最終回

6

 インコは大分弱っていた。古川真澄は丁寧に世話をしたが、段々と足腰を弱め、羽が荒れ、時々痙攣を起こすようになった愛鳥を見ているのは辛かった。鳥は彼が小学生の頃に来た。そして、以来ずっと彼の学習机の横にある鳥籠の中に居た。様々な思い出を、その鳥は持っていた。しかし、もう死んでしまうに違いなかった。彼は、いつかまだ鳥の元気だった頃、学校の発表でペットの紹介をしたことがあったのを思い出した。その時、彼はその鳥が既に死を超越した不死鳥であるから、決して死なないのだと言ったが、確かに今まで当然のようにそこにいたその鳥が或る日突然いなくなってしまうなどということは、殆どあり得ないことであるように思われた。それでも、高校の卒業式が本当にやって来たように、死は確実に訪れるのであろうか。未だ彼には信じられなかった。


 電話をしたのは約束の日の前日であった。中村は非常に残念がったが、結局は受け入れるしかなかった。古川はこうしてまた友人を拒絶し、ないがしろにした。そういう自分に愛想が尽きたが、どうすることも出来なかった。どうして参加を断ったのかをはっきりとは言い表せないが、何となく行くのが億劫になったのだ。それに、彼はもう誰かの手を借りて生きるのは嫌だった。中村の話を聞いて少なからず勇気を貰ったことは事実だった。彼のように自分の活動がしたい、と彼は思った。けれども、一体何をすれば良いのかということについては、やはり分からなかった。今は唯ゆっくりと布団に寝転んで思い出の陳列場を歩くことの方が、日本文化護持サークルに参加して煩雑な人間関係に埋没することよりも何十倍も魅力的であった。しかし、罪悪感は残った。


 中村の方はもうどうでも良くなった。古川の言ったように、大学生には大学生の楽しみがあるのかも知れないと思った。彼にはもう守るべき過去など無かった。取り戻そうとしても全ては手遅れであるし、本当は何も始まってはいなかったのだから。それに、日本文化の復興などという大それた目標を実行出来る自信も、今は無かった。彼は諦めて今までの生活に帰ることにした。人より目立つことも、誰かの上に立つことも、今はもう以前ほど大切に思われなかった。似合わぬことはもうやめよう、と彼は思った。唯目の前の一日一日を悔いの残らぬように精一杯に生きようと。そうすればいつの日か、誰かが認めてくれるかも知れない、と。


 翌日、古川は水族館にいた。どういう訳でここにやって来たのかはもう忘れたし、どうでも良いことだ。彼は今、大きなガラスの向こうを泳ぐ魚たちを見ている。家族連れや恋人たちの会話が聞こえ、その姿が彼の視界をちらちらする。

「はあ。」と大きな溜息。彼はうなだれて椅子に腰掛けた。

「嗚呼、俺は冷酷な奴だ。」と呟いた。

 様々な思い出が交錯した。それは、彼が常に自分勝手であり、他者に依存していながら恩を仇で返し、友人を軽視し、恋愛に妄執し、刻苦を厭い、どうしようもないぼんくらであり続けたことを明示していた。そして、それを今まで全く恥じもしなかったことがどうしようもなく恥しく、残念であった。嗚呼、許しておくれ、と彼は声を震わせて言った。甘えが蔓延していた。二時間ほど絶望し、やがて帰路に着いた。帰りはゆっくりと歩いた。そうすることで町のどんな出来事も見逃さぬようにした。子供たちの声や夫婦の寄り添う姿が、彼を堪らなく寂しくさせた。


 彼が彼の寂寞としたアパートの一室に帰ると、鳥が死んでいた。それはあまりに物悲しく、呆気無い光景であった。嗚呼、誰もが死んでしまうことは自明のことである、と彼は思う。しかし、君だけは死ぬ筈は無かった、と。

「これでもう、私を理解してくれる者は一人もいなくなった。」

 彼はその小さな親友を両手で抱えると、肩を震わせて泣いた。


おわり


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不死鳥が死んだ 鳥小路鳥麻呂 @torimaro

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