生存者 十三
このときジャッカルが抱いた胸騒ぎというのは、決して彼だけが感じるものではなかった。
「こちらゴート。奴の様子がおかしい、油断するなよジャッカル」
ゴートの声はどこまでも冷静だった。密やかで、かつ強張った感触だ。
「ああ、了解」
ジャッカルにも、ゴートの言わんとすることは想像が付いた。ケイン・マルドネスとて人の子だ。最愛の一人息子を奪われ、悲痛に沈む気持ちもわからなくもない。それこそ、自らの死に勝るほどの絶望を感じていることだろう。
とはいえそうした内面に対する推測と、現在の実情というものを考え合わせてみると、やはり違和感は禁じえない。いまのケインの姿からは、当然そこにあるはずの感情をまったくもって見て取ることができなかったのだ。つまり自らの置かれた状況に対するストレス、殊に、死に対する抵抗感というものが欠落しているようにさえ感じられたのである。
拳銃を構えた男と密室に閉じ込められる。そのうえ、相手は躊躇なく人を殺めるような狂人だ。この状況で恐怖や警戒心を抱かない者が、果たしてどれほどいるだろうか?
無論、デモニアスを率いるケインであれば、そのていどの修羅場はこれまで何度も潜り抜けてきたのかもしれない。いまの栄華というのも、そういう過去があってこその結果だろう。
ただしその繁栄というものは、銃を構えた敵の前で片時たりとも隙を見せなかったからこそ、成しえたことではないのか。たとえどんな苦境に置かれたとて、決して生存と勝利とを諦めなかったがゆえに、手にしたものではないのか。
悲劇の度合いがどうであれ、襲撃者を前に我を忘れるというような失態を、はたしてこの男が演じるだろうか? その命をみすみす相手に、それも息子の仇にくれてやるような真似を。そのような都合の良いことが起こるはずがない。
すなわち、いまジャッカルが目にし、実際に身を置いているこの状況は、彼とゴートが認識しているような状態にはないということだ。いまの現実と彼らの理想とには差異がある。ケインはいまだ追い詰められてなどいない。迫る死を警戒する必要など、現状、この男にはないのである。
その感知があと一瞬遅ければ、ジャッカルはスクラップになっていたことだろう。彼の肩口を一発の弾丸が掠めた。続けざま、強烈な射撃音を引き連れて第二、第三のライフル弾が襲いかかってくる。彼がそれらを回避することできたのは、ほとんど幸運とも言えるさきの気付きの賜物であった。理想と現実との誤差に対する気付きだ。
彼は地べたを這うほどに身を屈めながら、とにかく反撃を試みた。手中の拳銃を敵方の射手に向かって差し向ける。それからほとんど間を置くことなく、三度引き金を引いた。
敵はジャッカルの斜め前方、部屋の角でしゃがみ込んでいた。その男は、例の親衛隊のうちの一人であった。
ジャッカルは少なからず焦った。自らの射撃管制システムに、不具合が存在している可能性があったからだ。というのも、彼はすでに銃弾をくらわせたはずの相手から、不意の強襲を受けたのである。しかしそのことに気付いた次の瞬間には、彼の焦燥感は早くも疑問へと移り変わっていた。
(違う、確かに直撃させたはずだ――)
最初の不意打ちで一発。まだアレックスに化けていたときの一撃である。これは間違いなく眉間に当てた。その次に、ついさきほどの不意打ちに対する反撃だ。不安定に身を屈めた体勢からではあったが、それでも三発は確実に撃ち込んだ。胸や、あるいは腹といった、致命傷になり得る箇所にだ。防弾ベストを着用していた可能性もゼロではないが、いずれにせよそれで眉間の一発を防げるとは思えない。そうした考えが思い違いでないとすれば、どうしてあの敵はいまもまだ立っていられるのか。
その問いに正対するうち、彼はほどなく最も現実的な回答に辿り着いた。あの射手もまた、自分と同じ身体を持っているのだ、と。敵方も戦闘用の機械義肢に全身を置き換えているのだ。そう考えれば、拳銃が役に立たないのも腑に落ちる。その命を奪うつもりならそれこそ戦闘用のライフルか、爆発物でも用意しておかなければならないだろう。
ともあれ疑問は片付いた。ただし、そうなると今度は最悪の事態というものを考慮しなくてはならなくなる。部屋の内部に配置された五人の親衛隊の、その全員が、機械義肢に換装済みの生体兵器であるという事態をだ。
