警官 二
二
高級住宅街をあとにしたスタンリーとカイルは、繁華街へと向かう覆面パトカーのなかで沈黙しどおしだった。
ハンドルを握るのはカイルだ。やはりまだ街に馴れないのか、道行きはどこまでもスローペースだった。フリーウェイを併走する車両の群れにワンテンポ遅れる格好で、新入り警官はぎこちない様子で公用車を走らせていた。じっと助手席に座っていると、どうにももどかしい気持ちにさせられる。だがそれでも、スタンリーは何も口出しをしなかった。
最初に社内の沈黙を破ったのはカイルのほうだった。
「聞いてもいいですか、スタンリー?」
彼は思いついたように訊ねた。
不意に名前を呼ばれたスタンは、なお窓の外に目をやったままの格好で応えた。
「どうした」
「さっきのはいったいなんだったんですか?」
「さっきの?」
「あの芝居のようなやり取りですよ。なぜ彼は――まあケイン氏ですが、我々を使いっぱしりみたいに扱うんです? 彼はただの犯罪者に過ぎないではありませんか」
そう言うカイルの声には幾分か非難めいた調子があった。ケイン・マルドネス本人の態度のみならず、それに調子よく合わせるばかりのスタンリーに対しても、納得のいかないものを感じていたのだ。
そんな街の新入りとは対照的に、スタンリーは白けたような気持ちで言う。
「ああ、まあ、そうだな」
まだ視線は外に向けたままである。
上司の後頭部にちらちらと視線をやりながら、カイルはさらに言葉を続けた。
「手を借せだなんて、まるでそれが当たり前かのように言うとはね。馬鹿にしてますよ、警察を」
「市民を助けるのが警官の職務さ」
「善良な市民を助けることが、でしょう」
そこでまた、銀色の覆面パトカーは沈黙に包まれた。
それから少し間を置いたあと、スタンリーは少々唐突な具合に言った。
「いい機会だから、いまのうちに話しておいてやる」
彼は新しい相棒を、とくに、街の外からやって来た相棒を持つ度に、同じ話をする。この話をするのは直近の一年間で二度目だった。この前にそれを聞いたよそ者は、よそ者のまま息を引き取った。
「一般に言う『善良』というのを、『多くの市民から歓迎される』という意味としてとらえるのなら、ケイン・マルドネスほど善良な人間はそうはいない。お前も、デモニオスの名前くらいは耳にしたことがあるだろう」
「ええ、まあそれは……ロス・ドセ・デモニオスでしょう?」
十二人の悪魔。二〇九三年現在において、サウスランドシティで最も権威あるギャングだ。ケイン・マルドネスは、一代でその栄光を築き上げた。
「お前も知ってのとおり、この街の治安はそれほど悪くない。昼のさなかから銃撃戦が始まることはないし、たとえ夜中に出歩くとしても、歩く通りさえ間違えなければ厄介事に巻き込まれることはない」
「それは、われわれ警察が目を光らせているからですよ」
「違うな。暗闇で目を光らせるのは悪魔たちだ。奴らが、奴ら自身で縄張りの秩序を保っている。縄張りの内外というのにかかわらず、な」
「縄張りの外……というのは?」
「ほかの勢力のことだ。中国系のマフィアだとか、南米のグループだとか、たとえどんな基盤がある集団であれ、無暗に勢力圏を広げたり、他人の利権を脅かそうというような動きは、いまのところ誰も見せていない。街の中に存在するそれぞれのテリトリーで満足し、お互いに均衡を保ちあっている状態だ」
「つまり、その安静な状態がデモニオスのおかげだと?」
「そうだ。飲み込みが早いな」
スタンリーは片方の眉を吊り上げて言った。
「ここまではいいんだ。そりゃあ現状でも小競り合いくらいは起きているし、そのせいで理不尽な目にあう人間もいないとは言い切れない。だが戦争よりはマシさ。想像してみろ。連日連夜、そこかしこで殺し合いを始めるギャングたちと、その馬鹿どもを一掃しようと躍起になる警察。善良な住民は逃げ惑い、悪党は混乱に乗じて小銭を稼ぐ。それからは過激になる一方だ。投石が火炎瓶に。火炎瓶が催涙ガスに。催涙ガスが手榴弾に」
そこで言葉を区切ると、スタンは顎でしゃくるようにして、カイルの視線を車窓の外側へと向けさせた。
三
カイルたちが乗るパトカーはちょうど、繁華街の一端に差し掛かったところであった。
時刻は午後三時半。通りは人でごった返している。足早に人ごみをすり抜ける者もいれば、それを追い越す自転車も、その自転車を迷惑そうに避ける子連れの母親の姿もある。
エスニックな香辛料の香りに誘われて視線を動かすと、煮込んだチキンを取り扱う立ち食いの店が目に入った。鈍い音をたてて光る看板の下、ざらつくコンクリートの地面に山積みにされたダンボールには、溢れんばかりに新品の使い捨てプラスチック容器が詰め込まれていた。
(包装されているとはいえ、なにも地べたに置くことはないのに)
とカイルは一瞬、考えた。しかしそうした直後には、彼は考えを改めることになった。何人かの客の肩越しに覗いた厨房には、ボール箱の入る余地などまったく存在しなかったからだ。なにぶん厨房とカウンターしかないような小ぶりな店舗である。その内部には、年がら年中も膨大な熱を発し続けるコンロと鍋と、次から次へと通行人に声をかけまくる売り子の中年女性と、汗だくになりながら動き回る料理人のほかには、何かを詰め込む余裕などまったくもってないのだ。
その店の左隣には、いかにもファストフードのチェーン店らしい、嫌にカラフルな看板をぶら下げた店舗があった。ひるがえって右側の隣はというと、昼間でも薄暗い狭い路地を挟んだそのすぐ横側に、幾つかの飼育用ケージが並べられたペットショップの窓が見えた。防音設備が整っていないのか、さきほどから犬の鳴き声がうるさいほどに響いている。その鳴き声の主もあるいは、四六時中鳴り止まない路上広告の謳い文句に、言葉にならぬ抗議の声を挙げているのかもしれない。
そうした叫びや音や、匂いの一つさえ気にすることもなく、多くの人々が通りを行き交う。息が詰まりそうなほどの大量の人間たちが、あるいは自らの足で、あるいは真新しい業務用トラックで、あるいは時代遅れのバイクでと、それぞれの選んだ方法で先を急ぐ。呆れるほど表情豊かに、かつ克明に、その顔に明暗を刻みこんだ人間の群れが。
この場所に火炎瓶が投げ込まれたらどうなる? いまここで、誰かが機関銃の引き金を引いたとしたら?
その惨状を思い描くことさえ、カイルには憚られた。
「自分には想像もできませんよ、スタン。あまりに……恐ろしいことです」
「そうか。奴は、ケイン・マルドネスはいつでもそれを実行できる。その気になれば、いますぐにでもだ。サウスランドシティに住む全員が、昼夜を問わず喉元に銃を突き付けられているのさ。本人が気付いていようがいまいがな」
使いっぱしりで機嫌を取れるなら安いもの。それで市民の安全が守れるのなら、それこそ立派な警官の職務だ。
「だからこそ、俺たちみたいな『特例』が存在しているんだ。決められた地区じゃなく、決められたVIPについて面倒を見る警官が」
スタンリーの言わんとするところを、カイルはだんだんと理解し始めた。SLPDの警察官として、これは重要な一歩目だった。
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