生存者 十四
射手の男――銃を手放した今は強襲者か――は苦悶の声をあげて屈みこんだ。痛みか衝撃か、それとも認識プログラムの障害か。理由はどうあれ、そこには再び大きな隙が生じていた。
だがジャッカルは慌てて攻めることはしなかった。彼の内臓式刃物では、たとえ傷を負わせることはできても致命傷まで与えるのは困難だ。なにせ相手は金属と硬質樹脂からなるだろう骨格を備えた、一種のサイボーグなのである。挙動や反応から察するに、意識それ自体は人間そのものなのだろうが、肉体のほうはどのていどまで生身なのかはっきりしない。ナイフで始末するには手に余る相手だ。
ゆえにジャッカルは、急ぎライフルを拾い上げた。とどめを刺すには断然こちらのほうが都合がいいからだ。しかしそうする際、一時とはいえ相手に背を向けたのは悪手であった。こうした緊迫した状況にあっては、僅かな油断が命取りになる。そのことを自ら体現するかのように、ジャッカルの身体が宙を舞った。相手の男に投げ飛ばされたのだ。
最前の銃創に続きさらなるダメージを負ったジャッカルの身体を、敵は手加減なく壁に叩きつけた。続いて、配車がプレスされたかのような音が束の間に過ぎ去ると、むっとするような血の匂いが鼻を衝いた。鼻腔に張り付くような人工血液の匂い。その粘度をもった不快な臭気は、ジャッカルのすぐ右方を発生源とするものであった。
敵は目を失った。しかしどうやら、標的を感知する機能までは喪失しなかったらしい。その機能を最大限に活用して、男は自分自身の仇を討った。憎むべき反逆者の凶刃を、彼の右腕ごともぎ取ったのだ。
ジャッカルに痛覚は残されていないが、それでもこの損傷は痛烈であった。己自身の力不足というものを、まざまざと見せつけられた思いだった。
だが現状、動揺している暇はない。壁に背を付けた格好で荒々しく呼吸を乱しながらも、ジャッカルはどうにか相手のみぞおちに膝頭をめり込ませた。同様の膝蹴りが四つ重ねられたあと、ようやく両者間の距離が開いた。
身体の自由こそ取り戻しはしたものの、危機を脱したとは言い難い。右腕の喪失は想定以上の影響をジャッカルにもたらした。左右の重量バランスが崩れたせいで、平衡感覚と姿勢制御間の整合性が損なわれたのだ。重心が掴めず、異常なほどに胴部が重い。あまりに多くの血液を失ったがために各部機関の稼働率が低下しているのかもしれない。どうあれ、派手な格闘戦を繰り広げるには出力が足りず、また高精度の射撃管制システムも、その機能を充分に発揮することはできなくなっていた。
それらの不具合を訴えるためなのだろう、やかましいばかりの警告音がジャッカルの脳天に響き渡った。アラートはすぐに停止させたが、視界の内側で弾ける火花と喉の奥から込み上げる熱気は、変わらず彼を脅かし続けた。
そして脅威という意味では当然、敵の存在も忘れてはならない。巨岩の如く堅く身構える男。ジャッカルは対峙するまで気にしていなかったが、相手の図体はかなりのものだ。もしも再び捕まるようなことにでもなれば、引き千切られるのは腕ではなく首になるだろう。でなければ、腹をばらばらに引き裂かれたのち、胴体から真っ二つに叩き折られるかだ。
いまのところ優勢は敵の側だ。されど、相手方の男はなかなか攻め込んではこなかった。やはり視界を失ったことが影響しているのだろう。むやみに突っ込むのではなく、まずはジャッカルの出方を窺ってから、着実に追い詰めようという算段なのだ。こうなると半端な仕掛け方はできない。
次の一手が勝負の分かれ目だ。下手に手間取れば、ますます敵を勢いづかせることになる。察するに、いまこの瞬間こそ「切り札」の出番である。
覚悟を決めると、ジャッカルは床を強く蹴って駆け出した。その後、彼は迷いなく、近くに転がる小銃に目標を定め最短距離で走り寄った。
何をどうしたところで、素手で敵を打倒するのは困難だ。手負いのジャッカルにとって火薬のエネルギーは必要不可欠。当然、敵方も妨害に動くだろうが、それはそれでかまわない。不用意に近付いてきたところを直接に叩き込むだけの話である。爆発的な破壊力を、直接に、だ。地を転がるようにして受身を取りながら、彼は銃把を掴みあげた。ついで片膝を突き、銃口を正面に固定する。あとはトリガーを引くのみだ。
とはいえ、その試みはすでにしくじったものである。二度目に期待をかけたところで上手くいく道理はない。結局、照準はまたしても撥ねつけられることになった。敵の男が銃身そのものを掴み取り、明後日の方向へと捻り上げたのだ。直前に放たれた弾丸に上腕の一部を吹き飛ばされながらも、その握力が衰える気配はない。男が負ったのはかすり傷に過ぎない。
対するジャッカルは、ここで押し負けては元も子もない、と銃口を下げるべく満身の力を込めた。が、やはり力負けの感は否めない。跳ね上げられた銃口は依然、天の方向を向いたままだ。