ぐずぐずしてはいられない。ジャッカルは差し迫った脅威たる例の射手に向かってありったけの弾丸をぶちまけた。時間稼ぎにしかならないことは重々承知していたが、いまはとにかくその時間が欲しかった。コンマ一秒でも早く、現状の敵戦力を把握する必要があったからだ。
ケインの私室の内装は比較的シンプルだ。自然、身を隠すような物陰は限られてくる。今回のような場合、それは幸不幸の両面を持っていると言えた。逃げ隠れがしにくい反面、索敵には手間がかからないからだ。ゆえにジャッカルは、ただ視線を一周させるだけで、残る四名分の死体が間違いなく血だまりに沈んだままであると確認することができた。どうやら換装が済んでいるのは一名のみであるらしい。勝機は充分にある。
ジャッカルは危険を承知のうえで敵に背を向けた。そうしてから、最も近くにある死体に向かって猛然と飛びかかった。武装を奪うためだ。死してなお堅く握り締められた手から、力任せに小銃をもぎ取る。弾はマガジン一杯に詰まっていた。相手を仕留めるのに充分な量だ。
またも姿勢を低く保ちつつジャッカルは振り向いた。正確な狙いを付ける時間は残されていない。相手方の射手はすでに、その手に握り締めたライフルの照準を、無謀な反逆者へと合わせつつあったからだ。
そのとき、部屋の角同士を結ぶ対角線上、約二十ヤードの距離を挟んで、両者の視線がぶつかり合った。直後、火花が躍った。彼らはそれぞれ、お互いの手元から発せられる閃光に飲み込まれた。同型のライフルから生まれる発火炎の煌きに。
束の間、ジャッカルは己が腹部に強烈な衝撃を感じ取った。相手の撃ち出した銃弾が、ついに彼を捉えたのだ。それまで立て続けに連射されていた弾丸は、その多くが空を切りながらも、一部は確実に効果をあげたのである。その鉛の塊はジャッカルの人工皮膚と筋肉、及び内臓機関に対し痛烈な損傷を与えていた。
それでもなお、反逆者は臆することなく引き金を引き続けた。ほとんど乱射に近い状態ではあったが、決して攻撃の手は休めなかった。たとえどれだけ有効打を与える望みが薄かろうともだ。
彼が無傷の状態であれば、あるいは様相も違っていたかもしれない。度重なる戦闘の負担と、激しさをもって向けられた敵意とが、無自覚のうちにジャッカルを追い詰めていたのだ。その事実を彼本人に突き付けるかのように、腹部に追った傷から滔々と黒い血が流れ出す。このまま失血が続けば、近く行動不能に陥ることになるだろう。そうなれば一巻の終わりだ。
そういう悪寒がジャッカルの内に生まれるさなかにも、戦況は止まることなく動き続けていた。鼓膜を破らんばかりの発射音が、不意に反響を弱めたのだ。二重に重なった音の列が、まるで雑音を取り除くかのように単調な反復へと移り変わる。見ると、敵の射手は腕を押さえていた。直前までこの男が手にしていたライフルは、いまはその足元に転がっている。ジャッカルの決死の反撃は相手自身の身体ではなく、その得物に対して命中したのだ。
願ってもないチャンスだ。ジャッカルはここに至ってようやく、銃身を真っ直ぐに構えることができた。これでまともに狙いを付けられる。
その銃身が真横に向かって蹴り飛ばされたのは、ほんの一、二秒あとのことだった。どうやら相手は作戦を切り替えたようだ。しつこく食い下がるジャッカルを、自らの手足を武器に直接始末しようというのである。一瞬のうちに距離を詰めたそのパワーがあれば、それも不可能なことではないだろう。
しぶとい反逆者も格闘戦なら捻り潰せる。敵方はそう考えたのだろうが、それはジャッカルとても同様だった。接近戦なら望むところだ。彼は即座に右腕の仕込み刀を展開した。
続けざまに迫る敵の殴打を、ジャッカルは見事に捌いてみせた。そうしながらも彼は虎視眈々と隙をうかがっていた。自信の腕に搭載された武器で、敵の頭蓋を叩き割るための機会をだ。
そのうち焦りが生じたか、敵は不用意にも大振りにその剛腕を振り回した。興奮とフラストレーションに根ざすものだろう、明らかに力任せの攻撃だ。
ジャッカルはその隙を見逃さなかった。敵の体勢を崩すために一発ジャブを食らわせると、続けて刃を閃かせる。顔面を狙った攻撃、さらに言うなら、目を奪うための一太刀だ。
途端、ざっくりと裂けた目玉の一つが男の顔から零れ落ちた。もう一方の目も、もはや使い物になるまい。それらが人工物か、あるいは自前のものであるのかは別として、早急に修繕が必要なのは間違いなかった。
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