう音声を返すのがやっとだった。

 他方、心底感動してくれたのか、その後も狩谷さんは特等席、特等席と繰り返した。俺はまだ心臓がバクバクして息がしんどい。また狩谷さんが感情を高ぶらせて体勢をずらしたりしないかと正直びくびくしていた。

「と、さすがにそろそろ下りないと!」

 狩谷さんは進路を変え、再び商業施設が並ぶ国道上空に戻ってきた。そして南下して駅前のショッピングモールの屋上、駐車場の一角に着地した。幸い誰にも見られずに済んだ。

「じゃあここでお別れだね!」

「あ、ありがとう。送ってもらって。」

「いいよ!コンビニに付き合ってもらったし、そもそも自転車無いのは私のせいだしね!」

「いや、その…気にしないで、いいから。本当、カツサンドも別に」

「ううん、ちゃんとおごるよ。」

 律儀だなあ。色々ネジが飛んでいるけど、こういう所はしっかりしている。

「じゃーまた明日ね!あ、そうそう」

 駐車場のへりに足をかけた狩谷さんが一旦下りて俺の方に来た。赤銅色の目がらんらんと光る。

「特等席っていうの気に入った!でも、独り占めはやっぱ勿体ないかな。だからハシビロ君、また飛ぼうね。今度は田口君も連れてこよう!」

 狩谷さんはべしべしと俺の肩を叩き、「じゃあ今度こそまた明日ね!」と駐車場のへりをとん、と蹴って宙に飛び出した。一瞬体が下に向いたのでどきっとしたが、すぐに狩谷さんの体が水平になり、あっという間に駅の向こう側へ消えた。

「……。」

 まだ、足がふわふわする。頭はさっきの、あの光景を何度も再生して、思考は停止していた。夕陽を見てたそがれるほど、俺はロマンチストではない。それでも。それでも、素直に綺麗だと思った。あの光景を見た瞬間、自分の中が一度空っぽになった感覚がした。空を飛んでて怖いとか、狩谷さんは何考えているんだとか、無事に帰れるかとか、とにかくぐるぐる色んな考えが混ざって散らかった頭の中を、丸洗いされて、まっさらにされ、再度あの風景で脳内全部を満たされた。

 あれを毎日見ながら狩谷さんは帰っているのか。きっと登校するときも、また違う顔をしているを見ているのだ。誰も座れない特等席で。本人は、誰かをその席に呼びたいみたいだけど。

「……ん?」

 待てよ。最後、「また飛ぼう」とか言ってなかったか!?しかも今度は田口も巻き込むような事言ってなかったか!?「一緒に帰ろう」なんて言われたら、田口は何も知らず行くに決まってる。ふわふわしていた足から、血の気がスッと引いた。まずい、まずいぞ。俺ばかりでなく友人の命まで危険にさらされる!

「だー!面倒くさいのと知り合いになった!」

 脳内に思考が巡りだしたが、空を見る前よりさらに取っ散らかり、片付きそうにない。しばらく駐車場をぐるぐる歩き回り、ふと電車の時刻が迫っていることに気づいた俺は、慌てて駅に走った。

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