いまや敵は不敵な笑みさえ浮かべていた。どす黒い敵意の宿ったその手指が、ジャッカルの喉を掴み上げる。決着の時は近い。野良犬が首をへし折られるか、それとも、番犬が役目を終えるのか。
気道が絞まる。骨がぎりぎりと音を立てる。ジャッカルの喉にかかる負荷がいまにも限界を迎えようかというまさにその寸前。彼は行動を起こした。彼は自らの胴を激しく捻り上げると、重力に反するような軌道を描きながら、相手の腕部に蹴りを叩き込んだ。ジャッカルの首を捉えた側の腕に、だ。
烈火の如き一撃が関節を砕き、肘が青い火花を上げる。と同時に、ジャッカルは身体の自由を取り戻した。
この脱出法が通用するのも一度きりだ。なぜなら、折れたのは敵の肘だけではなかったからである。ぼこぼこと膨れ上がった膝と、力の入らぬ腿のために、ジャッカルは片足で闘うことを余儀なくされた。さきほどの蹴りは、文字どおり捨て身の一撃だった。
この時点で両者の間合いは極めて狭まっていた。肘打ちや、あるいは頭突きですら有効打となる距離感だ。
打つ、投げる、かわす、組み付く。数多くの選択肢が存在するなか、ジャッカルは一つのシンプルな手段を選び取った。すなわち、左のストレートだ。彼は、これまでの遅れを取り戻さんとばかりに、その身に唯一残された武器たる左の握り拳を敵の胸元へと叩きつけた。それは満身の力が込められた一撃だった。射出された弾丸に匹敵せんばかりの、凄まじいまでの速度とパワーが。裏を返せば、それほどまでの激しいエネルギーが、この敵を討つためには必要だったのである。
厚い胸筋を突き破り、肋骨を粉々に打ち砕く。そうするだけの威力を持った攻撃が、男の分厚い胴体に突き刺さる。直線的に打ち込まれたジャッカルの左拳は、敵の胸板深く機械式の肺にまで達していた。
ここに勝負は決した。この男はもはや助からない。
ジャッカルがそう確信するや、大きな身体がどっと音を立てて倒れた。しかしそれはくだんの親衛隊員のものではなかった。そのとき無様に床面に転がったのは、他でもないジャッカル自身の胴体だった。気付けば、彼の左腕はその肘から先を相手の身中に残したまま、見るも無残にねじ切られていた。敵の反撃によって力づくに断ち切られたのだ。
バランスを崩して倒れ込んだジャッカルとは対照に、敵方には充分な余力がある様子だった。少なくとも、己が両腕から溢れ出る血に沈むジャッカルの姿を、悠々と見下ろすていどには。
直前の一撃、決死の左ストレートは致命傷に至らなかった。その事実を証明するかのように、これまではそれこそ番犬を思わせる厳しさを刻み付けていた男の表情からは、いまや嘲り以外の感情を読み取ることができなくなっていた。自らの勝利を確信したのだ。
それも当然と言えば当然である。ジャッカルの損傷は極めて重篤な状態だ。両の腕はともに失われ、また脚部も右の一本はもはや使い物にならない。加えて、腹部にはライフル弾による貫通射創も負っている。トータルの失血量は相当な程度に及ぶ。人工筋肉にエネルギーが行き渡らないせいで、立ち上がることすらままならないような有様なのだ。
だが、それでも結果は変わらない。いまさら何が起ころうと勝敗は覆らない。なぜなら、スイッチはすでに押されていたからだ。
瞬間、男の顔から表情が消えた。そうした異変の直後、今度は表情のみならず、男の顔面自体が消し飛んだ。彼の頭頂部から腹腔まで、上半身のほとんどすべてに当たる部分が、爆音と衝撃波とに成り代わったのだ。寸前まで人体だったはずの幾百もの微細な破片が、周辺一帯に散らばる。「積載物」を失った男の下半身は両足を真っすぐに伸ばしたまま、つま先を天に向けて横たわった。
それはあまりにも唐突な絶命だった。まぎれもなく出鱈目なタイミングの出来事ではあったが、無論、理由もなくそうなったわけではない。爆発物は確かに存在した。ジャッカルの、折り取られた左腕の内部に。
形状を整えたセムテックス。いわゆる整形炸薬だ。爆発には指向性を持たせてあるものの、直接に腕の中で起爆するとなると、言わずもがなジャッカル自身も相当の被害を被ることになる。事前に用意だけはしておいたが、実戦で用いるにはあまりにリスクの高い隠し武器、いわば非常手段というものである。
彼が最後に放った左ストレートは、万が一の自爆をも考慮したまさに覚悟のうえでの行動だった。しかしそこに残された結果を見るに、左肘を折り取られたのはかえって運がよかったのかもしれない。最悪の場合には、相手との心中すらあり得ていたのだ。
可能性の気まぐれに感謝せねばなるまい。実際のところ、爆発の影響から半身を失い、地に倒れ伏したのは一方のみ。デモニアスのなかでも選りすぐりの戦士だったのであろう、一人の男のみだった。互いの心臓に凶器を、それも、赤熱した刃を突きつけ合うようなこの闘争は、いまここに幕を閉じた。ジャッカルの辛勝という結果を残して。
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